ずっと進めていた研究もひと段落ついて、ようやくまとめられる目処が立ったからしばらく取っていなかったお休みをもらうことにした。
ここのところ研究が大詰めで夢中になりすぎていたけど、昨晩はゆっくり眠れて体調もいい。

だけどどうしても1人で眠る夜が物足りないと思ってしまう。
私はもう、2人で過ごす夜の暖かさを知っている。幸福を知っている。

1人では到底得ることのできないもう1人分の体温を求めて、お昼前の訓練場へと向かった。


「あ、いたいた。お疲れ様です」
「なまえ」


今日はリヴァイ兵士長がこの時間に訓練のはずだから、終わった後に一緒にお昼ごはんでもと思って簡単な軽食を作って持ってきた。
目論見通りちょうど訓練終了したところで会うことが出来て、お誘いすればすぐに装備を解いて来てくれた。

兵士長の班員の皆さんも私のことは認知してくれているから引き留めることもなくそれぞれ昼食に向かって去っていく。


「あっちの木陰で食べませんか?」
「あぁ」


小高くなっている丘にある大きな木を指差せば頷いて同意してくれる。
少し離れたそこに向かう最中、さりげなく私の手から荷物を攫って持ってくれる、そういう優しいところが好きだ。


日向はぽかぽかと暖かいけれど陰に入れば爽やかな風が通り抜けて気持ちがいい、外で過ごすのに適した日。
息を吸い込むと、普段こもっている研究室ではおよそ味わえない土や葉っぱの香りが鼻腔に流れ込んできて開放感に包まれる。


ぽつぽつとたわいのない言葉を交わしながら食事を進めていると不意に兵士長の食べる手が止まる。
不審に思っていたのも束の間、そっと手を掬われた。


「この傷はどうした」


塞がって間もない、赤い傷。
左手の人差し指にひっそりと付いたその小さな傷に労わるような視線を送った後、思いもよらず厳しい目つきで覗き込まれて思わず言葉を探してしまう。


「え、っと、野菜の皮剥いてたら滑ってしまって…あ、食品には血は付着してないので安心してください!」


潔癖症の彼が食品衛生を気にしているのかと思って必死に弁解する。食中毒の怖さは知っているから私もかなり気をつけているつもりだ。
よく洗い流してすぐに止血出来てからも傷口が食べ物に触れないようにものすごく注意した。

私の説明に満足したのか、目元から力が抜けるのが分かって少し落ち着きが取り戻せた直後、おもむろに赤い切り傷に兵士長の唇が落ちてきて指先から身体全体にじわじわと熱が広がっていく。


「大切にしろ」


指先から唇を離さないまま慈しむように囁かれて、必死に首を縦に振ることしか出来なかった。
なんだか今日の兵士長は甘々だ。

しばらく2人きりで会えなかったからだろうか。私も全然こんなに甘いリヴァイ兵士長への耐性なんて無くて恥ずかしくていっぱいいっぱいになってしまう。

私は自分の研究にばかり勤しんでいた間も兵士長はちょこちょこと何かと用事を見つけては研究室に顔を見せに来てくれていた。
自分だって忙しいだろうに、そうして時間を作って来てくれるのが申し訳なくもありがたかった。
私から兵士長がお仕事しているところに行くのも気が引けたから、やっぱり会いに来てくれるのは助かってしまう。そんな彼の姿を見てハンジさんは「愛だねぇ」なんてにやにや笑っていたけれども私も本当にそう思った。
あぁ、私はこの人に愛してもらっている。


柔らかな空気に盛大に照れつつも食事を終わらせて、お昼休憩の時間がもうちょっとだけあるなぁ、もうちょっと一緒にいたいなぁ、でももうリヴァイ兵士長は仕事に戻るかな?とそわそわしていれば、隣に座っていた彼が僅かに体勢を動かすのがわかった。
あぁやっぱりもう戻るのか、と少しだけ残念に思いつつも後片付けしようと荷物に手を伸ばしかけたところで、ごろんと兵士長の形のいい頭が私の脚に降りてきて身体が硬直してしまう。


「リ、リヴァイ兵士長っ」
「なんだ」
「こんなところ、誰かに見られたら…!」
「…別に構わねぇだろう」


所謂、膝枕という状態に思考が止まってしまう。
兵士長は結構2人きりで部屋にいる時は触れ合ったりしてくることが多いけれど、流石にこんな外の空間であまりにも明からさまな恋人っぽい行動をするのは初めてだ。

リヴァイ兵士長は構わないと言うけれど、やっぱり誰かに見られたら彼の印象とかに影響しかねないのでは?っていうか普通に恥ずかしいんだけど…!と1人でパニックに堕ちっていると、そんな私を知ってか知らずかあろう事か私の手を取って自らの頬に持って行かれた。

