約束を抱いて眠る



「朝、か」


目が覚めたヴァルバトーゼは半身を起こし、ベッドから降りようとする。
だが、それは強い目眩に襲われたことにより適わなかった。

−−またか。
ベッドに倒れ込んだヴァルバトーゼは唇を咬んだ。

いつからだったか体調が優れない日がふえていった。なかでも目眩が一番酷く、日を追うごとにその頻度は増していた。
一日一回の頃が懐かしく思う。今では両手両足の指では足りない。爪の数を含めてもだ。

最近では目眩の後に必ず頭の中をかき乱されるような気持ちの悪い感覚に襲われる。
ぐるぐると頭の中がまわり始め、背筋が凍るような得体の知れない何かに頭の中を埋め尽くされるのだ。


「……、…」


ヴァルバトーゼはきつく目を閉じ、服の胸元を握りしめるとその手に力を籠めた。
耐えればいい、今回もいつもと同じように耐えきればいいのだ。助けなど求める訳には−−







ヴァルバトーゼの部屋を訪れたフェンリッヒは不審に思い眉を顰め、視線を巡らす。
見るかぎり変わったところはないのだが、何かがおかしいのだ。
試しに主の名を呼んでみるが、返ってくるのは静寂のみだった。

−−嫌な予感がする。
ざわざわと音を立てながら胸に広がっていくその予感に急かされ、フェンリッヒは寝室の扉に手を掛けた。


「−−閣下ッ!?」


寝台には胸を押さえ、額に汗を浮かべながら苦しむヴァルバトーゼの姿があった。
その姿にフェンリッヒは血の気が引いていくのを感じた。呼吸は浅く不規則で、一目で危険な状態だとわかる。

このままではいけないとフェンリッヒはありったけの声量で僧侶の名を叫ぶ。
響き渡ったそれに名前を呼ばれた女僧侶は金色の長い髪を靡かせながら飛んで駆けつけ、ヴァルバトーゼを見るや否やすぐさま術を展開させた。

次第にヴァルバトーゼの呼吸は安定しはじめ、その表情も穏やかなものに変わる。だが、僧侶の表情は厳しいままだ。


「フェンリッヒ様、申し訳ありませんがこれは私の専門ではございません」

「どういうことだ」

「早急に呪術師をお呼び下さい。術の一部が弾かれました」


呪術師。
その言葉にフェンリッヒの頭の中は一瞬白に染まった。

あの頃の−−暴君と名を馳せていた時のヴァルバトーゼならば問題はなかっただろう。
だが、今はほとんどの魔力が失われている状態、自らの力で呪いを解くことなど出来るわけがない。ましてや、これが強力な呪術だとしたら−−


「おい、呪術師は……何人呼べばいい」


それは悪魔や人間の命を何百と使う悪質で複雑な呪いだと呪術師たちは口を揃えて言った。
解くまでには時間がかかりそれまでにヴァルバトーゼの身体が保つか分からないと言われ、フェンリッヒは言いようのない絶望感に襲われた。

呪いの進行は速く、今では僧侶の術が効かなくなるまでにヴァルバトーゼの身体を蝕んでいった。そして−−


「……っ!」

「ヴァルバトーゼ様!」


瞼をきつく閉じ、震える手で口を押さえ苦しげに咳き込んだヴァルバトーゼはついにフェンリッヒの前で膝をついた。
何が起きようとも気丈な態度を見せ続け、弱った姿を晒すことを避け膝だけはつくまいと努力していたのに、ついにそれさえも砕けてしまった。

顔を青くさせているフェンリッヒにヴァルバトーゼはぎこちなく微笑む。


「これしきのことで、俺は死んだりはせん」


こんなものすぐに治る。だからそんなに心配するな、フェンリッヒよ。

衰弱しきったヴァルバトーゼの姿に、フェンリッヒは思わずその身体を引き寄せ腕に抱いた。
微かに感じる温もりに涙腺が緩みかけた。

−−ああ、また一段と細くなられた。
何も出来ない自分が悔しい。閣下が弱っていく姿を、刻一刻と死に向かう様子を、見ていることしかできないというのか……!


「なあ、フェンリッヒよ」

「……はい、閣下」

「約束を、しよう」


俺は、お前を残して死んだりはしない。
腕に抱かれたヴァルバトーゼは小さな声でそう告げると、フェンリッヒの肩に顔を寄せた。その姿にフェンリッヒは黙ってヴァルバトーゼの身体を強く抱きしめることしかできなかった。

ふと、視界の端に自分の背に回されていないだらんと下がったヴァルバトーゼの白い手が映る。
その手のひらにフェンリッヒは目を見開き、愕然とすると唇を強く噛みしめ己の無力さを嘆いた。

それが、咳をした時に口を押さていたほうの手だと嫌でも分かってしまったからだ。



程なくして、暴君ヴァルバトーゼの死は魔界全土に知れ渡った。



(約束をしようではないか、フェンリッヒよ)




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