「……眠れない」

 自宅のベッドの中で、臨也はぼそりと呟いた。
 現在の時刻は午後6時をまわったところで、臨也は少々厄介な仕事から解放され、約二日ぶりに柔らかいベッドに飛び込んだところだ。
 二日も寝ていないので当然眠かったが、妙に頭が冴えて眠れなかった。夕飯も食べずに布団に潜り込んだというのに、これでは意味がない。かといって、これから夕食を作って食べたり、食べに行ったりするほどの気力もなかった。徹夜明けの身体は重く、素直に睡眠を求めている。
 しばらくベッドの中で眠りに落ちるべく目を閉じていた臨也だが、いくら待っても眠気はやってこなかった。それどころか、眠ろうとすればするほど頭が冴えていくような気さえする。
 このままベッドでじっとしていても埒があかないと判断した臨也は、がばっと勢いよく飛び起きた。携帯で時間を確認し、寝室を出てコートを羽織る。
 仕事が終わった途端優秀だが優しくはない秘書は早々に帰宅し、事務所には臨也以外誰も居ない。無人の事務所を、軽い足取りで出ていく。
  寝ていないせいで身体はだるいが、徹夜でハイになったテンションのおかげで気持ちは軽かった。頭がふわふわしていて、あまり物事を深く考えられていない気がする。
 向かう先は池袋にある恋人の自宅だ。
 恋人、兼、臨也専用安眠枕である、平和島静雄の。




 すっかり通い慣れた道を通って静雄のアパートに着いた臨也が呼び鈴を鳴らすと、数秒の後がちゃりと扉が開いた。

「こんばんは、シズちゃん」
「おう。すげえ隈だなお前……」
「うん。寝かせて」

 静雄に迎えられて、室内に入る。部屋の中はこの間来たときと全く変わっていなかった。静雄に抱き締められる時に感じる匂いを、うっすらと感じる。この部屋に来ると、静雄の存在を強く感じて、それだけで気が抜ける。その感覚は嫌いではなかったが、若干複雑でもあった。自分が静雄にどれほど骨抜きにされているかということが突き付けられているようで、むず痒い気分になる。
 コートを脱いで、ベッドに敷いてある布団一式から毛布を引っ張り出す。鍵を閉めて部屋に戻ってきた静雄は慣れたように臨也から毛布を受け取り、クッションを引き寄せてそのクッションの上に座った。ちなみに、クッションはこういうときの静雄のために臨也が持ち込んだものだ。座り心地については、普段主にそのクッションを使っている臨也の保証付きである。
 静雄が胡座をかいて座り、毛布を横に置いて自身の足をぽんぽんと叩くと、臨也はするりと猫のように静雄の足を跨いで座った。両足を静雄の腰に巻き付けるようにして静雄の足の間にすっぽり収まると、両腕も静雄にしっかり巻き付けて静雄の首筋にすり寄る。静雄は横に置いた毛布をばさりと広げ、臨也の身体を包み込むように毛布をかけた。その上から柔らかく抱き締めて、ぽんぽんと背中を叩いてやる。
 楽な体勢を探すようにもぞもぞと身じろぐ臨也の背を撫で、動いたせいでずれた毛布をかけ直した。臨也はちょうどいい場所を見つけたのか、すぐに大人しくなる。触れ合っているところが、じんわり暖かい。
 これだとすぐに眠りそうだな、と判断した静雄は、臨也の柔らかな髪を撫でながら囁く。

「おやすみ、臨也」
「……うん、おやすみ……しずちゃん」

 既に半分眠りの世界に落ちている臨也の、呂律の回っていない挨拶を聞いて、静雄は口元を緩めた。静雄の言葉に安心したようにすとんと眠りに落ちた臨也の背を撫でながら、静かな寝息を聞く。

 早めに風呂に入っておいてよかった。時計を見て、静雄はぼんやりとそう思う。臨也は、静雄の傍だとぐっすり眠るが、静雄が傍を離れると大体二回に一回は起きてしまう。隈も酷く、おそらく徹夜明けなのだろう臨也を起こしたくはないから、静雄も臨也の傍を離れる気はなかった。となると、これから入浴することは難しかっただろう。
 まあ今日は問題ないわけだしいいかと結論を出して、静雄は完全に力の抜けた臨也の身体を抱え直した。相変わらず薄っぺらい身体だ。不規則な生活をしているからだ、と眉を寄せるが、このひょろひょろの身体が静雄から逃げ回れる程度には鍛えていることも知っている。普段は体温の低い臨也の身体も今は温かく、この体勢だと見えないが、間抜けなくらい穏やかで幼い顔で眠っていることが想像できた。

