影月深夜の憂鬱
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ある日、僕の姉が居なくなった。
正直それを自覚したのは姉が居なくなってからしばらく経ってからだった。
何故か、姉と言う存在自体が最初から居なかったかのように錯覚していたのだ。
それが僕だけならまだ僕がおかしいだけで済む、しかしそれは違った。
近所の人に言ってみても、かつて姉の働いていた職場に電話をしても姉のことを覚えていない。
これはきっと忘れていたなんてものじゃない。なんて、勝手だけどそう確信してしまっているところがあった。
その時には姉の存在はこの世界から消えていたのだ。何故僕がその事に気づけたのかはよく分かっていない。
一番の問題は両親が覚えているかどうか定かではないこと。
両親は仕事を生き甲斐としている人で僕と姉がある程度のことができるようになると、二人は仕事に勤しむ様になった。
僕も姉もその事に理解を示していたし、両親も休日には一緒に話したり出かけたりしていた。ごく普通の、それでも僕にとって幸せな家庭だった。
今は両親が長期間に及ぶ海外出張に借り出されていて留守にしている、定期的に連絡はしているもののこんなことどういえばいいか分からない。
それに、もし両親が姉のことを忘れていたら?そう思うと伝える気まで失せてしまう、現実を叩きつけられるようで怖かったのだ。
僕は家に自分が一人になったことを寂しく思いながら、もし両親まで姉のことを忘れていたらという恐怖を覚えた。

帰ってきても自分しかいない家に、姉の居ない状況に慣れ始めた頃。姉がリビングで書類を片手に帰ってきた僕を見ていた。
僕は驚いた、消えたと思っていた姉がそこに居たから。消えた、なんて思うこと自体おかしいかもしれない。
けど、僕はそういった不思議現象の類は信じる性質だ。神隠しにでもあったんじゃないかと思っていた。
呆然と立ち尽くす僕に姉は少し困った顔をしながら僕の手を引き、広めのソファに座らせる。
「おかえり、何か飲むか?」
なんて、当然のように言うから。自分の状況が余計に分からなくなって、思わず本当に姉かと聞いてしまった。
我ながら実姉かもしれない人物に随分失礼な事を聞いたものだ。場合によっては怒られても仕方ないが、姉はむしろ嬉しそうに微笑んだ。
「やっぱり、覚えていてくれてたんだな」
アイツ等の情報も少しは信用できそうだ、なんて姉はよく分からない事を呟いて僕に向き直った。
その時に嫌な予感を感じ、姉の「俺の状況を聞いてくれるか?」と言う言葉に思わず嫌だと返事をしてしまった。
その返事にもさして気にした様子は見せず、「相変わらず深夜はこういう事に関しては勘が良いな」と。
どういうことだと突っ込みたくなったが、それを言うと姉の状況を聞かなければいけない気がして。
それは、聞いてはいけない様な気がして。これまでの姉が居なくなった理由でもあるだろうと確信していて。
聞く以外に選択肢はないことも本当は分かっていた、姉はそれを伝えるために帰ってきたと感じ取れたからだ。
だけど急に言っても伝わらないから駄目だと出来の良い姉は理解している、だからこそ僕が落ち着くことを望んでいる。
…いっそ逃げてしまえたらどれだけ楽か、なんて現実逃避をしてしまう。
「これでも飲んで落ち着け」
一人思考の波に揺られていた僕の前に、姉が淹れたてのコーヒーを差し出した。
顔を上げると、姉もマグカップを持っており僕の隣に座った。
コーヒーを飲み干すまでは、待ってもらっても良いだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えながら僕は姉に言えていなかった、「おかえり」を伝えた。


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