ゴツゴツとした硬い手に握られた私の貧弱な青白い手。
無駄なお肉なんて全くない、引き締まった頬のするっとした表面を兵士長の持つ私の手が撫ぜる。

そのまま彼が擦り寄るように私の手に頬を擦り付けるから、頭に血液が集中して熱くて堪らない。


まるで人を寄せ付けない野生の動物が懐いてくれたようなそんな気分になってクラクラする。失礼なのは承知しているけれども。

愛おしさがはち切れんばかりに膨らんで、身体の中を暴れまわる。
この気持ちをどうすれば伝えられるのか必死に考えて、ひらめいてからは早かった。


周りに人影がないのを確認して、一生懸命上体を折りたたんで顔を寄せる。

軽く目をつむって私の手の感触を楽しんでいる様子の兵士長に気が付かれる前に、そっと唇を合わせた。


一秒にも満たない、短い時間。


我ながら大胆な行動に、今更ながら心臓が速く脈を打つ。

ゆっくりと目を開いたリヴァイ兵士長が、フッと下から優しく笑ってくれたのを見て、愛おしすぎて肺が苦しくなる。

一時でもこの人を諦めようとしていた自分に、そんなの到底無理な話だと教えてあげたい。
こんなにも優しくて、不完全で、美しい人、他にはいない。


しばらくそうしてまどろんでいたけれど、唐突に雨音が近づいてきて急いで移動することになった。

来た時と同じように荷物を持ってくれて、足早に建物に向かう最中兵士長は私の手を引いてくれる。
冷たい雨が上から落ちてくるけれど、握られた手が熱くて不思議と寒さは感じなかった。

できれば誰にも邪魔されずに2人きりになりたくて、建物から離れた場所でゆっくりしていたせいでようやく屋根の下に入れた時には2人とも全身びっしょりに濡れてしまった。


「急な雨でしたね。びっくり」
「そうだな…っ」

まるでバケツをひっくり返したような土砂降りに感心しながらすっかり曇った空を仰ぐ。
これでしばらくは水不足の心配は無さそうだ。

久しぶりの大雨が珍しくてぼんやりしていると、リヴァイ兵士長は私に視線を向けた直後ものすごい速さで上着を脱ぎ去ると私の肩からかけてくれる。


「着ていろ」
「え?どうして」
「いいから着ていろ」


微妙に気まずそうに目を逸らしながら頑なに指示してくるのが不思議で自身を改めて見下ろせば、着ている白いシャツが雨に濡れて肌にピッタリと張り付いて中の下着がうっすらと透けているのが分かった。


「っ…すみません、ありがとうございます」


みっともない姿をこれ以上晒さないように、慌てて兵士長の上着を纏い直して隠す。
きっちりと身体に纏ったのを満足そうに確認してからリヴァイ兵士長は戻る先を振り返った。


「…ここで大丈夫か?俺はそろそろ戻るが」
「大丈夫です。1人で戻れます」
「ちゃんと身体を拭くんだぞ」
「わかりました。兵士長もですよ」


名残惜しいけれど彼は今日お休みじゃ無いから仕方ない。
もっと一緒にいたい気持ちを押し留めて、大人しくお別れをすれば最後にするりと私の頬を柔く撫でて兵士長は背中を向けて去っていった。
そんな別れ際にも私をドキドキさせることを忘れない彼が恨めしい。どれだけ夢中にさせれば気が済むんだろう。


肩にかけられた愛しい人の上着をギュッと握る。
予備もあるから返すのはゆっくりでいいと言われたけれども。今から急いで戻って洗って風に当てれば今晩乾くだろうか。ギリギリの賭けだけれど、彼に会う口実を作る機会がここにあるのならば試してみない手はない。
できる限りの全速力で兵舎への道を走ったのだった。



***


雨に打たれて兵士長とお別れした後、なんとかすぐにお借りした上着の洗濯をして乾燥を始めたけれどいかんせん丈夫な厚手の生地の為完全に乾かすのに時間がかかってしまった。

もう少しで日付が変わってしまう夜更け。
今から行ったら迷惑かな。でも兵士長いつもこのくらいの時間まだ起きているから、寝る前に一目でも会いたい。声が聞きたい。
そう思ってしまったらもうダメだった。どうしても会いたくて、服を返すその短いやり取りだろうと少しだけでも話ができたら今夜はぐっすり眠れる気がして。

自室で綺麗になった兵士長の上着をぎゅっと抱きしめてから、意を決して暗い外に足を踏み出す。

みんながみんな眠っている訳では無いだろうけれど、流石にこんな時間にフラフラ出歩く物好きも少ないんだろう。ひっそりと静まり返った廊下は人気がなくて昼間見るのとは違って見える。

兵士長の部屋の前まで行って、もし完全に消灯している様だったら大人しく引き返そうと決めていたけれどいざ到着すると僅かに漏れ出ている柔らかな光にホッと胸を撫で下ろす。

