》約束を抱いて眠る−その後B




「なんだ此処は…」


がばり、と勢いよく半身を起こしたヴァルバトーゼは何度も眼を瞬かせた。

どこもかしこも花一色。一面が目に優しい色の花で溢れていて、おまけに空が青く輝かしい。
その風景にヴァルバトーゼはむっと眉を顰めると先程から疑問に思っていたことを口に出す。


「俺は死んだ筈だが−−何故、生きているのだ?」


おかしいぞと首を傾げ、ぺたぺたと身体のあちこちを触り始める。
試しに思いっきり強く頬をつねってみたが……痛かった。

じんじんとした痛みを訴える頬にヴァルバトーゼはつねるんじゃなかったと数秒前の自分を責めた。
とりあえずこのまま座り込んでいてもどうにもならない。ヴァルバトーゼは徐に立ち上がると歩き出した。







「これはどういうことだ。景色が一向に変わらんぞ」


どこを歩いても視界から消えることのない花たち。まるで、同じ場所を延々と歩き回っているようだ。

ヴァルバトーゼは溜め息を吐く。こうも変わらないと気味が悪い。
石が落ちてる、或いは木が一本生えているなどのちょっとした変化があってもいい筈だろう!
全く、俺はとんでもない世界に来てしまったようだ。

ヴァルバトーゼは呆れたようにぼやくと歩みを止め立ち止まり、頭をたれて下を向くと何度目かわからない溜め息をふうと吐いた。


「小石のひとつやふたつ、落ちていないものか。流石に不安になって−−」

「ヴァルバトーゼ様?」


突如として聞こえた馴染みのあるそれに、ヴァルバトーゼは俯いていた顔を勢いよく上げた。

そこには長年の間、自分に付き従っていた人狼族の執事−−フェンリッヒが自分と同じように驚いた表情で目の前に立っていた。


「フェンリッヒ!? 何故ここに−−いや、いつの間に現れた。それにここは何処なのだ」

「……そうですね、ここは俗にいう死後の世界とやらになります」

「し、死後の世界だと!?」


さらっと言われた言葉に、ヴァルバトーゼはぽかんとした表情になる。そして、冷静さを欠いた声をあげた。
だが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「では、やはり俺は死んだ身なのか。しかし、それではお前も−−」

「フフッ…。御安心下さい閣下、私は生きております」

「む?」

「一時的なものですが、死後の世界とやらに行く方法を見つけたので試してみたのですよ。この様子だと、無事に成功したようです」


フェンリッヒの発言に、ヴァルバトーゼは唖然とした。
死後の世界に行く手段があったのかと驚く反面、失敗したらどうするつもりだったんだコイツはと呆れ、ヴァルバトーゼは小さく息を吐くとフェンリッヒのことをじいっと見つめた。


「とは言っても今回ばかりは訳が違うので−−少しばかり強引な方法を使いましたが」

「ご、強引ってお前…。まさか時空の渡し人を脅し、死力の限りを尽くさせた、とかではなかろうな?」

「流石は我が主、よく御存知で」


にこりと微笑み、恭しく頭を下げるフェンリッヒにヴァルバトーゼは低く唸る。

渡し人を務める者につめ寄るフェンリッヒの姿が安易に想像できてしまったからだ。きっと、つめ寄られた相手は過労死寸前まで働かされたに違いない。
何故かそう断言できる自信がヴァルバトーゼにはあった。


「ところでフェンリッヒよ、お前はいつまで此処に居られるのだ?」


ヴァルバトーゼは今一番気になっていたことを尋ねた。
一時的、と言っていたがどのくらい滞在可能なのだろうか?

此処は死後の世界とやらで、フェンリッヒは自分と違い生者だ。そう長くはいられないだろう。
だが、できることならもう暫くの間フェンリッヒと話しをしていたい。


「……実のところ、その一時的というものがどのくらいのものなのか私にもわからないのです」

「そ、それは大丈夫なのか!?」

「まあ、問題はないでしょう」


いや、問題あるだろう。
そう即座に言えば、フェンリッヒからは「一時間でも一日でも、一週間だったとしても私は全く困りません」と返ってきた。
死後の世界に生身で来ているというのに、そんな適当で良いのだろうか。いや、ダメだろう。

