『送信しました』
画面に表示される見慣れた文字列をぼんやり見ながら、思わずため息をつく。今送信したばかりのメールの宛先はシズちゃんのアドレスで、勿論シズちゃん宛のメールだ。

シズちゃんと、大晦日と正月を一緒に過ごせたら、と思っていた。仕事かもしれないし、家族と過ごすかもしれない。でも、もしかして。そんな小さな期待で、大晦日から正月のの予定をメールで聞いてみた。
『年末は仕事が忙しいから、大晦日も多分無理だと思う。悪い』
返ってきたメールの内容は予想通りのものだったけど、思っていたよりがっかりしている自分に気づいた。仕事なんだから、仕方ないじゃないか。そう自分に言い聞かせても、気分は晴れない。波江さんも大晦日と正月は休みをとらせているし、俺は一人で大晦日や正月を迎えることになる。初詣に行くという選択肢もあるが、一人ではあまり行く気にもならなかった。人間観察には最適の場所と環境だと思うし、去年なら一人だろうがなんだろうが気にせずに行きたいと思ったら行っていただろう。だが、今年はなぜか一人で行く気はしなかった。…なぜか、ではなくて、きっとシズちゃんと一緒にいるお正月というのを想像してしまったからだと思うけど。
仕事で時間を潰そうにも、流石に情報屋の仕事も大晦日や正月まではない。その前後にはぎっちり仕事が詰まっているが、時間を潰していたいその時間にはなんの予定もない。今この瞬間もじわじわと迫ってきている、予定のない空白の時間を思って、俺はひっそりと二度目のため息をついた。


***



「…あー…」
大晦日。朝から時間を持て余し、無駄に手をかけておせちを作ったり、年越し蕎麦を作るつもりで材料や道具を買いに行ったりしていたのだが、やることもなくなってしまった。年越し蕎麦を作り始めるにしても、まだ早い時間だ。
ぼんやりとテレビを見ながらも、思い浮かぶのはシズちゃんのことばかりだ。紅白も、格闘技も、バラエティー番組も。もしかしたら、シズちゃんと見ていたのかもしれないと思うと、どうにも楽しめなかった。
…どうしてもシズちゃんと一緒に年を越したいと言ったら、シズちゃんは仕事を抜けてきてくれただろうか。
考えて、駄目だ、と頭を振った。そんなわがまま、言える訳がない。
俺が一緒に過ごしたかったなんて言ったらシズちゃんはきっと気にするだろうから、『俺も仕事があるから気にしないで』なんてメールを送ったけど、残念ながら今の俺に強がる余裕などはなくて、そんなメールを送ったことをほんの少し後悔していた。あのメールを送らなければ、もしかしたら年越しの瞬間だけでも、シズちゃんが来てくれたかもしれない。
そんなこと、今更考えても無駄だけど。
画面の中の番組は、今年の終わりと新年を迎えるその時を盛り上げようと賑やかに喋っている。年の終わりの独特の雰囲気は、普段ならば俺の気分を高揚させるのに充分なものなのだろうけど、残念なことに今の俺にとっては逆に『シズちゃんのいない年末』を強く実感させるだけのものだった。

虚しさばかりを引き立てるテレビの電源を切って、時間を潰すために手作りにしようと決めた年越し蕎麦を作ることにした。



「…作りすぎた…」
どう見ても一人分ではない蕎麦を見下ろして、はあ、と深いため息をついた。やけ食いするにしても多すぎるそれは、二人分にしたって多い。
…シズちゃんがいたら、食べてくれたのに。
そんなことを考えて、はっと我に返った。やめろ俺、シズちゃんのことは考えない方がいい。落ち込むのが分かっていて考えるなんて馬鹿以外の何者でもない。
とりあえず、一人分だけ年越し蕎麦を作り、あとは冷蔵庫にしまっておく。

…なんていうか、うん。一人鍋も虚しいけど、一人で年越し蕎麦っていうのもかなり虚しいということを知った。

***


「…もう寝ちゃおうかなー…」
年越し蕎麦を食べた器や箸を片づけ、静寂に耐えきれずにつけたテレビをぼーっと眺めながら小さくつぶやいてみた。誰からも返事は返ってこない。当然だ、だってこの場には俺以外に誰もいないんだから。返事があったらホラーだ。俺は人間は愛してるけど幽霊は愛せない。

…虚しい。なんだろうこの虚しさ。ぼんやりとテレビを見つめても、全然楽しくない。虚しさを引き立てるだけだ。ぷつりとテレビの電源を切って、自室へ向かう。
もう寝ようそうしよう。朝起きたらもう新年が始まっていて、俺は一人でお節を食べて、それから池袋に人間観察に行く。そのころにはもうこんな虚しさは感じなくて、俺はいつものように人間愛を叫べるはずだそのはずだ。

