さよなら。いつか
 

(花京院がさつじん鬼だったりしています。)



「徐倫ーみんなでショッピング行くんだけどどうー?」
 夏休みに、羽目をはずして遊び歩かないように、なんて、教員に言われたばかりなのに、彼女たちは思い思いに着飾った制服を身に纏い、新しいネイルを施された指先で手を振った。
「ごめんなさい、今日は予定があるの」
 断っても、彼女たちは悪い気がしないのか、そのまま笑顔で教室を後にしてしまった。翻ったスカートの裾から香るような爽やかなオレンジの香り。徐倫は斜めがけの鞄を持ち直して椅子から立ち上がった。
「さよなら」
 クラスメイトの何人かに声をかけると、彼らは揃って夏らしい顔で手を振った。夏休み、楽しんでね。ええ、旅行に行くの、浜辺でデート。さまざまな声や会話が響き渡る校舎をぬけて、徐倫は下駄箱から取り出した茶色のローファーを履いた。セーラー服は、例えそれが夏服だったとしても重たく身体にまとわり付く。微かな不快感が合ったとしても、徐倫はそれが健全な学生である証だと信じているので、大幅に歩きながらスカートを、黙ったまま翻した。
 真っ青な空に浮かぶ白い入道雲が、灼熱の太陽を少しでも隠してくれれば良いのにと思いながら徐倫は焼けた土のグラウンドを抜けた。
「徐倫」
 校門に差し掛かったとき、凛とした涼しげな声が、徐倫の頭上に降り注いだ。
 この灼熱の中、真っ黒なタートルネックにグレイのジーンズを着た茶髪の男が立っていた。小脇に抱えた袋には、瑞々しく熟れたフルーツが詰っている。
「ノリアキ」
 徐倫は降り注ぐ太陽を仰ぎ見るように目を細めて名前を呼んだ。花京院はにっこりと口角だけを上げて笑う。
 校門を抜けていくほかの学生たちが、徐倫と変わったいでたちの花京院へ好奇心の目を向ける。
「パパは?」
「あっちに車が停めてあるよ」
 花京院はじりじりと焼けたコンクリートの先を指差した。黒いワゴンが停めてある。きれいに磨かれているワゴン車は、太陽をきらきらと反射する。
「ショッピングモールに行くんだって」
 なにか買ってもらえば?と、花京院は徐倫に提案すると、ゆったりとした長い足で焼けたコンクリートを踏みしめた。花京院はとがった靴を履いている。それなのに、どんな道を歩いても足音を立てないのだ。大地に嫌われているからね、と、花京院は言う。じゃあ誰に好かれているのだと、徐倫は問いたかったが、声の代わりにローファーのかかとを無理やりにコンクリートに擦り付けながら歩いた。
「夏休みだね」
「ええ、みんな、ショッピングや海に出かけるんだって」
「徐倫もショッピングや海に行きたい?」
 花京院は酷く落ち着いた声をしていた。熱くないのだろうかと思い、じっとりと汗ばんだ自分の肌を、無意識に徐倫は撫でた。
「ショッピングは良いけれど、海はいや」
 べたべたする。口には言わなかったが徐倫はむくれた顔をした。花京院はまっすぐ前を見たまま歩く。
 ワゴンの傍らに立ち、花京院が開いた扉に徐倫はするりと忍び込んだ。ひんやりとした冷風が肌の汗を撫でていく。静かに扉が閉められて――花京院は何事も力をこめずに行う――次に助手席の扉が開いた。運転席に居た承太郎は、煙草を押しつぶし、花京院の名前を呼んだ。
「夏休みだって」
 花京院が言うと、承太郎は冷房を弱めながら頷いた。
 助手席に座りシートベルトを締める花京院の顔が、いつだって幸せそうなので徐倫は深く後部座席に沈みこんだ。
「混んでるかな」
「食料の買出しだけにするか」
「うーん、この町気に入ってたんだけどな」
 名残惜しそうに花京院が言った。徐倫は吐き出した息を再び深く吸って跳ね起きた。
「もう町をでるの?」
「悪目立ちしすぎたからな」
 それが何のことをさしているのか、徐倫はすぐにわかった。この二人は、殺人鬼だ。恐ろしく狡猾で美しい殺人鬼。そして自分がその血を継いでいることも、徐倫は知っていた。昔から、眠る前に聞く毒を孕んだ御伽噺が、全て実話だということも、このあいだ花京院から教わったが、別段それが恐ろしいものであるとは思わなかった。首筋に残る薄い痣――大きくなるに連れてそれは濃くはっきりとしてきている――が父やその恋人の首筋にもあることが、何よりの誇りだった。
(私は殺人願望なんて全然ないのだけれど)
 徐倫が心の中で思っていると、花京院は本当に申し訳なさそうに振り向いて笑った。
「ごめんね、ぼくのせいだ」
 その“悪目立ち”というのは、昨夜の花京院の“衝動”のことだ。いつもは要人の依頼のみを受けて生計を立てているのだったが、しばらくご無沙汰であったそれへの衝動を抑えきれずに、暴走したところを、近所の住民に見られたのだという。つい殺した、というのが多分、彼なりのジョークなのだと徐倫は思ったが、最初のターゲットも、近所に住んでいた人懐こいおばさんも、一緒くたに殺してしまったらしい。それがどうして悪目立ちなのかと言うと、それが互いに空条家の隣りの住民だったからだ。唯でさえ、父、娘、他人の男と、ちょっと風変わりな家族の事件は、あっという間に人の噂に乗った。あいにく花京院の近所づきあいの良さと、心無い柔らかい笑顔にそんな噂を信じる人たちは居なかったが、承太郎と花京院は昔から決めている通りにその町をすぐに出ることにしたのだ。
「次はどこに行くの?」
 この町に来て買った服や家具は、車に一つも乗っていない。足を残さない徹底振りは、承太郎と花京院の性格によるものだ。徐倫は限定品の化粧品や鞄を思って少しだけ悲しくなったが、それもいつものことだとあっさりと納得してしまった。
「あ、ショッピングの途中に友達にあったら引っ越すことを話してもいい?」
 徐倫は後部座席から身を乗り出して花京院に言った。花京院は少しだけ悩んで、いいよ、と笑った。ありがとう、と言うと徐倫は再び後部座席に身体を沈める。
 夏の灼熱にやられて、身体は随分疲れていた。そういえば終業式はとても暑かったな、と思いながら徐倫は目を閉じる。今日声をかけてくれた友人たちにあったら、誘ってくれたことへのお礼を言おう。ありがとう、でも、さようなら、と、胸を張っていえたなら。何の未練も残らずに次へ進んでいけるのだから。