 臨也がこうして眠りに来るようになったのはいつからだったか。恋人として過ごすようになって、そんなに経っていなかった頃だと思う。ある日寝不足でふらふらの臨也を捕まえて、こうして抱き締めてやったら、それまでぎゃあぎゃあ騒いでいたのが嘘のようにぱたりと眠ってしまったのだ。臨也が起きたあとに聞いてみると、時々眠れなくなることがあるという。それが静雄に抱き締められた途端、一気に眠くなって、我慢できなくて眠ってしまったともごもご口にした臨也に、じゃあ眠れない時は呼べと言った。それ以来、眠れないときには静雄を呼ぶか、あるいはこうして唐突に家にやって来るようになった。
 静雄は、こうして臨也を眠らせる時間が嫌いではない。むしろ好きだ。へらへら笑っているくせに警戒心の強い臨也が、静雄の腕の中でその警戒心をすっかり緩ませてむにゃむにゃ言っている姿を見ると、臨也が無性にいとしくなる。眠れなくなるほど昂っている、臨也の精神に張り詰めた糸を、弛ませることができる。それは、臨也が静雄の傍で心を休ませているという、何よりの証明だ。
 ずるりと、静雄の背中に回っていた腕がずり落ちるのを感じた。臨也が眠りに落ちたことで力が抜けたのだろう。毛布に包まれていない両腕が冷えてはいけないと、片手で器用に臨也の両手を毛布の中に入れる。臨也はんん、と小さく声を出してもぞりと身じろいだ。シャツが引っ張られる感覚で、静雄が着ているシャツの裾を掴んだのだろうと知れる。

「……、」

 かわいいなと思わず口に出しそうになった。すがりつくような仕草。離さないとでも言いたげな。眠っているくせに。
 こいつこんなかわいくて大丈夫なのか。俺が。
 静雄は心の中でそんなことを呟いて、じっと腕の中の臨也を見下ろした。寝息と共に微かに上下する肩に、無防備に晒される首筋。頭を撫でると、臨也の髪の柔らかさが分かる。そっと髪に指を絡ませれば、滑らかな髪は引っ掛かることもなくさらりと指から逃げていった。
 ――臨也の耳の後ろに顔を寄せて、臨也の匂いを吸い込みたい。そうすると臨也は、きっと真っ赤になって「匂い嗅ぐな!」とじたばた喚く。それを押さえ込んで無理矢理続けると、その内諦めてじっと耐えるようになる。そうなってから顔を覗き込むと、真っ赤な顔で睨み付けてくるのだ。あの顔がたまらない。
 想像したらますますやりたくなったが、今臨也は眠っているのでやめた。そういうのは起きてからで充分だ。何より、匂いを嗅ぐと舐めたくなるし、舐めたら噛みたくなるし、噛みついたらキスしたくなる。そうなったらもう行き着くところはひとつだ。静雄は臨也がかわいいから可愛がりたいと思うが、甘やかしたいとも思っている。特に、こんな風に疲れてやってくるときには。
 すやすやと眠る臨也の背を撫でて、静雄は臨也の丸い頭にキスをした。





 しばらく飽きることもなく、ぐっすり眠る臨也の姿を見つめていた静雄だったが、ふと気付いて携帯で時間を確認すると、大分遅い時間になっていた。

「……俺もそろそろ寝るか」

 臨也の身体を、毛布ごとそっと抱える。ベッドから掛け布団を捲って、シーツの上に臨也の身体を下ろすと、シーツが冷たかったのか臨也は眉を寄せてううんと唸った。ごろりと寝返りをうち、もぞもぞと何かを探すように手が動く。
 静雄は素早く毛布と掛け布団をかけ直すと、臨也の隣に潜り込んだ。静雄に背を向けている臨也を後ろから抱き締めるようにして、未だもぞもぞと動き回る臨也の手のひらを握ってやる。何かを探すような動きはぴたりと止まり、数秒の後にきゅっと軽く握り返してきた。それを確認して、静雄も目を閉じる。
 本来一人用のベッドは二人で寝るには少し狭いが、静雄は密着せざるを得ないこの狭さが好きだった。とはいっても臨也の広々としたベッドで眠るのも好きだったので、結局臨也と寝るのが好きなだけなのかもしれない。

「……おやすみ」

 誰に言うでもなく呟いて、静雄は意識を眠りに沈ませた。









 翌朝静雄が起きたとき、臨也はまだ夢の中だった。昨夜は静雄に背を向けるようにして眠っていたはずが、いつの間にか向き合う体勢になっている。静雄がそうしたのか、あるいは臨也が寝返りを打ったのか。寝起きに恋人の寝顔を見るというのは、幸せなような、刺激がきついような……複雑な気分だ。
 欠伸を噛み殺して、臨也を起こさないように布団から抜け出た。静雄には今日も仕事がある。臨也はおそらく休みだろうが、朝食を食べるためにとりあえず一度は起こさないといけないだろう。静雄は臨也に少しでも健康的な生活をさせることを、ひっそり今年の目標のひとつにしている。
 とはいえ仕事の日の朝からあまりがっつり料理をする気はないので、玉子やベーコンを焼く程度の簡単なものだ。ついいつもの癖で煙草を取り出したが、ふと臨也の寝顔が目に入って、やめた。箱に煙草を戻しながら、棚からフライパンを取り出す。臨也と居ると煙草の減りが遅い。いいことだ。健康にも財布にも。


