壁外調査中、人類最強の兵士が負傷した。


このニュースは瞬く間に壁内を走り渡り、民間人はもちろん兵士全体へ与えるショックは計り知れなかった。


「っ兵士長はどこ??!」


例によって例の如く、私には適当な留守番の名目が与えられて壁外調査へは参加出来ずに安全な壁の中でみんなの無事を祈って帰還を待っていた。

いつもは他の兵士もいる研究室はがらんとしていて、考えない様にしていてもここにいない人たちのことが気になってしまう。
狭い研究室でさえこの状態なのだ。食堂なんかに行ったら更に孤独感が募るだけだから行けるはずもない。そもそもこうして1人で待つ時間は食欲も湧いてこないから食事の回数も自然と減っていく

壁外調査に出られないのは、きっとリヴァイ兵士長の根回しによるものだろう。私との関係が無くなった今でさえ、記憶のない私に危険が訪れないように守ろうとしてくれていることが分かってどうしようにもなく切なくなる。

そこまでしてくれる兵士長に、記憶が戻ったことを告白しないのは大きな裏切りのように感じて後ろめたい気持ちがない訳じゃない。でもどうしても今更都合よく全部思い出しましたなんて言い出せなかった。

せめて余生は慎ましく、少しでも兵士達が壁外で生き残れるように私は私ができるサポートに尽力していくだけだと本気で考えていた。


そんな最中、壁外調査から戻った調査兵団兵士から告げられた彼の負傷。

これを聞いて、冷静でいられる訳もなかった。

全ての恥も外聞も捨てて、必死に帰還した兵士に詰め寄れば怯えながらも医療棟の方を示される。

恐らく特別室に通されているだろうと聞いてすぐに走り出した。その場所なら知っている。私がお世話になった場所だ。


全身の水分が干からびてしまったのではないかと錯覚する様な喉の渇きを覚えながらも全速力で足を前に動かす。

喉がカラカラになりながらやっと目指すべき部屋が見えて扉に手をかければ、同じタイミングで内側からも開かれてそこに立っていた人物に激突してしまった。


「いてて…ってあれ、なまえ?」
「は、ハンジさん…!」
「ちょうどよかった。今呼びに行こうと思っていたんだよ」


壁外へ向かったはずのハンジさんの元気そうな姿を見て失っていた冷静さを少しだけ取り戻す。
よかった、彼女は無事だったんだ。本当に良かった。

でも私を呼びにってどういうことだろう…?と疑問に思いながらも室内を覗くと、そこには上体を起こした兵士長の姿があった。


この距離からでも分かる、鋼の様に研ぎ澄まされた肉体。
そこに刻まれる無数の傷は、戦いの証拠だろう。

傷つきながらも美しいとしか表現しようがない鍛え抜かれた身体を見て、真っ先に目が向くのは右手を覆う真っ白な包帯だった。
それは周りからとても浮いていて異質感は強かったけれど、それ以外には目立った外傷もなさそうで力が抜ける。起きていることから意識も普通にありそうだ。


「リヴァイがちょっと怪我しちゃってね。しばらく利き手が使えないんだ」


部屋に飛び込もうとしていた私に事情を尋ねることもせず、そっと病室内に招き入れてくれたハンジさんは手で頭をかきながら呆れたような声を出す。


「だから誰かにしばらく身の回りの世話をお願いしようって話になって」


まぁ要するに看護役だね、と説明しながらくるりと身を反転させて私を振り返った。


「それをなまえに頼めないかなって」
「え…?」


ハンジさんは何処となく楽しげな顔をしているけれど、室内にいるリヴァイ兵士長とエルヴィン団長は真顔でいてどう反応していいのか分からなくなってしまう。


え、看護?お世話?しばらくっていつまで?え、え、私?


兵士長の怪我の程度がそこまでひどくなさそうで安心したのと、付いていけない話が急に始まったのが相まって完全に混乱した私に今度は団長が向き直ってきた。


「リヴァイは我々調査兵団の重要な矛だ。彼が最速で復活する様、力添えを願いたい」


そこから団長とハンジさんが行った説明をまとめるとこうなる。
調査兵団にとって兵士長の戦力はなくてはならないものだから一日も早い回復が望まれる。その為には負傷した利き手を使用しない生活を徹底して、負荷をかけない様に努める事と医者から伝えられた。
怪我が治癒するまでの間兵士長の生活を手助けする者が必要だが、生憎兵士はみんな壁外調査帰りで負傷者ももちろんいるし、無事な者も業務が山積みになっていて多忙を極めている。
そんな中で壁外調査に参加をしていないから怪我もないし、報告もない比較的手の空いている私の存在をハンジさんが候補として名前を出した。時間に自由の効く研究職というのも後押しになったらしい。

きっと、記憶がなかった頃の私だったらこの説明でとりあえず納得をしたんだろうけど、全て思い出した今なら分かる。多分兵士長がごねたんだ。

私を説得しようとするハンジさんと団長の後ろから、ベッドからぴくりとも動かずに、それでも視線を決して私から外すことなくじっとしている兵士長を見ていれば大体のことは想像がついた。