「徐倫、おきて」
 肩をゆすられて目を開くと、すでに外は真っ暗だった。スモークが貼られているからかと思ったが、そうではないらしい。本当に夜なのだ。寝ぼけ眼で徐倫はショッピングモールの名前をあげた。花京院は悲しげに眉を潜める。
「起こしても起きなかったから、もう出発してしまったよ」
 ごめんね、と、花京院は言った。どうやらそこはどこかのインターチェンジのようだ。ラジオから聞こえてきた時刻が深夜であることと、狂ったように鳴き続ける窓の外の蝉の声が、どこかちぐはぐで、徐倫は混乱する。
「……そう、なの?」
 運転席で煙草をふかす父親、承太郎に向かって、徐倫は非難でも嘆きでもない声で呟いた。友達の顔を思い出そうとしたが、それはあまり鮮明には浮かんでこなかった。
「お腹すかない?なにか飲む?」
「大丈夫……」
 徐倫は顔を振った。
「グレープフルーツ食べる?」
「うん」
 ジジジジジ、と、虫の声か電気の音かわからない不思議な音がしていた。ワゴンの後ろドアを開け放って、虫をよけるために、薄い網を車の天井から張り、花京院は外に向かって足を放り出し座った。
ムッとした空気が車の中に漂ったが、クーラーで冷え切った身体には心地よい。甘酸っぱいグレープフルーツの香りが鼻腔をくすぐり、途端に食欲が湧いた。
「どうぞ」
 剥かれたグレープフルーツは、綺麗に皮をはがされはちきれそうな一つずつの粒になっていた。歯でかみ締めるとそれはプチプチと華麗にはじけた。ミンミン、ジジジジ、鼓膜をゆする音は、どこに居ても変わらない。
「……花京院、それを食ったらでるぞ」
 煙草をもみ消しながら承太郎は言うと、空になったコーヒーの缶を持って車を降りた。うん、と軽く返事だけして、花京院は外を眺めたまま動かなかった。
 じゅ、っと溢れたグレープフルーツの汁を吸いながら、徐倫は次の町のことを空想する。どこに行っても、友達はできるのが徐倫はうれしかった。
「虫の声がするね」
 花京院の声は、酷く優しく響いていた。

