「参ったな」
ソファで眠る主をどうするべきかとフェンリッヒは悩んでいた。
まず、放置は論外だ。
起こすという手もあるが、熟睡しているところを無理やり起こすのは好ましくない。
すると、必然的にフェンリッヒがヴァルバトーゼを寝室に運ぶという選択肢しかでてこないのだ。
悩んでばかりでは埒があかない。フェンリッヒは自分に渇を入れ、ヴァルバトーゼを寝室まで運ぶことにした。
「閣下、失礼します」
フェンリッヒはヴァルバトーゼとソファの間に手をそっと差し込むと、掬い上げるようにしてヴァルバトーゼを持ち上げる。難なく腕に抱くことができたのは良かったが、人間の血を吸うことを今も尚拒み続けているヴァルバトーゼの身体は細く華奢で、フェンリッヒが思っていた以上に軽いものだった。
(ああ、クソッ……!)
あの忌々しい人間−−アルティナという女の約束のせいで!
思い出すだけで腹が立つ。殺せるものなら殺したいが閣下はそれを許さないだろう。
フェンリッヒは小さく舌を打つと主を抱きかかえる腕に僅かに力を籠め、寝室へと歩き出した。
*
「ヴァルバトーゼ様、寝室につきましたよ」
一人で眠るにはやや大きすぎるベッドの上に、腕に抱いたヴァルバトーゼをゆっくりと慎重に降ろす。無事にベッドまで運び終えその場から離れようとした瞬間、ゆらりとヴァルバトーゼの腕が動きフェンリッヒの手首をキュッと掴んだ。
慌ててその指を解こうとするものの思いのほか強く掴まれ、フェンリッヒはその場から動けなくなり眉を下げて困り果てた。
「ヴァルバトーゼ様?」
「んっ……」
今まで反応のひとつも見せなかったヴァルバトーゼが身じろいだ。
何度か呼びかけるとヴァルバトーゼの瞼はふるふると震え、うっすらと持ち上がる。寝ぼけているのか、その瞳はどこかぼんやりとしている。
「閣下、お手を離していただけると」
「フェンリッヒ……?」
「ヴァル様?」
朧気に瞳をゆらゆらと揺らめかせながらヴァルバトーゼはフェンリッヒを捉える。
「ここに、いたのか」
それはあまりにも弱々しく、寂しさを含んだもので、その声にフェンリッヒは息を呑んだ。
ヴァルバトーゼはフェンリッヒがいることを確認すると安心しきった表情を浮かべ、フェンリッヒの手首を掴む手の力を弱めると瞼をゆっくりと閉じ、再び眠りについた。
−−ああ、何てことだ。
フェンリッヒは身体の中が熱くなっていくのを感じた。
あれでは、夢の中でヴァル様が私のことを探していたかのように聞こえてしまう。そう思っていいのだろうか。少しばかり期待しても、いいのだろうか。
「ヴァルバトーゼ様。オレは−−このフェンリッヒは、あなた様がお目覚めになるまで御側についております」
例え夢の中に私がいなかったとしても目覚めた時には、必ず。
この私が、勝手にあなた様の前から消えることはありません。この命を助けていただいたあの時から、一生ついて行くと決めたのですから。
それに、ご存知ないでしょうが私はヴァル様のことを愛しているのです。
私の一方的な想いとはいえ、愛する者の側から簡単に離れたりする気はありません。
「ですので、どうか御心配なさらないで下さい」
力の弱まったヴァルバトーゼの手からそっと掴まれていた手を抜くと、フェンリッヒはヴァルバトーゼの指と自分の指を絡ませ繋ぎ直し、小さく微笑んだ。
(私はここにいます)