慣れた感触の柔らかいベッド。固くもなくて、煙草の臭いもしないそこに横たわって布団をかぶる。

「…シズちゃんの、ばーか」

小さな声で八つ当たりをして、目を閉じた。



***


「…臨也。寝てんのかよ」
馴染み深い声に、意識が浮上する。瞼は重く、目を閉じたままぼんやりとその声を聞いた。
シズちゃんの声だ。
けれど、シズちゃんがここにいるはずもない。シズちゃんは仕事中で、真面目なシズちゃんが仕事を抜け出すはずもないし、俺だって仕事があると嘘をついたのだ。シズちゃんがいるはずない。じゃあ、夢か。
早々に結論を出した俺は、またゆるりと夢の中に戻ろうとする。眠いし、なによりシズちゃんの夢なんて見たら、覚めたときの寂しさが倍になることは分かりきっていた。夢なんて見たくない。もっと深く深く眠りに落ちようと、睡魔に引っ張られるままに意識を沈めていく。
「おい、臨也。今日大晦日だぞ。普通起きてるだろうが…」
呆れたようなシズちゃんの声。俺の夢の中でまで現実を突きつけなくてもいいだろ。シズちゃんがいないから不貞寝のようにこうして眠っているのに。
かち、携帯を開いたときのような音がする。夢の中なのに、訳が分からない。音を遮断しようと丸くなる。
「…、……まあ、いいか。寝てるコイツが悪いよな」
独り言のような呟き。寝てるのが悪いって、だからシズちゃんが仕事だから寝てるんだって。なんて、夢の中のシズちゃんに言っても仕方ないけどね。
ほとんど回っていない頭でそんなことを思う俺の肩に手が添えられた。え、と思った瞬間、肩を掴まれて仰向けにされる。
「…な、んっ、んん…!」
唇を塞がれ、反射的にばたばたと暴れると、その反応を予測していたかのようにあっさりと無駄のない動きで両腕をベッドに押しつけられた。抵抗を封じられたまま、頭の中は元々回っていない思考のせいもあってぐるぐると巡る。

これは夢じゃなかったのだろうか。けれど、夢にしては手首の温度も押しつけられた唇の感触も息苦しさも、妙にリアルだ。
「んっ、んむ…っ」
上手に息が吸えない。苦しいと訴える為ばたばたと自由な脚を動かしてみるも、ベッドに乗り上げてきた身体に押さえつけられて完全に身動きがとれなくなった。

「…っ、っ…!!!…ぷはっ、は、ぁ…はぁ…!」
声を出すこともできなくなった頃、やっと解放された。大きく息を吸い込み、せき込みそうになりながらぜえぜえと荒い呼吸を繰り返す。
「大丈夫か?」
「っは、はあ、も、…げほっ、ずちゃ、な、…で」
シズちゃん、なんでここにいるの。
そう言おうとしたはずなのに、酸素を欲する身体は思うように動いてくれなかった。それでもシズちゃんは理解してくれたらしく、俺の背をさすりながらなんでもないことのように言った。
「仕事終わらせたから」
「っは……、だ、って、俺も…しごと、て」
「ああ…邪魔しちゃ悪いかとも思ったんだけどよ。…ついな」
俺が仕事だと思っていたのに来るなんて非常識だと思わないでもない、というか思考はそう言っているのに、感情はそれとは正反対だった。
嬉しい。俺に会いたいと思ってくれたことが、嬉しくてたまらない。
「…で、手前はなんで仕事のはずなのに寝てんだよ」
「え」
早く終わったんだよとか言えばよかったのに、俺は思わず言葉に詰まってしまった。シズちゃんの目が鋭くなる。
「…おいこら、手前嘘か?あ?」
「いや、だって…シズちゃん仕事って…言ってた、から…」
「それが手前の嘘とどうつながんだよ」
「……変に気遣わせちゃったらどうしよう、か、と…」
ぼそぼそと小さな声で言うと、数秒の沈黙の後、はあ、とため息をつかれた。何故ここでため息をつかれたのか分からない俺は、シズちゃんをそっと見上げる。
「…いらねえ気遣ってんのは手前だろうが。俺は手前が仕事だって思ってて、迷惑んなる可能性分かってても押し掛けちまう位には手前が好きなんだよ。無駄な気遣うな」
まだ荒い息は整う気配もないのに、シズちゃんの言葉で更に乱されるような気がした。脈拍も呼吸も、整わない。息が苦しい。

けど、虚しいよりずっといい。

「……うん…、ごめん、ね」
「…ん。俺も悪かったな」
「なにが?」
「仕事」
「仕事だから仕方ないよ。一緒に年越せなかったのは残念だけどさ」
おそらくもう年は越しているだろう。でも、来年がある。そう思いながら笑うと、シズちゃんは「年越しの時は一緒だっただろ」と言った。
「え?今何時?」
開いた携帯のディスプレイには、00:03と表示されている。三分前。意外にも、まだ新年を迎えて三分しか経っていないらしい。
「…さんぷん、」

もしかして。
そう思いながらシズちゃんを見上げる。
「キスしながら年越しもいいよなと思って」
「ば、かじゃないの…」
だからあんなに長かったのか、と納得するのと同時に、なぜだかそれをされた俺が恥ずかしくなった。シズちゃんは時々無自覚で気障というか寒いことをする。なのにかっこよく見える俺は病気なんだろう。恋の病というのもあながち間違った表現ではないと思うのはこんな時だ。

「…あけまして、おめでとう。シズちゃん」
「ああ。今年もよろしくな、臨也」
「……こちらこそ」

今年も、離さないでほしい。一人の寂しさも虚しさも、感じる暇などないくらいに、縛っていてほしい。
できれば、今年の終わりも、キスをしながら迎えられたら、なんて。

そんなことを思いながら、ぎゅうと目の前の身体に抱きついた。





同じ終わりを迎えさせて

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今年もよろしくお願いします!


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