短く深呼吸をして、ノックをすればすぐに出てくる愛しい人の顔についつい表情が緩んでしまうのを止められない。


「夜分にすみません、これを返しに」


俄かに驚いた顔をしている兵士長に畳んだ上着を差し出せば、受け取りながらも硬い表情を向けられた。


「ここまで1人で来たのか?」
「?…はい」


歓迎していない様子の顔に、遅い時間に突然訪ねたことを叱られるのかと思っていたから拍子抜けしてしまう。
素直に頷いて肯定すると、優しく頭に手を置かれる。


「夜中に危ねぇだろ」


部屋まで送る、と言いながら自室から出て来てくれるリヴァイ兵士長に顔が赤くなってしまう。

私のことを心配してくれているんだろうか。
確かに夜遅い時間だけれども所詮ここは兵舎内で、誰かに会うとしてもみんな顔見知りだから危ないことなんてそうそう起きないのに。

こんなところでも大切にされている実感を与えてくれる存在に胸がじんわり満たされるのを感じるけれど、しばらく歩き始めると段々もどかしい気持ちが膨らんでくる。

半歩前を歩く、兵士長の背中。

うるさくしては寝ている兵士に迷惑だろうから声をかけてお喋りをすることも出来ないし、着痩せしている逞しい腕の温度に近づきたいと思うけれど、誰が通りかかるとも分からない場所で迂闊に触れることも出来ない。

手を伸ばせば触れられる、こんなに近くにいるのに声も聞けない、触れられもしない状況が切ない。

部屋を出る時は、少しだけでも顔が見れたらそれで満足だなんて思っていたのに、いざ会えば更に欲深くなってしまう自分に呆れる。


私はずっと、こうなんだろうか。

もっともっとと求めてしまって、満たされることがないのか。

リヴァイ兵士長はそうじゃなくとも普段から私に愛情を注いでくれるのに、私はそれでは足りないと思うなんて我が儘な彼女だ。

自分のことを卑しいと自覚しつつも、それでももっと欲しいと思ってしまう気持ちも捨てきれなくて歯痒い。


置き所のない感情に襲われて物思いに耽っていると、すぐ目の前の背中がぴたりと止まってはじめてもう自分の部屋の前に着いたことに気がついた。

もっともっと、兵舎が広大な面積だったらよかったのに。
話せなくとも、触れ合えなくとも、そばを歩いていられたその時間だって充分幸せだったことに、終わってから気がつくなんてどうしようもない。

部屋に入る私を兵士長は追いかけてくれはしない。
自分は暗い廊下に立ったまま、明るい室内の私をまっすぐに見つめてくれる。


「送っていただいて、ありがとう…ございます」
「ゆっくり寝るんだぞ」


そう言って踵を返して元来た道を戻ろうとする兵士長の服の裾を掴んでしまったのは無意識だったのか。脳の反射的な命令だったかもしれないけれど、やっぱり私の願望が反映された行動の結果には違いないんだろう。


ツン、と小さく服が引かれる抵抗を感じたんだろう。兵士長が不思議そうな顔で振り返る。

こんな、引き留めるようなことをしても迷惑をかけるだけなのに。
すでにこんな時間にここまで送ってもらって迷惑はかけているというのに。

でも、もう自分の感情を見て見ぬふりをするのは嫌だった。
そして、この優しい恋人は私の心からの言葉を“迷惑“と捉える様な心の狭い人じゃ無いことも十分すぎるほどに知っている。

だから、いつだって私に必要なのはあとほんの少しの勇気だけ。


「一緒に、いて…くだ、さい」


きっと私の顔はもう目も当てられない程真っ赤に染まっているんだろう。
今更そんなことを恥ずかしがるような関係性じゃない。この人はもう私のいろんな表情を知り尽くしている。

恥ずかしがっている顔も、ベッドで乱れる顔も、きっと間抜けな寝顔だって。

分かってはいても、直視することが出来ずにぎゅっと目をつむる私をみてどう思ったんだろう。


パタン、と扉の閉じる音がする。

え、帰っちゃったの、そんな、と思って慌てて目を開けば、ごく至近距離に切長の瞳があって言葉を失った。


「なまえが嫌がったとしても離れてやれないから安心しろ」


私の前でだけ出す甘く響く低い声が鼓膜を刺激してそれだけで催眠にかかったように身体の力が抜けてしまう。
そこからは突然降ってきた日中の雨のように絶え間なく唇が落とされて、深く深く愛しいリヴァイ兵士長へと心も身体も沈んでいった。


全身で彼を感じながら、なんて幸せなんだろうかと噛み締める。

たとえ記憶を失ったとしてもまた好きになってしまったような素敵な人。

きっともう、この世にこの人だけだと確信できる安心をくれる人。


目の前のリヴァイ兵士長に沈んで行きながら、何度でもこの人に恋をするんだろうという確信を抱いた。
そして、私の自惚れで無いのならおそらく兵士長も、また私を何度でも愛してくれるんだろう。

少し先の希望も見えにくい壁の中。

だけど、ここにははっきりと目にみえる光があった。

この光が、この温度が私を明日も生かすんだろう。
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