どれくらい時間が経っただろう。
なまえが部屋から去ってから、なにを考えるのにも億劫でただただ時間の流れるままに任せていれば部屋のドアをノックされる音で現実に引き戻される。

辺りを見渡せばとっくに陽が落ちて部屋は闇に塗りつぶされていた。
まるで自分の内側の様だと思いながら、緩慢な動きで明かりを灯す。


こんな時間に一体誰だ、と訝しみながらシカトをすることも出来ずに扉を開ければ、そこに立っていたのは最も会いたいと思うと同時に最も会いたくないなまえの姿があって目を疑う。


「夜の包帯交換がまだなので」


ついに俺の頭がおかしくなって都合のいい幻想を見せているんじゃ無いかと一瞬疑うが、招き入れれば微かになまえの香りが漂って現実だと教えられた。


部屋に入ってきたなまえの瞳は何か決意めいたものが浮かんでいて、数時間前にここから出ていった時とは面構えが異なっている。こいつなりに何か筋を通す為に戻って来たんだろうとすぐに気がついた。


何か、なまえが無惨に捨てた俺に対して言葉にすることを選んだのならば、それを最後まで受け止めることにした。
とにかく、話を聞こうと思った。
既に絶望に落とされた後だ。どうせなら何から何まで聞かされてしまった方がごちゃごちゃと考える必要もなくなって楽になる。

俺はこいつから与えられるものならば拒絶は出来ない。それが例え耐え難い苦しみであったとしても、俺はそれを全てこの身に受けたいとすら思ってしまう。それほどまでに、なまえの存在は俺にとっての光で、愛で、生きる目的そのものだった。


それでも、これから本当に俺はなまえを失うんだと考えると指先から冷えが広がってくる。
律儀に包帯を変えるなまえの体温を感じながら、これが最後のぬくもりかと思うとやりきれなかった。

乱れなく止められた包帯を確認してから、なまえは座っている俺に向き直るとようやく口を開いた。


「記憶を失ってしまって、すみませんでした」


言葉を発すると同時に下げられる頭。
髪が影になって表情は窺えないが、震えながらもはっきりと発音するように注意しているのが伝わってくる。


「記憶が戻ったこと、すぐに伝えずにすみませんでした」


続け様に謝罪を畳み掛けるなまえの真意が見えないが、俺が口を挟めばまた困らせてしまうだろう。
なまえが吐き出し切るまで黙っていることがいいんだろうと決めて飛び出しそうになる言葉を飲み込んだ。


「結果的に盗み聞きをしてしまってすみません。兵士長とニエナさんのお話が聞こえて」


それを聞いて、全部思い出したんです。と頭を下げ続けながら言ったなまえの言葉を受けて、脳内でニエナという名前を必死に探し回ればすぐに脳裏に浮かぶやり取り。

数日前に馬小屋の前で想いを伝えてきたあの女との会話か。
女からの告白にはなんの興味も無く印象には残らなかったが、その後の話が記憶に残るものだったからよく覚えている。
確かにあの場で本人が話を聞いていれば嫌でも無理やり事実を突きつけられたことだろう。あの女はなまえという名前まで出して話していたのだから。


「正直、私よりも彼女の方が釣り合うと感じてしまいました。だから、私はこのまま身を引こうと思いました」


なのになまえは俺がどうでもいいと思った方の話が深く刺さったらしい。
ここまでおそらく必死に抑えて来たであろうなまえの声の震えが耐えきれなくなって、徐々に大きく揺れる。


揺れ始めてからは、理路整然と言葉を発する普段の口調からは大きくかけ離れていった。
必死に涙に濡れる声を制御しようとして、出来なくて、それでもなお俺に対して言葉を、感情を伝えようとしているのが分かった。



更に正直に言うと、記憶がなかった頃、記憶が戻る前からもう兵士長のことが好きでした。記憶もないのに惹かれたんです。

これってどんなにすごいことかわかりますか?どれだけ惹かれてしまったか、わかりますか?それほどまでに、あなたは私を惹きつけてしまったんです。

だけど私とあなたとじゃあまりにも差があるから。今更都合よく記憶が戻ったなんて言えなくて。

でも、それでもやっぱり好きなままでいる私を許してください。ごめんなさい。諦めはついているのに、それでも感情を切り離せない我儘な自分が申し訳ないです。好きなんです。すみません。


「リヴァイ兵士長が、好きっ…」
「もういい」
「ごめん、なさいっ…」
「謝るな」


きっと誰にも言えずに蓋をし続けていたものを一気に外に出したんだろう。
支離滅裂になって最後には涙を落としながら謝罪を続けるなまえを、我慢できずに抱きしめた。


腕の中で泣きじゃくる身体が少しでも安心してくれるように最大限柔らかく包み込むが、片腕が使えないことをこんなに恨んだことはない。
両腕で、身体全体を使って抱きしめることができたなら、なまえはもっと安心できたかもしれないと言うのに。


ただ、今はないものを呪っても仕方がない。
頬に柔らかななまえの髪の毛を感じながら、呼吸が整うのを待つ。

なまえの気持ちはもう充分に聞けただろう。
真面目なこいつのことだ。記憶を失って一般兵として俺と対峙した時に感じた差を忘れることもできず、大事に感情に植え付けてしまったことは想像がついた。

俺にとっては心底どうでもいいことだが、なまえにとってはそうじゃ無いことも理解できる。そんなクソ真面目なところも、愛しいなまえを構成する一部だ。


なまえの感情も理解はできるが、ここまで聞いて「はいそうですか」と手放す選択肢も当たり前のように俺の中には無かった。

それを伝えるために、少し落ち着きを取り戻したなまえの瞳をそっと覗き込んだ。


「壁外調査の前に、俺が伝えたことを覚えているか」
「…覚えて、います」


“なまえ以外と子を持つ気はない。そしてそれは、お前が生きていても死んでいても変わらない“


あの言葉に嘘偽りはなかった。
なまえが手に入らないのなら、俺の人生は俺1人で全て終結していく決意があった。
ただ、もしもまだ、俺を受け入れてくれる覚悟があるのならば。俺の居場所がなまえの中にあるのならば。
どんなにずるいと罵られようが、縋るほか無いんだ。


「俺を、ひとりにする気か」


向き合う瞳が、大きな雫を湛えて滲む。
それが静かに落ちてから、顔をくしゃくしゃに歪めてなまえは言った。


「こんな私でも、まだ側にいてもいいですか」
「なまえ以外、いらねぇよ」


俺の言葉を聞くと同時に声を上げて泣き出すなまえを今度は強く抱き止める。
こいつが包まれていると実感できる程度、最大限制御して力の入れ方を間違えないように。
少しでも気を抜くと喜びに感情が持っていかれて力を入れすぎそうになるが、もうなまえを傷つけることは死んでもごめんだから全身に神経を張り巡らせて抑え込む。


なまえが俺を忘れてからの日々はまるで出口のない暗闇を彷徨い続ける思いだった。

右に行こうが左に行こうが変わらない黒が続いていて、自分が進んでいるのか戻っているのかも分からない。それどころか目を開いているのか閉じているのかも曖昧になる程の完全な闇。

その暗闇が、今ようやく晴れて一気に光の中へと放り出される。

明るい場所へと手を引いてくれたのは間違いなくなまえで。

俺を闇に突き落とすのも光に引き戻すのも、全てこいつなんだと痛感した。

それほどまでに俺はもうこの存在に深く侵食されていて、望む望まない関係なしに今後もきっとそうなんだと感じる程度には充分な感触だった。


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