ヴァルバトーゼは腕を組むと、むっと唸る。話題でも変えるかと思った時、ヴァルバトーゼはあることを思い出した。
何故、こんなにも大切なことを忘れていたのだろうか。


「−−そういえば、お前に言いたいことがあったのだ」

「私に、ですか?」

「ああ」


不思議そうに聞き返すフェンリッヒにヴァルバトーゼは眉を下げ、目を伏せると口を開く。


「俺はお前に嘘をついてしまった」

「閣下、それは−−」

「ああ、あの時の事だ。あの時はお前との約束を守ることが出来ず、すまなかった。本当にすまなかった……!」


ヴァルバトーゼはあの時交わした約束を自ら破ってしまったことをどうしても謝りたかったのだ。
こんなにも大切なことを今の今まで忘れていたのが不思議なくらいだ。

頭を下げるヴァルバトーゼにフェンリッヒは驚いたように目を見開くと、困ったように笑いゆっくりと首を横に振った。


「あれは、閣下が嘘をついたのではありません。私が、閣下に嘘をつかせてしまったのです」


その言葉に、ヴァルバトーゼは不思議そうに目をぱちぱちと瞬かせる。


「私が取り乱し、閣下に心配を掛けさせるようなことをしなければ−−閣下に無理な約束をさせることはなかったのです」


私の方こそ、申し訳ございませんでした。
膝をつき、深く頭を下げればヴァルバトーゼが慌てた様子でフェンリッヒの頭をすぐさまあげさせた。

その際に、二人の視線がかちりと合った。
何か言いたげに口をもごもごとさせながら視線をさまよわせるヴァルバトーゼの姿にフェンリッヒはくすりと小さく笑い、ゆっくりとした動作で立ち上がると自分よりも少しばかり身長の低い主の隣に並び、花畑を歩いた。

地獄の近況、他の魔界の様子−−時には昔話でもしながら花畑の中を進んで行く。
あんなことやこんなこともあったなと懐かしむヴァルバトーゼの横顔を、フェンリッヒはただただ静かに見つめていた。

−−いつからか、青空が夕焼け色に変わっていた。


「−−む、フェンリッヒよ、何かあるぞ!」


ヴァルバトーゼの指差す先には一枚の扉。アイテム界に存在する扉に酷似した扉だった。

ヴァルバトーゼは興奮気味にフェンリッヒの手を取ると駆け出した。フェンリッヒは穏やかに笑い、小言ひとつもらすことなくその手に引っ張られる。そして−−







「おい、フェンリッヒ! ヴァルバトーゼが死んでつらい気持ちはわかるけど、閉じこもってばかりじゃどうにもならないぞ。出てこいってば!」

「そうよフェンリっち、エミーゼルの言うとおりよ。はやく出てきなさーい!」


フェンリッヒの部屋の前で大声をあげているのは少女と少年−−フーカとエミーゼルだ。
ドアノブを捻るが鍵が掛かっているらしく、ガチャガチャとうるさい音しか立たない。
このため、二人は扉の前でこうしてひたすら声をかけ続けているのだ。


「フェンリッヒ、鍵を開けろ!」


ヴァルバトーゼが死んでからというもの、フェンリッヒの様子はどこかおかしかった。
何時も浮かべていた不敵な笑みの代わりにどこか影のある笑みが増え、棘のある言葉は段々と減り−−そして、全てにおいて覇気がないのだ。


「このっ、はやく出てきなさいってばー!」


扉を叩いたりしながらフェンリッヒに向かって声を荒げるがそれに対しての反応は一切ない。その様子にアルティナが不安げな表情のまま口を開く。


「あの、何かおかしくはありませんか? このなかに狼男さんがいるとしても、いやに静かすぎるといいますか……」

「−−デスコ、今すぐ扉を破壊しなさい!」

「は、はい、おねえさま。わかったデス!」


フーカの命令にデスコが慌てながら頷くと、それに応えるようにデスコの背後で浮いていた触手が一斉に扉を襲い突き破る。勢いよく突かれた扉はその威力に耐えきれず、破片となってあちこちに飛び散った。
こんなことをすれば怒鳴るか悪態をつきながらフェンリッヒが現れる筈なのだが、やはり何の反応もない。

急いで部屋に足を踏み入れた四人は内部の様子に眉を顰め困惑した。
明かりが一つもついておらず真っ暗で、おまけに空気が悪い。いや、悪いという言葉で片付けられるものではない。この臭いは一体−−


「ちょっと、エミーゼル。魔法かなんかで明るくして」

「え、あ、うん」


言われるがままにエミーゼルは呪文を唱え、明かりを灯す。

その瞬間、デスコが小さな悲鳴を漏らしフーカの後ろに隠れた。
顔を真っ青にさせかたかたと震えるデスコのその尋常ではないほどの怯えように、フーカたちは首筋にひんやりとしたものを感じた。

震えながら指差された方向は−−部屋の奥。三人は恐る恐るその方向に視線を移し、目を見開き立ち尽した。


「う、嘘だろ? そんな−−」


穏やかな笑みの下、床に敷かれた絨毯は黒く乾いていた。


(嘘をついてまで貴方の背中を私は追った)




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