充分に気をつけていたつもりだったけれど、やっぱり私が兵士長の目を誤魔化すなんて出来る訳がなかった。
そもそも私も短い時間だったというのにボロが出過ぎていた。


兵士長から記憶が戻ったことを指摘された時は頭が真っ白になってなにをどう答えていいのか分からなかった。

だけど、聡い彼は数秒の間にいろんなことを悟って、悲しそうに呟いた。
それがお前の出した答えか、と。

敵に対してはあんなにも容赦のないリヴァイ兵士長が、こんなにも優しい。
私がなにを選択したのか聞かずとも理解して、こんなに酷いことをしている私を追い詰めずに逃がしてくれた。
一体どこまで優しいんだろう。決して大きくはないその身体に秘められた途方もなく広大なその優しさに甘えることしかできない私はどこまでもずるい女だった。


初めて聞いた、彼のあんなに震えた声。


とてもじゃ無いけど顔が見れなかった。でももし見ていたら、どんな顔をしていたんだろうか。きっと、私が彼につけることのできる傷なんてちっぽけなものだろうけれど、ほんのちょこっとでも傷つけてしまったことに変わりはないんだろう。

彼を傷つけない未来は選択できたんだろうか。でもそれではやっぱりあり得ない。私たちの間には差がありすぎる。大好きだけれども、やはり手を取ることなんて許されない。


今日はまだ部屋のお掃除とか書類作成のお手伝いも残っていたのに、あれ以上兵士長と2人っきりで部屋にいることも出来ずにすごすごと研究室に戻って来てしまった。
一番大事な夜の包帯の交換はどうするんだろう。ちゃんと医務室に行ってやってもらうだろうか。いやきっと彼の性格上ないな。


命令された役目も充分に果たせない自分にうんざりしながら、ぐるぐると今までのこととこれからのことを考え込んでいると目の前に湯気の立つカップを置かれて視線を上げる。


「どうしたの?考えごと?」


どっこいしょ、と言いながらもう一つのカップを持って正面に座るいつも通りのハンジさんを見たらなんだか安心してしまって、乾きかけていた瞳にまた水分が集まって来てしまった。


「ハンジさん…うう…」
「おやおや、リヴァイに意地悪でもされた?」
「ち、違うんです…」


首を横に振りながら否定をすると、その反動でぽたりと涙が机に落ちる。
そんな私の様子を見てハンジさんはゆるく笑いながらきっと全てを読み取ってくれたんだと分かった。
まぁお茶でも飲みなよ、他のみんなは訓練でしばらく帰ってこないからね、と優しく向けてくれる言葉に素直に甘えて一口含む。温かな液体が口から喉、胃まで落ちていって少しだけ落ち着くのを感じた。



「なまえのさ、癖出てたよ」
「癖…?」
「さっきもやってた、こうやっておでこを抑える仕草」


片手の指先で額を抑えて見せてくるハンジさんの言葉の意図が見えずに、ただ次の言葉を待つ。


「これさ、何か頭をフル回転させてる時の癖だよね」
「全然知りませんでした…」
「ははっ、そっか」


自分では気がついていなかった無意識の癖を指摘されて驚いてしまう。確かに言われてみればやっている、かも。
ハンジさん曰く、研究で次の一手を考えている時や情報整理を行なっている時などにたまにやっているらしい。そしてその姿勢を取っていて、目の前に研究資料などが置かれているときは邪魔をしないように声をかけずにいてくれていた様だ。
だけどさっきはなにも無い机をじっと見つめながらあの癖が出ていたから声をかけてくれたと言う。



「リヴァイもね、その癖のことよく知っててさ」
「えっ…」
「なまえが自分の作業場でその格好をしてる時は、来ても声をかけずにそっと立ち去ることもあったんだよ」


今更知らされる、私の気がついていなかった彼の優しさを告げられて悲しくて仕方がなかった。

きっとそんなふうに、私の気がつかないところで彼が私にしてくれていたことなんて数えきれない程あるんだろう。
それに比べて私は彼を欺くようなことをして、気が付かれないように傷つけて、本当に最低だ。

与えてもらっていた愛情に対してお返しが裏切りだなんてあんまりだと自分でも思うけれど、それでもやっぱり彼の存在は大きすぎる。


「私は…そんなに気遣われるような価値はないのに」
「んー、それを決めるのはなまえじゃないからなぁ」


自分がどれくらいこの人に対して優しくしよう、って決めるのは優しくする側でしょ?と当たり前のように教えてくれるハンジさんも、きっと底なしに優しい。
私の周りには、優しい人ばっかりだ。


「あの癖が出てたってことは、まだ考えてる途中なんでしょ?」


なにを、とは聞かれなかったけれど、すぐに分かった。
これからのことを考え込んでいた私の背中をそっと押すように優しい声が染み渡る。

きっとなまえは理屈っぽいから、なんでも自分の中で合理的な説明を求めちゃうのかもしれないけれど、なんて前置きをしてからハンジさんが語ったのは、研究者に似つかわしくない持論だったので少し意外だった。


「私はさ、人間の行動全部が言葉で説明できるもんじゃないと思うんだよね」


ハンジさんに指摘された通りだ。
私は自分の行動の整合性を付けたくて、行動原理を常に探してしまっていた。そして理屈で考えていけば行くほど、私と兵士長が共にある未来が遠ざかってやがて見えなくなってしまった。


そんな私を見透かしたように、いたずらに笑うハンジさんは強い人だと思った。


「言葉に直せないような、そんな心に突き動かされることがあってもいいんじゃ無いかな」


にっこりと、勇気を分けてくれるように言うこの人の下につけて私は本当に幸せ者だ。
こんなに素敵な人のすぐそばで毎日私はなにを学んでいたんだろう。うじうじと悩んでいた自分が段々と恥ずかしくなってくる。


「ありがとうございます、ハンジさん」
「うん。いい顔だね、なまえ」


頂いたお茶を飲み干して時間を確認するともう日が暮れていて、かなり長い間話に付き合ってもらっていたことに気がついた。
ハンジさんはそろそろ自分の研究に戻るのか、椅子から立ち上がって伸びをしながら最後に告げてきた。


「この狭い壁の中に住む私たちは、殊更我々調査兵団はいつ死ぬかも分からない身だからさ」


眼鏡の奥で光る瞳は、暗いけれど確かに未来を捉えている。
だから、と続ける声は悲しげながらも明るかった。


「命ある限り愛しいと思う人と一緒にいるくらいの我儘は許されるよ」


最大限信頼のおけるハンジさんにここまで背中を押してもらって行動できないはずがない。


こんな、こんな私でもまだ側にいてもいいですか。

側にいられなくても、気持ちを伝える我儘は、許してもらえますか。

許しを乞うような、希望を飲み込んだような感情をお腹の中に溜めて、向かったのは今日はもう来るなと言われた彼の部屋だった。


ハンジさんからもらった勇気が冷めないうちに、急いで廊下を走る。
コンコン、と静かにノックをすれば出てくる愛しい人。
濃い隈に縁取られた瞳が驚きに見開かれるのがわかった。


「夜の包帯交換がまだなので」


どうしても伝えなければいけないことがある。

自分勝手で仕方がないことは承知の上で、それでも。


命令に背いて無理やり部屋に押しかけた迷惑な私を、それでも兵士長は拒否することなく部屋に入れてくれた。
きっと私から伝えたいことがあるんだと気がついたんだろう。


どうか、どうか。
私の我儘が少しだけ、許されますように。
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