人類の希望を託される存在である調査兵団へは時折一部貴族たちからの寄付が行われることがある。

つい先日も地方貴族からの大口寄付が決まって、それを祝した大規模な食事会が催されることになった。


広い食堂で大勢の兵士が集まってわいわいと食事とお酒を片手に話に花を咲かせている。
かなりの金額が集まったようで、誰しもが明るい表情で楽しげだ。

大人数の食事会は苦手な方だけれど、今日はどうしても参加したい目的があって意を決して引きこもっていた研究室から出てきた。
目的というのは他でもないリヴァイ兵士長。

チラリと少し離れた席を見ると、エルヴィン団長をはじめとする偉い人たちが集まったテーブルの一角に無表情で座って食事をしている兵士長が見える。

普段はなかなか会う機会のない兵士長だけれど、先日の訓練時のお礼を伝えたくて会えることを期待してここに来た。改めて冷静になるとストーカーみたいで気持ち悪いな私…。


「なんか暗くない?お酒足りてる?」
「うん。ありがとう、頂いてるよ」


隣の席で豪快に強いお酒を飲みながら顔色ひとつ変えずにいるケニル。彼女は酒豪だけれど私はあんまりお酒が得意じゃ無いから弱いものをちびちび口に運ぶ。

ケニルに怪しまれない程度にチラチラと兵士長の方を伺っていると、相変わらずずっとつまらなさそうな顔をして座っている彼の所に入れ替わり立ち替わり色んな兵士が話に行っているのがよく分かる。
きっと慕われているんだろう。馴染みの部下はもちろん、期待を寄せている上司や憧れを抱いている新人の子達までひっきりなしだ。


どこかで順番待ちの券でも配られてるんじゃ無いかって程ずっと誰かしらが兵士長のところに来ている。兵士長は面倒くさがってどこかに行ってしまったりしないのかなって心配したけれど、存外律儀なところがあるのか誰も追い返すことはせずにじっとしているようで安心した。私がうじうじしている間に帰られてしまっては今日ここに来た意味がなくなってしまうから焦ってしまう。話せなかったらどうしようと思うと、胸がギュッとなって苦しい。


だけどリヴァイ兵士長の傍にいる人を押し除けてまで彼の前に行く勇気は残念ながらなくて、丁度よく人波がが途切れるタイミングを見計らっているけれどそんな時は待てど暮らせど訪れない。
ゆっくりと食事をしながらお酒で口を湿らせて、諦めきれなくて肩を落としているとケニルが呆れたように酒瓶をドンとテーブルに置いて我慢ならないと言うように声を荒げる。


「もう!まどろっこしい!私が連れてってあげようか?」
「絶対おかしいでしょ。大丈夫だから」
「大丈夫ってなまえあんた、ここ来てからずーっと行きたそうに見てるじゃない」
「どうした?なまえどこに行きたいの?」



お酒によって気が大きくなっているのか豪快な発言をするケニルをなんとか宥めていると、近くでご機嫌に飲んでいたハンジさんがニコニコこちらを振り返ってきた。


「兵長になんかお礼言いたいんですって」
「あーなるほど。案外リヴァイはこういう場では人気だからねぇ」


ケニルの言葉にハンジさんがチラリとリヴァイ兵士長へと視線をやって、納得したように呟いた。
しばらくそっちを見ていたかと思うと、素敵な笑顔と共に私へとパッと顔を向ける。


「よし、私が連れて行ってあげるよ」
「えっ、ちょ、え」
「善は急げだ!」


普段から実行を決めた行動へ移行するスピードが常人よりも並外れて速いハンジさんは、私の脇に腕を差し込んで立ち上がらせると、ガッチリとホールドされてズンズン歩みを進める。
同じ女性とは思えない力強さに逆らうことなんて全く出来なくて、今更ながらこの人が分隊長を務めている程の実力者であることを認識した。


「はいはーい、どいてどいて。次この子の番だから」


キラキラと瞳を輝かせて兵士長と話している新人兵士であろう男の子を無理やり退かすと、空いた席に私をこれまた無理やり座らせられる。
あまりにも突然の展開に目を白黒させていると、心なしか兵士長もびっくりした顔をしている気がした。



「じゃあ後はお二人で」


じゃあね、と手をひらひらさせてエルヴィン団長たちの方へ去っていくハンジさんをしばらく呆然と見送ってから、状況を理解してハッと兵士長へ向き直る。
こんな近くにいるのは久しぶりで全身が緊張してしまってすごく喉が渇いてしまう。

とにかくかなり強引ではあるけれどせっかくハンジさんが作ってくれた機会だ。ちゃんと目的を果たさなければ。


「その、先日は訓練時に…ありがとうございました」



無言で私を見つめながら待ってくれているリヴァイ兵士長に、落下しないように助けてくれたことやアキムの件を包括してお礼を言うと彼の瞳が一瞬揺らぐのが見えた。


「…当然の務めだ」
「そう、ですか…」


あの日、兵士長は訓練の責任者という立場にいたんだから私を助けてくれたことに特別な意味は無いと言うことだろう。
確かに言われてみればその通りで、なにを浮かれて「お礼を言わなきゃ!」なんて息巻いていたんだろうか。自分の思い上がりに今更気がついて恥ずかしくて兵士長の顔を見ることが出来なくなってしまう。