 流れる高速のライトを見つめながら、花京院は小さな溜息をついた。こうやって見る空は、薄明かりでてんで美しくない。星なども見えないくらいの明かりと排気ガス。壁を隔てた向こうに見える下品な色のホテルの明かり。人間の住み家。
「徐倫は眠ったのか?」
 承太郎の問いに、花京院は首をふった。
「起きてるけれど、ラジオを聴いてるんじゃないかな」
 じゃかじゃかと騒がしい音が漏れるイヤホンの向こうに、徐倫は行ったままだった。音は雑音にまぎれてもう音楽にはなっていなかった。背中を運転席に向けたままプレイヤーを握り締めている徐倫の背中が、やけに穏やかに上下する。
「……まだ着かねぇよ、寝てても構わないぜ」
 承太郎は言うと、煙草の先に火をつけた。灯る穂先は、まるで蛍の尻のようだ。花京院はそっとそれを捕まえるように手を伸ばした。
 ジッ、と嫌な音をたてて、火種が手の平に落ちる。じりじりと焼けていく感触に花京院は目を細めたが、別段それ以上慌てる様子を見せなかった。焼けた傷口は、すぐにいつもの細く白い手の平に戻っていた。
「何しやがる」
「吸いすぎだよ。なんて、ちょっと綺麗だった」
 君の横顔、と、花京院は笑って承太郎の頬に指で触れた。運転中だというのに、ちらりと花京院の顔をみて、承太郎は満更でもないように笑った。
「一本貰っても?」
 花京院が言うと、承太郎はさっとつぶれた箱とジッポを出した。吸い込んだ煙は、苦く肺を満たしていく。
「お腹すいたなあ」
 花京院は呟いて煙を一陣吐き出した。うっすらと開けた窓の外に、それは流されて消えてゆく。
「ごめんね」
 結構あの町、気に入ってたのに。と、花京院は言うとシートを倒した。空腹――それは唯の食欲とは程遠い感覚なのだが――を紛らわすには睡眠が手っ取り早い。花京院は乱暴に瞳を閉じた。その眉間に、深い皺がよっていることを、承太郎は見てみぬフリをした。
「次のパーキングに寄ろう。食事だ」
 窓の外に、次のパーキングまでの距離が表示されてそしてあっという間に後方へ流されていった。

 それが仕事の合図であることに徐倫は気がついたので、そのままそっと目を閉じたまま動かなかった。頭上で花京院が何度か名前を呼んだが、徐倫は極力動かないように意識を手放すことに集中した。何度かの念入りな確認をしてから、花京院はほっとしたようにそっと徐倫の耳からイヤホンをはずしてラジオの電源をオフにした。リリリ、と虫の鳴く声がする。
「眠ってしまったみたいだ」
「戻ってきたらメシを食わせてやろう」
「いらないって言うかも。最近小食だから心配だ」
 育ち盛りなのにね、なんて、花京院は優しい声で言った。まさかこれから殺人を犯すだなんて誰が一体想像するだろうか。彼らは殺人鬼だ。そして私も。と、徐倫は胸の中で呟いた。先ほど花京院が言った様に、最近自分自身の食欲がイコール食事に結びつかなくなっていることが、徐倫は少しだけ怖かった。仲良くなった友人の後姿を見て、その細い首に噛み付いてやりたくなった。喉を切り裂いて、鮮血を浴びて、狂気と満足感に笑いたかった。
 はっと、徐倫は目を開いた。妄想の中でさえ人を殺せるようになるなんて、聊かぞっとしながら起き上がり、ワゴン車の後部ドアを開けて温い外気に飛び出した。身体を折り畳んで眠っていたため、節々が軋んで痛い。
 パーキングはガラリと空いていて、切れ切れの電球に虫が群がっていた。二人はこの闇にまぎれて、食事をしているのだ。