きっと誰かに自分の生活に介入なんてされたくないリヴァイ兵士長は誰の看護も受け入れない、必要ないって抵抗したんだと思う。煩わしいとかなんとか言って。人にうろちょろされるの苦手な人だから。
でもどうしても兵士長に早く怪我を治して欲しくて無理をさせたくない団長達は「じゃあなまえならどうだ」とか言って、丸め込もうとしたんだろう。それで兵士長も何処の馬の骨とも分からない人間よりは譲歩してギリギリ受け入れられるってことになったんだと、思う。


ハンジさん達から、どれほど兵士長の回復が人類にとって大切なことなのか説かれなくても分かっている。
私だって、自分にできることならばなんだってしたい。

すっと息を吸って、上長であるハンジさんに向き直る。とうに答えは決まっていた。


「命令ならそう仰ってください。尽力します」
「…うん。助かるよ、ありがとう」



こうして、私は記憶が戻ったことをひた隠しながら兵士長の身の回りのお手伝いをすることになった。


「では私は部屋の前に詰めていますので、何かご用がありましたらお声がけください」
「…オイ」


兵士長が医療棟を出て自室に戻る日は案外早くやってきた。医者も目を見張る回復速度だったらしい。
流石に医療棟では私の出る幕は無かったから、生活のお手伝いをするのは今日からということになる。

前もって待機用の椅子を兵士長の自室の前に運んできているから、呼ばれないときはそこに座って今まで読みたくても時間の取れていなかった研究論文を読むつもりだ。

早速なにから読もうかと考えながら廊下に出ようとすると、声をかけられて静止する。


「…入院中に溜まって書類整理をする。手を借りられるか」
「もちろんです」


入院していた部屋からここに移動するときももちろん近くに付いていたけれど、私物一式を運ぶことすら自分でやってしまって私に荷物を触らせなかった兵士長がこんな風に対応を求めてくるのが意外だったけどそんなことは表情には出さずに大人しく部屋に入る。
論文を読むのはまた後でに取っておこう。


私を部屋に招き入れ、ドアを閉じようとするリヴァイ兵士長が寸前で止まって問うてきた。


「開けておくか?」
「??いえ、どちらでも…」
「…そうか」


風が通るから開けたかったのかな?換気なら窓開ければ良さそうだけど。
いずれにせよどっちでもいいからそのまま答えれば、少し躊躇した様子をしながらも最終的に兵士長は静かにドアを閉めてからテーブルで書類整理を始めた。


私は壁外調査に出た時もいつも後方支援が多かったから知る由もなかったけれど、流石に最前線で戦う兵士ともなると報告作業量が半端じゃ無かった。
それも自身の班を率いる立場ともなれば拍車をかけて大変そうだ。

自身の報告も記録しつつ、部下や他の班から上がってくる報告書に目を通して、それを包括して上への報告文書をまとめる。
利き腕があったとしたって何本でも腕が欲しくなる作業だろう。

字を書くことが難しい兵士長に代わって口頭で伝えられる文書を代筆しながら、目を通すべき各報告書をそれぞれ項目別に振り分けて確認しやすいように整理をする。
忙しいけれど、なにをどうしたら最も効率的に作業が進むか考えることはパズルを組み立てるのに似ていて少し楽しい。

兵士長もこの作業には慣れているのか出してくれる指示は的確かつ分かりやすくて、みるみるうちに片付いていくのは気持ちが良かった。


「お疲れ様でした。これらの書類は後ほど兵士長の班の方へお渡ししておきますね」
「あぁ。助かる」
「もちろんです。休憩されますか?お茶でも淹れましょうか」
「そうだな」


トントンと捌き終わった書類を揃えながら提案すると受け入れてもらえてホッとする。
もしかしたら機会があるかもしれないと期待して持ってきた紅茶が無駄にならずに済みそうだ。


「あの、よろしかったら飲んでいただきたい紅茶があるんですが」


そっと、渡しそびれていた紅茶を取り出して見せれば驚いたような顔をする。


「以前助けていただいたお礼に…少しですが召し上がってください」
「…ありがたく頂こう。淹れてくれ」


おずおずと差し出す私にふっと表情を緩めると2つカップを出してくれた兵士長に思わず心臓が高鳴ってしまう。
自分だけじゃなくて、当たり前の様に私と一緒に飲もうとしてくれるそういうちょっとした優しいところが本当に好きだ。
世間では愛想がないと言われがちだけれど、近しい調査兵団の人たちはみんな彼が不器用ながらにものすごく人に対して思いやりのある人間であることを知っている。


静かにお茶を淹れて、飲み始める。
ゆっくりと飲み下しながら「美味いな」と言ってもらえただけで、今までの色々な苦悩や、これからも背負っていかなければいけない重荷が報われた気がした。


