展示会が数週間後に迫る中、俺は度々時間を見つけてはなまえの借りたアトリエに足を運ぶ日々を過ごしていた。
「おおー、またでかいの作ってるんだなぁ」
「あ、ディーノ、こんにちは」
渡されていた合鍵を使って勝手に中に入ると、大きなキャンバスと向き合っているなまえがいた。
キャンバスには布が描かれている。
まだ仕上げまでは終わっていないんだろうが、美しい光沢を放つビロード生地の布の絵。
「すごいな。これが今回のメイン作品?」
「…うん」
「綺麗だ」
手を止めたなまえの隣に並んで作品を見つめる。
綺麗な絵だ。…ただ、少しだけ違和感を感じるのはなんだろう。
布の質感が伝わって来るような繊細でハイレベルな技術力が目に見える、綺麗な作品だと思う。ただ、なんていうか今までのなまえの作品から感じたような圧倒的な存在感というか凄みを感じる迫力みたいなものが無いような気がして、もしかしたら街の画廊でこの絵を見かけても俺は綺麗と思いはしても惹き込まれることはないんじゃないか…
と、そこまで考えて真横にいるなまえの存在を思い出して我に返る。
「…綺麗、か」
「…?」
思いふけっていたのは俺だけじゃないみたいで、なまえは俺のセリフをぽつりと復唱してじっと絵を見て黙り込んだ。
幾ばくかの沈黙が流れて、俺もなまえの思考を邪魔しないようにと静寂を守っていると、沈黙を破ったのはなまえの方だった。
「…ディーノ、この作品が私のメインでいいと思う?」
「?、どういう意味だ?」
じっと、少しだけ不安そうに揺れるなまえの瞳が俺を捉える。
でも俺は質問の意図が分からなくて、困惑をそのまま向けるとふいとなまえは視線を外して緩く頭を振った。
「いや、やっぱりなんでもない…ごめん、忘れて」
「なまえが好きなように描いた作品なら、きっと多くの人に愛される作品になるよ」
「…うん」
素直にいつも考えていることを伝えれば、少し複雑そうな顔をしつつもなまえはひとつ頷いて、カチャカチャと画材をいじり始めた。
静かにぺたぺたと着彩を再開したなまえを見守ってから、アトリエの中をぐるりと見渡す。
ここに来るたびに少しずつ作品が増えていて、順調に準備が進んでいる様子にほっとする。いま手掛けているメインの絵の他にも小さ目な作品を着々と制作している様で、この環境に身を置いたことが間違いじゃなかったみたいで、よかった。
なんとなくアトリエを歩き回りながら作品を見ていると、部屋のすみっこに布のかけられたキャンバスがあった。
「あれ、これも作品?」
「あ、!」
こんなに大きい作品をもう一つ作ってたなんて、すごい進捗だなぁと感心しながら布を取ろうとすると、慌ててなまえがぱたぱた近寄って来て、布を取る俺の手を必死に止められた。
「こ、これは違うの、お蔵入り、というやつ、です」
「え、あ、そう、なのか…?」
しどろもどろに必死に止めるなまえを振り解いてまで見るものでもないから、素直に手を降ろせば目に見えてホッとしたようになまえも力を抜いた。
「ははっ、ごめんな勝手に見ちゃって。ほら、ちょっと絵具付いてる」
「わぁ、気を付けてるんだけど、…どのへん?」
「ほら、取ってやるよ」
おでこに赤い絵具が付いている。
きっと、前髪を払った時にでも手についていたのが付いたんだろう。
少し恥ずかしそうに顔をぺたぺた触るなまえが可愛くて、絵具を取るふりをしてちゅっと軽いキスを落とせば、絵具よりも顔を赤くして照れるんだから、俺はもう夢中だ。