こんな無様に勘違いして惨めなところ、見て欲しくない。


リヴァイ兵士長も黙り込んでしまった私を面倒だと思っているのか、なにも言わずに静かに飲み物を口に運んでいるのが気配で伝わってくる。


ハンジさんが作ってくれたチャンスを全く活かせない自分が悔しいし、ハンジさんにも申し訳ない。

しばらく経っても気まずい沈黙が続く状況に変わりはなくて、もういっそのことここで告白でもして玉砕したほうがハンジさんも「よく頑張ったね」って言ってくれるんじゃないか。協力してくれた彼女へ何も出来なかった報告をするよりはここですっぱり振られてしまった方がいいんじゃ無いかとすら思えてくる。

きちんと振ってもらえれば、きっともうリヴァイ兵士長に優しくされる幻想を見ずに済む。


今日を逃したら兵士長と2人でお話しする機会なんてもう無い。
いまだ、言ってしまおう。


後ろに様々な喧騒を聞きながら、覚悟を決めて再度リヴァイ兵士長に向き直る。
すると彼はずっと私を見ていたのかすぐに目が合った。



「…あの、私、」
「すみません、私もご一緒していいですか?」
「!!」



胸に溜めた想いを一気に吐き出そうと決心して口を開きかけた時、後ろから柔らかい声が降ってきた。

振り返るとそこにいたのは最近調査兵団内で最も可愛いと評判のニエナさん。


「あ、ごめんなさい、お邪魔でしたか?」
「いえ!いえいえ、大丈夫です」


私の空気が一瞬止まったことに気がついたのだろう。ニエナさんはすぐに何かに勘づいて身を引こうとしてくれたけれども咄嗟に引き留める。
こんな状況で告白を続けることなんて出来ない。むしろ来てくれてよかった。


急いで席を立って、兵士長の隣にニエナさんに座ってもらうと彼女は「本当にいいんですか?」と気遣いを最後まで見せてくれた。
とても性格が良くて明るくて、異性からも人気だけれど同性の友達も多いと聞く。直接話すのは初めてだけど少しのやり取りで噂は本当なんだと思ってしまうほど良い女性だということが伝わってくる。

そうだ、リヴァイ兵士長と話したい人は沢山いるんだ。
ただ気まずさに黙っている私が隣にいられるような人じゃない。

とにかくその場を離れることで精一杯で、ペコリとお辞儀をして急いでケニルのいる席に戻る。
頭を下げる最中一瞬見えたリヴァイ兵士長の顔が何か言いたそうにしていた気がしたけれど、それを気にする余裕もなかった。



「おーおかえりーどうだった?」
「…お礼は言えたよ」
「なまえにしては頑張ったんじゃない?」


兵士長に背中を向けられたことに安心して一気に力が抜けて泣きそうになっている私の顔を見て全て察したのか、ケニルは背中をさすって優しい言葉をかけてくれる。


「まぁ飲みなよ」と勧めてくれるお酒を飲み込んで、上半身をテーブルに力なく倒れ込ませるとすぐに取り留めもない雑談を振ってくれて救われる思いがした。
それらの雑談に相槌を打ったり、時折私からも口を開いたりして時間を潰しながらそっと兵士長の方を振り返るとそこにはまだニエナさんとリヴァイ兵士長のツーショットがあって驚いた。


ここからじゃなにを話しているのか内容までは分からないけれど、時折ニエナさんの明るい笑い声が聞こえてくるから少なくとも私との会話よりは盛り上がっていることが容易に想像できる。
彼女は私と違って巨人の討伐経験も豊富と聞くから、私なんかよりもよっぽど話も合うんだろう。
可愛らしくて性格も良くて腕も立つなんて、叶わない。


今までは短時間ですぐに他の人がリヴァイ兵士長の元へ行って割り込んでいたように見えたけれど不思議と今は誰もその気配を見せない。きっと誰しもがお似合いの2人と思って遠慮しているんだろうな。その気持ちはよく分かる。

でも誰か1人くらい空気読まずにあの空間を壊してはくれないものかとやさぐれた気持ちを持ってしまうのも止められない。
このまま告白もできずに他の人とリヴァイ兵士長が結ばれるのを見ることを想像するとものすごく辛かった。
今までこんなに人に執着したことなかったと思うのに。なんか、変だ。


自分自身の感情の激しさから逃げるように、ケニルの飲んでいたお酒を飲み込む。
きっとこの場にある一番度数のキツいお酒に一瞬お腹と目元がカッと熱くなるけれどなんとか飲み下す。


