コキュとマーレとアヒルのおもちゃ


「ヌゥ、ヤハリ熱ツイナ…」

自身のライトブルーに輝く体を包みこむ熱に、コキュートスは冷気混じりの息を吐いた。
ここはナザリック第九階層にある十二のエリアに分けられたうちのひとつであるジャングル風呂であり、以前にアインズと各階層の守護者達と訪れたことのある浴場だ。

なぜお湯よりも冷水を好むコキュートスがそのような場所にいるのか?
答えは簡単である。デミウルゴスのように炎耐性をカットして風呂に入れなかったことが少しばかり、ほんのちょっぴり悔しかったからだ。

それに、将来アインズに子息が出来たときに「爺はお風呂に入るのが嫌いなのか?」「お湯が苦手な爺なんかいやだ!」なんて言われたくないからである。だからこそ未来を見据え、コキュートスは平然とした様子で湯に浸かれるようになるべくその練習をしにこのスパリゾートを訪れたのだ。

「先ハ長イナ…」

最終目標はサウナであるが、湯に浸かるだけでこの様子ではまだ無理そうだ。

冷気のオーラを使ってしまいたい気持ちと水風呂に飛び込みたい欲求を抑えたせいか無意識のうちに下顎がかちりと音を立てた。水中でおとなしくしていた尾も同調するように揺れ、コキュートスはムッと小さくうなる。

しばらくライオンの像の口から勢い良く流れ出る熱湯をじっと見つめていると、コキュートスの耳にぺたぺたと濡れたタイルのうえを歩く小さな足音がこちらに向かってくるのが聞こえ、何となしに身を低くし息を潜めた。

「ふぅ…」

白い湯気を割って現れたのは第六階層の守護者であるマーレ・ベロ・フィオーレであった。

マーレとコキュートスの視線が交じり合う。
きょとんとした表情のマーレだったが、目の前にいるコキュートスにはわわわと慌て始めた。

「あ、あの、コ、コキュートスさんこんにちは!」
「ア、アア、コンニチハ」
「えっと、その…」

お互いに仲がいいとまでいかない為、話が続かない。
気まずい空気が流れる中、あるものがコキュートスの目についた。

「マーレ、ソレハ何ダ」
「え! あの…」
「ソノ鳥ノヨウナ姿ヲシタ黄色イ物体ダ。見タコトノナイ物ダ」

黄色のからだに橙色の丸っこいクチバシに、りくりのぱっちりとした目をした物体にコキュートスの目は釘付けだった。
マーレの腕にいくつも抱きかかえられたソレを興味深く眺めていると、マーレは真っ正面から見つめられるのが落ち着かないのか視線を床へと落としさまよわせた。

「こ、これはアヒルのおもちゃと呼ばれるアイテムで…。そのぉ、ぶくぶく茶釜様からいただいたものなんです」
「ホォ、ソウダッタノカ」
「お風呂場に持ち込めるアイテムみたいで…。広いお風呂で、う、浮かべてみたくて持ってきたんです。ま、まさかコキュートスさんがいるとは思わなくて」
「私モマーレガ来ルトハ思ッテイナカッタノデナ、驚イタゾ」
「えへへ…。あの、コキュートスさん、これお風呂に浮かべてもいいですか?」

恥ずかしそうにもじもじと小声で尋ねてくるマーレにコキュートスは無言で頷く。
途端にパッと笑顔になるマーレの姿に、コキュートスは微笑ましい気持ちになりかちかちと顎を鳴らした。

「ボ、ボク、からだを洗いにいってきます…!」
「アア」

マーレはコキュートスのいる湯船に持ち込んだ黄色の玩具を浮かべると笑われたことがはずかしかったのか顔を赤らめながら洗い場へと向かってしまった。

さて、マーレが戻ってくるまでどうしたものか。
守護者間での交友を深めるには良いタイミングであるがこういった時、どういった話をするべきなのか…。

しばし黙考した後、コキュートスは自分の周りを囲うように浮かぶ複数のアヒルたちに視線を向けるとそのうちの一匹を二本の手でお湯ごと掬いあげ、顔の前まで持っていくとまじまじと観察をし始めた。

「…ソレニシテモ変ナ顔ダナ。シカシ、ドコカ可愛イラシクモ感ジラレル。見タ目ガ小サイカラカ?」

アヒルのおもちゃを分析する彼はいたって真面目である。
ちなみにこのコキュートスの呟きは湯気の向こうでせっせとタオルを泡立てているマーレに丸聞こえなのだが、この時のコキュートスはアヒルに夢中でエルフ系の聴力の良さをすっかり失念していた。
「丸ミガアルト可愛ラシサガ上ガルト以前誰カガ言ッテイタガ…ソウイウコトナノダロウカ」

