「なぜこのオレさまがこんな場所にいなければならんのだ…」
赤く大きなマフラーを首に巻いた青い髪の少年−−ラハールはぶつくさと文句を言っては溜め息を吐いた。
このラハールという少年は世界の異常事態に巻き込まれ、解決して以来も時々この地獄にやってくる別魔界の魔王だ。
久々にあのイワシ好きな細っこいヤツの顔でも見てやろうと地獄に足を運んだわけなのだが、地獄に着いた瞬間僧侶に声を掛けられ−−気がつけばこの薬品の匂い漂う保嫌所に押し込まれていた。
「全く、なんなのだあの僧侶は。人に治療役を押し付けて自分はショッピングだと? こういうことはプリニーどもに任せておけば……」
オレさまは治療役なんてやりたくないぞと文句をいいながらもラハールは薬箱を用意する。
言っていることとやっていることが矛盾していることに本人は気付いていないようだ。
「あの僧侶め、補充までオレさまに任せるつもりか!」
念の為に薬箱の中を見てみたところ、包帯がきれかかっていた。補充くらいちゃんとしておけ、と愚痴るとラハールは部屋を手当たり次第に漁り始める。
探す気力が失せ始めてきたころにようやくお目当ての物を見つけ、何度目かわからない溜め息を吐くとラハールはそれを一つ手に取った。
「……ん? ラハールではないか。何故ここに…」
扉を開ける音に驚き、短パンのポケットに勢い良く包帯を突っ込み振り向くと、そこには腕を押さえたヴァルバトーゼが立っていた。
保嫌所と無縁そうなラハールがここにいることに不思議がっているようだった。
「あー…お前のとこの僧侶がな。それよりどうしたのだ、その傷は」
「ああこれか。アイテム界に潜っていたのだが、少しばかり油断をしてしまってな」
「治療魔法は?」
「残念ながら今の俺には魔力がなくてな」
ふっと笑うヴァルバトーゼの細い腕から血が流れぽたりと床に落ちる。
聞けば、あの口うるさい人狼の執事−−フェンリッヒには秘密で僧侶も連れずにひとりでアイテム界に行っていたようだ。
怪我をしたことが執事にバレると何かと煩いことになるので隠れながらここまで来たようだが、これは絶対に後からバレるだろうなとラハールは思った。
「過保護な家臣がいるのは大変だな…」
「ラハールよ、今何か言ったか?」
「……そこに薬箱を置いておいたから、勝手に治していくがいいと言ったのだ」
「ふむ、そうか!」
ヴァルバトーゼはラハールの言葉になんの疑いもなく素直に頷くとベッドに腰掛け、怪我を負った腕の手当てを始めるべく置いてあった薬箱を引き寄せると薬品臭い箱の蓋を開けた。
*
傷はヴァルバトーゼの思っていた以上に深いものでなかなか出血が止まらなかった。
治療魔法がないと辛いか−−ヴァルバトーゼは顔をしかめながらそう呟く。
暫くその様子を見ていたラハールだったが、不機嫌そうに椅子から立ち上がるとヴァルバトーゼの前に立った。
「腕を出せ」
「何…?」
「腕を出せと言ったのだ!」
「腕を、だと? いきなりなん−−」
「ええいうるさい、ヒールくらいならオレさまでも使えると言っておるのだ!」
大声でそう言い切ると、ラハールはヴァルバトーゼの返事も聞かずに勝手にその腕に治療魔法をかけ始める。その行動にヴァルバトーゼは純粋に驚いた。
やがてラハールの手から溢れ出していた淡い魔力の光は傷口を塞いだ。
塞がったのを見てヴァルバトーゼは軽く腕を動かしてみる。ピリピリとした痛みと違和感はあるものの、どうやら治ったらしい。
「治療魔法が使えると言ってもオレさまのは僧侶たちのと比べたら威力が低い。下手をしたら傷口が開くから包帯でも巻いておけ」
ラハールはぷいと顔を背けヴァルバトーゼから離れたかと思うと、背中を向けたままヴァルバトーゼに向かって白い塊を放り投げた。
まだ誰にも使われていない新品の包帯はひゅんときれいな弧を描くと、ヴァルバトーゼの手の中に吸い込まれるようにして収まった。
「オレさまはもう帰る。こんな所にいてもつまらんだけだ」
「魔王ラハールよ、礼を言うぞ」
「フン、悪魔が悪魔に礼を言うとはな。全く、変なヤツだ」
「くくっ……。それを言うなら、悪魔が自ら治療を申し出るほうが変ではないか?」
「う、うるさいぞ! 怪我人は怪我人らしく大人しくしていろ!」
ラハールは顔を真っ赤にさせて怒鳴るとマフラーを翻して部屋を出て行った。
勢い良く扉が閉められたのを見て、ヴァルバトーゼは小さく笑う。
「なんだ、思っていたよりもいいヤツじゃないか」
次に会った時はアイテム界にでも誘ってみるかと考えながら、ヴァルバトーゼはラハールから受け取った包帯を腕に巻き始める。
さて、フェンリッヒが来るまで暫く此処にいるとするか。
(別に、心配したわけではないぞ!)