 談笑、宴会、恋愛、暗闇。花京院は早くも身体が疼くのを停められなかった。そっとコートの下のナイフに触れる。血肉を絶つときに、ナイフの刃が鈍くなるのが嫌なので、花京院はあまり脂肪の多い人間を好まない。かといっても、あまりにも細く鶏がらのような人間は、それだけで虫唾が走った。心地よく、筋肉の引き締まった成人を迎えたばかりの若い青年。
「ぅぐ……」
 ごきん、と、鈍い音、パッと聞いただけではそれが人が絶命する瞬間の音だとは気がつくまい。それでも花京院は、体中に何か得体の知れないものがみなぎっていくのを感じた。
「依頼も為しに、君が人を殺すのは久しぶりだ」
 花京院は嬉々としていった。その後、隠れている茂みの前に歩いてきた男の首元へ向かって閃光のごとくすばやくナイフを立てる。血しぶきが、まるで雨のように草むらに降り注いだ。虫たちが騒ぎ出す。彼らもこの血を待っているのに違いない。
 頚動脈を綺麗に切られた男は、一瞬目を見開いた後花京院の姿を目に焼き付けて絶命した。あまりにも鮮やかなその殺人は、長きに渡って培われてきたものだと承太郎は思う。花京院の表情は恍惚で、緩んだ口元に浴びた血液が月明かりに怪しく輝いた。すでに遺体となったそれを草むらに引きずりこんで、花京院はその遺体の見開かれた瞼をそっと閉じた。いつもの猟奇さが無い花京院の行動に、承太郎は少し驚いた。
「……罪も無い命を奪うのは辛いね」
 ああ、と、承太郎は呻いた。花京院の行動は、自分を肯定するものだ。美しい死、花京院は満足げに死んだ男の顔を見つめて、その磨かれた靴底で後頭部を何度も蹴りつぶした。
 血の匂いが、充満した。コートの裾でナイフを拭いてしまうと、花京院は承太郎を振り向いて満足そうに笑った。
「行こう、誰かが来るかもしれない」
 珍しくすぐにその場を離れたがった花京院に、承太郎は頷いた。黒の皮手袋をポケットに押し込んで、その穢れた足のまま花京院は売店へと向かって、缶コーヒーと紅茶と少しの食品を買ってワゴン車へ戻っていった。
 先ほど殺した二人の身内は、二人が戻るのを今か今かと待っているのだろうか。衝動、といえども、それは今に始まったことではない。人が牛や鳥を殺すのと同じだ。
 承太郎は自分に言い聞かせるようにそう思い、そっと重たいコートを翻した。甘くきらめく月を見上げると、それはゾッとするような赤に染まっていて、承太郎は自分の目を擦った。
「何してるの?置いていくよ」
 花京院の、覚醒しきった声と表情に、承太郎は自分自身の意味を見出すように柔らかく笑って、ああ、と、今度は心のそこから彼を慈しむように名前を呼んだ。

(いつか私も)
 徐倫は車の前に立ったまま二人の姿を闇に見つけて手を振った。
(二人と同じところにいけるのかしら)
 花京院と承太郎は、満足そうな顔のまま、血塗れた殺戮の舞台を颯爽と降りてきた。



END

2010/7/24

鍵さん主宰のまーだーカップル企画に参加させて頂きました




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