小さく首を傾げながらも観察はまだまだ続く。

「目ガ大キイノモポイントノヒトツデアルト…シャルティアガ言ッテイタ記憶ガ有ルナ。ム、コノアヒルハ目ガ点デハナイカ!」

よくよくみてみればマーレの持ってきたアヒルたちには個体差があった。
目つきの違いや体の丸み、クチバシの形から体や目の色が若干違ったりと分かりやすいものから注意深く観察しなければ分かりにくい違いを発見したコキュートスは満足そうにきゅるると喉を鳴らす。

「他ニ違イハアルノダロウカ…」
「コ、コキュートスさん」
「オオ、マーレカ。スマナイ、オ前ノ物ダトイウノニ勝手ニ手ニ取ッテ見テイタ」
「い、いえ、そんな気にしないで下さい!その、見たことがないアイテムって色々と気になりますよね」
「アア、好奇心ガ刺激サレルナ」

ほかほかと白い湯気が立ち上る湯船に恐る恐るといった様子で近づいたマーレは湯に浸かるといそいそとコキュートスの隣に移動し、ふにゃりとした笑みを浮かべた。
コキュートスは手の中で揺れるアヒルを持ち主に返すべくそっと手を湯に沈めるとアヒルはぷかりぷかりとマーレの前でのんきに揺れてみせた。

「えへへ…可愛いなあ」
「フフ…」
「う、あ、その…ううっ」

目の前で揺れるアヒルを引き寄せ、嬉しそうにほわほわとした笑みを浮かべるマーレに、コキュートスはつい笑い声を漏らしてしまった。

その瞬間、マーレはびくりと体を震わせバッとコキュートスのほうに勢い良く顔をむけると顔を真っ赤にし、目の下までお湯に浸かってしまった。
眉をハの字にしながら上目遣いでコキュートスをじいっと見つめる瞳は今にも泣きそうなくらいに揺らめいている。あの呟きはあまり聞かれたくなかった類のものだったらしい。

コキュートスは謝罪しようと口を開き――ぎゅるう、という申し訳なさを全面的に押し出したような低い音を出した。
コキュートスはびしりと固まり、マーレは目をぱちくりとさせてコキュートスを見た。

言語として発する予定だったのに、鳴き声になった。
それはコキュートスにとって恥ずかしいものであった。同族がこの場にいたとしたら生温い眼差しを送ってくるであろうレベルの失態だ。ナンテ恥ズカシイコトヲシテシマッタンダ!

コキュートスは無言で顔を背けた。ぐぎぎ、と錆び付いた扉のような音でもだしそうなぎこちなさで背けた。

「ふ、ふふふ」
「ワ、笑ワナイデクレ…」
「ふふ、えっと、お相子ですね」
「グゥ、悪カッタ」
「あの、こちらこそ、笑ってしまってごめんなさい」

顔を見合わせ、互いに恥ずかしさを含んだままの声で謝りあう。
その様子がおかしくて、二人は笑い合った。

「その、ボク、コキュートスさんは、もっと怖いかただと思ってました…」
「…互イニ話ス機会ガナカッタノダ、ソウイウコトモアル」
「で、でも!今は違います!あの…本当です!」

褐色の胸の前で両手を握りしめて一生懸命に伝えようとする闇妖精の子供に、コキュートスは胸があたたかくなるのを感じ、マーレの頭をそっと軽く撫でた。
嬉しそうな声をあげて笑うマーレに怯えた様子はなく、むしろ構って欲しそうにも見える。なんとも可愛らしい。

その後は最初の気まずさが嘘のよう二人は好きなことを好きなだけ語った。
あの本がお勧めで、武器はあれが良くて、お姉ちゃんはこんな感じで、部下はこうで、アインズ様は素晴らしく御方で――意外にも話は合った。

「…少シ頭ガ痛クナッテキタ」
「ええっ、そ、それ危ないですよぉ…」
「イヤ、マダ大丈夫ダ。心配スルナ」
「で、でも…。じゃあ、あ、あとちょとしたらお風呂からでましょう」
「ソウスルカ」

湯船にぷかぷかと浮かぶ間抜けな顔をした黄色い玩具を、コキュートスの大きな指先がこつこつとつついた。
ひとつきで湯に沈んだあひるのおもちゃはすぐさま勢い良く水面に顔をだし、ぷかぷかと浮かんではコキュートスにつつかれている。
その光景をマーレはにこにことした表情で眺め、マーレも目の前でゆらゆらと存在を主張するあひるをつついた。

この日、マーレとコキュートスはすこしだけ仲良くなった。






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