かわいい子猫



(なんて羨ましい)


その時、フェンリッヒの脳にはその一言しか思い浮かばなかった。
だが、自分が仕える主がいるそばでそのような言葉を言う訳にはいかず、彼はその言葉が喉元を通りすぎ音として吐き出される前に飲み込んだ。


「ふむ、これはこれで温かくて良いかもしれんな」

「ニャー」


フェンリッヒは視線をもう一度、主の膝に向けた。ヴァルバトーゼの膝の上には茶色の毛玉、もとい寝子猫族のネコサーベルが丸まって乗っかっていた。

今まで、フェンリッヒが知る限りではネコサーベルを含めその他の魔族がヴァルバトーゼの膝の上にいたことなど一度としてなかった。そう、一度としてなかった。正しく言い直すと一度としてさせなかった、なのだが。

フェンリッヒは我が主ヴァルバトーゼ様の膝の上を占領するなどという羨ましい−−ではなく、図々しくもおこがましい考えを持つアホな者を見つけ次第、ヴァルバトーゼから距離を置くようにそれはもう大変優しくわかりやすく言い聞かせていた。少々手荒なことをしてでもだ。


(なのにこれは、どういうことだ!)


フェンリッヒがあれこれと考えを巡らせていると、ヴァルバトーゼの膝の上で丸まっていたネコサーベルがもぞもぞと動きだし、甘えるかのようにその頭をヴァルバトーゼの腹にぐりぐりと押し付けニャーニャーと鳴き始めた。

それも、フェンリッヒに見せつけるかのようにわざとらしく。


「ヴァルバトーゼ様、先程から膝に乗せているそれは…」

「ああ、このネコサーベルか。よくわからんが勝手に膝に乗ってきたのだ」

「勝手に、ですか?」

「これでも何度か膝から降ろしたのだぞ? だが、その度にのぼってくるものだからそのまま膝に乗せているのだ」

「フフッ。そうでしたか。邪魔なようでしたらこの私が今すぐにでも引き剥がしますが、どういたしましょうか?」

「そうだな、引き−−」

「いやだニャー!」
(オレ様の邪魔をするとはいい度胸だニャ!)


頭を押し付けていたネコサーベルが次にとった行動に、フェンリッヒは怒鳴りつけたくなった。
ヴァルバトーゼ様の胸に抱きつき、寝子猫族特有のアホみたいに気の抜けた顔をヴァルバトーゼ様の胸に、す、素肌に押し付けて、押し付けてッ……!

フェンリッヒは歯を食いしばり、拳に力を込めた。舌打ちをしないだけましだ。


「フェンリッヒよ、俺の気のせいでなければお前が微かに震えているように見えるのだが、気分でも悪いのか?」

「い、いえ。大したことではありませんのでどうかお気になさ」

「ニャンニャンニャーン!」
(どうだ? 狼男には真似できないだろう)

「こ、こら、止めぬか!くすぐったいではないか!」


おい、誰でもいいからこのクソネコをどうにかしろ。

ゴロゴロと喉を鳴らし、ヴァルバトーゼの胸に顔をうずめしつこくすり寄るネコサーベルに、フェンリッヒの苛立ちは募るばかり。
すると、散々ヴァルバトーゼの胸に甘えていたネコサーベルが急にくるりと顔の向きだけをフェンリッヒのいる方面へと向けた。


「ウニャニャッ」
(羨ましかろう!)


その顔は、妙に勝ち誇っていた。さらに、気のせいかもしれないが俗にいう副音声というものだろうか、優越感を含んだ、人を挑発するような台詞が聞こえた。

寝子猫族は愛くるしい魔物だと?
嘘にもほどがある。この魔物のどこをどうみたら愛くるしいと言えるんだ。憎たらしい魔物の間違いだろうッ!

心の中で怒り狂うフェンリッヒをよそに、ネコサーベルは自分の可愛さをここぞとばかりに生かし、ヴァルバトーゼに甘え続ける。ふわふわで上質な毛が休みなく胸に触れるくすぐったさからか、ヴァルバトーゼは身を捩る。


「ね、寝子猫族というのは、こんなにもじゃれてくるものなのか?」

「そうニャ。みんなじゃれるのが好きなのニャー」
(オレ様の場合、ヴァルバトーゼ様限定だけどな……くくく)

「何、そうだったのか。全く知らなかったぞ!」


フェンリッヒは頭が痛くなった。ヴァルバトーゼの人を疑うというスキルがとても低いことに対してだ。
人を全く疑わないのはいい面というよりどちらかと言えば悪い面である。我が主よ少しは疑って下さい、とフェンリッヒは心の中で大いに叫んだ。本当は声にだして叫びたいのだが。


「フェ、フェンリッヒよ。何があったかよくわからんが、俺にはお前が変なオーラを纏っているように見えるぞ!」

「閣下、どうか…どうかそのクソネコを今すぐにでもこのフェンリッヒにお寄越し下さい」

「落ち着くのだフェン……んッ!?」


きゅっと目を閉じヴァルバトーゼから漏れた声に、フェンリッヒの顔がさっと赤く染まる。


「こ、この……クソネコがぁぁああ!!」

「うう、こわいニャー!」
(狼男め、ついに怒ったかニャ!……くくく)

「待ちやがれ、この、ちょこまかと逃げやがって!」


ネコサーベルはヴァルバトーゼの膝から慌てて飛び降り、首輪についた鈴をちりんちりんと鳴らしながらフェンリッヒの手から素早く逃げる。

取り残されたヴァルバトーゼは一人、話について行けず目の前で繰り広げられるフェンリッヒとネコサーベルの追い掛けっこをぽかんとした表情で眺めることとなった。


(閣下にすり寄るな!)




- ナノ -