 簡単な朝食を作り皿を並べて、ベッドの上の臨也の顔を覗き込む。それなりに物音を立てたにも関わらず、臨也はまだぐっすり眠っていた。

「臨也」
「……」

 名前を呼んでも、ほとんど反応はない。微かにぴくりと指先が動いたように見えたが、それだけだ。頬を撫でながら、もう一度呼ぶ。

「臨也」
「……んー……」

 臨也がむずがるように首をすくめた。半分布団に埋まるようなかたちになる。子供のような仕草だ。起きたくないと全身で主張している臨也に、静雄は表情を緩ませる。
 付き合い始めた当初は、臨也は寝起きがいいのだと思っていた。寝付きが悪い割に寝起きがよく、眠りが浅いタイプなのかもしれないなと考えていたくらいだ。それがいつからか、いつも静雄より早く起きてちょこまか動いていた臨也が、静雄が起きてもベッドに居るようになり、静雄より起きるのが遅くなり、今では静雄が起こさないと起きない上に非常に寝起きが悪い。手間がかかるとは思うが、それも心を許されているのだと思えば可愛く感じる。

「臨也、起きろ。朝だぞ」
「……うん……」

 臨也が小さな声で言葉を返してきた。どうやらようやく意識が覚醒しはじめたようだと判断して、静雄が臨也の頬を撫でる。静雄の手のひらにすりよるようにしながら、臨也がうっすら目を開けた。

「……まぶしい」
「朝だからな。ほら、起きろ」
「……まだねる」

 そう言って目を閉じる臨也に、静雄は仕方ないなと息を吐く。その間にももぞもぞと布団に潜ろうとする臨也の頬にキスをして、布団を捲って臨也の脇の下に手を突っ込んで抱き起こした。
 さすがに目が覚めてきたのか、臨也がぱちぱちとゆっくり瞬きをする。すんすんと鼻を鳴らして、ぼんやりした瞳のまま静雄を見上げた。

「……ごはん……」
「ああ、できてる。冷めるぞ。起きるだろ?」
「……起きる」

 臨也はようやく起きることにしたようだ。それでも多分手を離すとまた布団に逆戻りしかねないので、静雄はそのまま臨也を抱き抱えてテーブルの前に下ろした。そして自分もその向かいに座る。

「いただきます」
「……だきます……」

 臨也はまだ半分寝ているらしい。後半しか聞こえなかったが、しっかり手を合わせてはいる。朝食に顔から突っ込んだら大変だと注意して見ていたが、数秒の後のろのろと朝食を食べ始めた。ここまで来ればあとは大丈夫なはずだ。今までの経験上、朝食を食べ終わる頃にはいつもの臨也に戻っている。

「ごちそうさま」
「ごちそうさまー」

 今日も普段通り、食べ終わって手を合わせる時にはいつもの臨也だった。流しに皿を下げて、携帯で時間を確認する。

「シズちゃん、片付けはしとくから着替えたら? そろそろ準備しないと仕事の時間間に合わないんじゃない?」
「あー……そうだな。頼む」

 臨也の言う通り、そろそろ準備を始めないと急がない限り間に合わない時間だ。臨也が片付けを始めるのを眺めながら、着替えを済ませる。準備を済ませると、いつも家を出る時間になっていた。

「俺は仕事行くけど、お前今日どうすんだ?」
「今日休みだからここ借りてるね」
「分かった。鍵はかけとけよ」
「はいはい。じゃあいってらっしゃい」

 静雄には、わざわざ玄関先まで来てひらひら手を振る臨也が、たまらなく可愛く見えた。静雄を見上げる臨也に顔を寄せて、ちゅっと音を立ててキスをする。

「いってくる」
「……いってらっしゃい」

 臨也はぽかんとしていて、反射で言葉を返したようだった。かわいい。静雄は小さく笑って、外に出て玄関の扉を閉めた。できればすぐに我に返って、静雄の言葉を思い出して玄関の鍵を閉めてくれるといい。そう思いながら、たった今見たばかりの臨也の赤い顔を思い出す。今日の仕事は、なんだかうまくいきそうだった。

















===

静雄が若干変態くさいかなって思ったけど、過去にかいたものを思えば全然たいしたことなかった!
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -