慈愛を胸に



くる日もくる日も執務執務執務!
毎日書類ばかりを相手にしていると、さすがの俺も疲れてきたぞ!

むしゃくしゃした気持ちを抱きながら壁に掛けられた時計に目をやると、その短い針は今が深夜だということを示していた。
悪魔の全てが、と言うわけではないが夜は活動するに最適な時間と言われている。そう言われてはいるが、今のヴァルバトーゼにとってはどうでもいいことだった。

忙しい日を送り続けたせいか、どうも異様なまでに眠いのだ。


「寝室まで行くのが……億劫だな」


ヴァルバトーゼは眠たげに椅子から立ち上がると、よろけながら近くにあった三人掛けの大きなソファへ向かった。

−−すこし横になってから寝室に向かえばいい。
多少、眠気が覚めるかもしれない。そう考えたヴァルバトーゼは迷うことなくふかふかのソファに身体を沈める。

しかし、そういう考えを抱く者は高確率でそこで寝てしまうもの。
睡魔は強さを増し、うとうととし始めるとその目蓋を完全に閉じてしまった。





それから時計の長針が何度か動いた頃、扉をノックする音が廊下に響く。
扉をたたいたのはフェンリッヒだ。

しかし、返答がない。
断りを一言入れ、ヴァルバトーゼの私室に足を踏み入れたフェンリッヒを出迎えたのは、書類の束が置かれたテーブルと誰も座っていない椅子。
部屋の主であるヴァルバトーゼの姿は見えない。

−−もう既に寝室に向かわれたのか?
顎に手をあて考えたフェンリッヒだったが、視界の端にもぞりと動いたものが映り、それを見てその考えは一瞬のうちに消えさることとなった。


「ヴァルバトーゼ様?」


名前を呼んで見るが返事はない。近づいてみると、目蓋を閉じ無防備にソファに横たわり眠る主の姿。
小さな寝息をたてて眠るヴァルバトーゼに、フェンリッヒは頬を緩ませた。

眠っている時の顔は普段より幼く見え、非常に可愛らしい。
静かに胸を上下させるヴァルバトーゼを見ているうちに、フェンリッヒは心の奥から小さな欲がじわりと滲み出たのを感じ、ふっと笑う。

−−少しばかり、自分の気持ちを表に出してしまいたい。
頬にかかる黒髪を指先で優しく払うと、その顔にゆっくりと己の顔を近づける。


「……これくらい許されますよね、閣下?」


白い頬に、知られることのない口付けがそっと落とされた。


(お許し下さい、閣下)




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