この人は、私の記憶が戻るのを待ってくれているのかもしれない。
だけど私は、記憶が戻ったことを言うつもりはない。


2人で愛し合った日々の記憶は今でもかけがえのない宝物だ。
私の人生の中であんなにも満たされていた時間は後にも先にももう無いだろうと断言できる。


兵士長のことが好き。大好き。
一緒にいられる今、嬉しくて嬉しくて、身体が震えそうなほど全身がこの人をどうしようもなく求めているのが分かる。

手を伸ばせば届くような距離で、大好きな人が穏やかに紅茶を飲んでいる。

こんな時間が、何よりも尊い。

だけど私にはこんなに素晴らしい人間を自分のものにするなんて権利ないから、今はせめて自分に出来る最大限を尽くそう。


紅茶を飲み終わる頃に、陽が傾いて来た。
そろそろ兵士長の眠る準備を整えてから私も帰る時間だ。とはいえちょっとまだやりたい研究が残っているから帰るのは自室じゃなくて研究室になるけれど。


「包帯を変えるので、座ってください」


傷口が膿まないように包帯を変えて常に清潔な状態を保つ様医者から強く伝えられていた。
特に腕の包帯交換となると自分でやるのは難しいから、大切な私の役目になる。


リヴァイ兵士長もそれは心得ているから大人しく座って、そのままシャツのボタンに手をかける。だけど片手だとなかなか外しにくそうな様子を見て、声をかけた。


「失礼、します」


震える指先を心の中で叱咤しながら、恐る恐る真っ白いシャツのボタンに指を伸ばす。

ひとつ外れるたびに顕になる生々しい皮膚に、更に緊張が増してしまう。

変なことを考えちゃいけない。これは歴とした看護なんだから。


言い聞かせながらなんとかボタンを外し終えると、次は包帯に取り掛かった。


他の兵士はまだ働いていて、この周りには誰もいないんだろう。
静まり返った部屋に、しゅるしゅると包帯の解ける音が響く。

そっと傷を守る布を剥がせば、目を背けたくなるような生々しい傷が出てきて絶句した。
本当にこんな傷の状態で自室へ戻る許可が出たのか疑問に思ってしまうような、痛々しい傷。
これに耐えて涼しい顔をして書類整理をしたりお茶を飲んでいたのかと思うと気が遠くなる。常人の精神力で出来ることじゃない。改めて自分がお付き合いしていた人の底知れなさを実感してしまう。
特別な人なんだ。全て思い出したからまた前みたいに仲良くしましょうなんて絶対に言えない。

化膿止めを患部に塗って、清潔な布で保護してから包帯を撒き始まるけれどその間もうめき声一つあげなければ眉ひとつ動かさなくてこっちがそわそわしてしまう。絶対に絶対に痛いはずなのに。

きっと激痛に耐えているんだと想像すると私まで苦しくて、人類の希望を背負わせてしまっている申し訳なさまで湧いてきて焦って全然上手に包帯が巻けない。

綺麗に素早く処置したいのに、焦れば焦るほど包帯が乱れてしまう。


「すみません、痛いですよね。ごめんなさい…っ」
「大丈夫だ。気にするな」
「いえでも痛いですよね…」


すみません、と繰り返しながら何度もやり直す私に、されるがままの兵士長が穏やかに視線を向けてきた。


「…研究員、だったな」
「え?」
「痛み止めなどの薬も作るのか?」


突然振られる話題に、一瞬虚をつかれる。
だけどそれが、きっと兵士長の気遣いだと分かって身体の力が抜けるのを感じた。


「…っはい。ただ、既存の痛みのみを消すのではなく、これから受ける痛みも決してしまう薬です」
「ほお」
「感覚を麻痺させて痛みの回路を断ってしまうので改良が必要なのですが…少し使用を間違えると大怪我にも気が付かなくなってしまって危険なので中々試すことも出来ずに改良が進まないんです」


知ってるくせに。
兵士長は、知っている私の実験のことを知らないふりをして聞いてくれている。

こんな、人に気を遣って話題を振ることなんてしない人なのに。


「…最近は試してないのか?」
「はい。使って、無いです」
「そうか…危ないから使うなよ」


兵士長の声はいつもと同じはずなのに、不意に優しく響いてしまって仕方がない。
ひょっとしたら私があの薬を使って事故で怪我とかしてないかを心配してくれたのかもしれない。
そういう、優しい人なんだ。


その優しさが泣きたくなるほど切なくて、瞳が潤むけれど意地でも泣くまいと我慢する。
私にはここで泣く資格は絶対に無いんだから。


兵士長が気を逸らしてくれたおかげで、あんなに上手に巻けなかった包帯もあっさりと綺麗に留めることが出来た。

腕を痛めないようにシャツを再び着るのを介助して、届ける書類や私の荷物を整理してから部屋を後にする。


「では、また明日伺います」
「ああ。ご苦労だった」


今日最後に見る兵士長の顔が優しい表情をしていてよかった。
初日で「邪魔だからもう来なくていい」と言われる覚悟もしていたけれど、とりあえず明日も来ていいみたい。

リヴァイ兵士長の部屋を後にして、書類の提出を終わらせてから小走りで研究室を目指した。
まだケニアはいるだろうか。包帯まく練習台になってもらわないといけない。

明日こそは兵士長に負担をかけないように素早く丁寧に巻けるように、今夜は特訓だ。



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