この会が始まってからずっと弱いお酒ばっかり飲んでいて、兵士長の席ではそこに置いてあった少し強めのお酒を飲んで、今最も強いお酒を飲んで。
度数の異なるお酒を一緒に飲むと悪酔いするから普段は絶対やらない。しかも普段はほとんどお酒そのものを飲まないのに。

でもこの場の賑やかな空気に当てられたのと、リヴァイ兵士長と素敵なニエナさんが楽しそうに話す光景から逃げたくてとにかくケニルの制止も無視してコップにお酒を注いで一気に胃に流す。


もう一杯、と思って酒瓶に手を伸ばすけれどもはや身体は脳の命令を聞けるほどまともに動かなくなった様だ。
伸ばした手は宙を切り、力無くテーブルに落ちる。

あぁ、許容量を越えたんだ、と鈍った頭の片隅で理解したすぐ後、頭もカクンと落ちていくのが分かった。

あと少しでテーブルに激突してしまう。だけどもう支える力も残っていないほど脱力してしまっている。もうどうでもいいや。私の顔が少し腫れたってもう構わない。この先好きな人である兵士長に会える機会も無いんだから見られて困る相手もいない。

やさぐれた気持ちで観念して目を閉じた瞬間、後ろから強く腕を引かれてその反動でぐるりと振り返ればテーブルとの衝突から守ってくれた相手が目に入る。


「へいし、ちょ…」
「来い」


短く言われて腕を引かれる。さっきのハンジさんとは比べ物にならないほど更に強い力だ。アルコールが回って弛緩し切った身体で抵抗できるわけもなかった。いや、万全な状態でだって抵抗できないだろう。


脇の下から肩を入れられ、支えられる様にして歩く。
密着する姿勢にドキドキして、きっとお酒の力だけじゃなく顔が赤くなるのを感じた。

そんな私にはお構いなしに、有無をいわせずどんどん歩みを進めて外を目指す兵士長。
そのまま人目のつかない建物の影に連れて行かれると、スッと腰を落としてしゃがみ込む。
元々兵士長の支えなしには立てないほど酔いの回っていた私も当然座り込む形になった。


「吐け」
「…え?」
「自分でやらないなら俺がやる」
「んっ、ぁ、…っゲホ、ごほっ」


状況に追いつけずにボーッとしていると不意に固い指が口に入ってきて嘔吐を強制される。
咄嗟に抗おうと腕に縋り付くけれどびくともしなくて、そのまま喉の奥を刺激されて胃に入っていたものが迫り上がってきた。


一度吐き始めてしまえば、身体も元より受け付けていなかったんだろう。次々と吐き気が襲ってきて成す術もなくひたすら胃の中身を吐き出す。


胃がひっくり返りそうな感覚に溺れながら、恐らくこれが私の人生最悪の時だろうと絶望する。
自然と涙が出てくるけれども、これが嘔吐によるものなのか感情によるものなのか分からない。

兵士長は綺麗好きともっぱらの噂だ。いつも身綺麗にしていることからおそらく真実なんだろう。
なのにどうしてこんな姿を好きな人に晒さなければならないんだろう。最悪すぎる。
兵士長も兵士長だ。汚いものが嫌いだろうに、なんでこんなことをしてくれるんだろう。
ずっと私の背中を優しく撫で続けてくれる彼の思考が全く読めない。


この世の辛さを味わいながら吐き続けて、ようやく胃の中身が空っぽになったのか落ち着いてくる。
落ち着くと言っても嘔吐するのにはそれなりの体力を使って、ぜぇぜぇと肩で息をするのは止められない。

するとそっと撫でていてくれた手が止まって、無理矢理顔を覗き込まれると今度はハンカチで口元も拭ってくれる。



「やっ…そ、んな」
「…飲め」


そんな汚いこと、やめて下さいと言葉を満足に発することも出来ないでいる私に瓶を差し出してくる。

もうここまで来たらなにも逆らうまいと諦めて大人しく口に含めば、それは新鮮なお水だった。

こんなにお水を美味しいと思ったことはない。

夢中になって飲みながら、兵士長の姿を探して必死に見る。

どんな侮蔑の表情が向けられているのか想像すると怖くて、見ずにはいられなかった。人間は本当に怖いものからは目を背けることが出来なくなってしまうらしい。


未だにぼやける視界の中にやっとの思いでリヴァイ兵士長を収めると、そこには心の底から心配をしたような表情があって動揺する。
動揺したのと同時に、心拍数も上がったんだろう。

既に吸収されていたアルコールが私の意識を奪って、真っ暗に暗転していった。

最後に見えたのは、焦ったような兵士長の顔。
それを認識した直後、瞼が閉じるのが分かった。





懐かしい香りに誘われて、幸せな微睡みを抜けるのをぼんやりと感じた。

どうしようもなく懐かしくて、全て護られているような安心感に包まれる。

ずっとずっと、この安心を求めていた。ここでならやっと自由に息を吸える。

泣いてしまいそうな程幸せで、私の必要なものは全てここにあると確信した瞬間目が覚める。


気持ちよく伸びをしながら、ゆっくりとベッドの外に視線を向けるとそこには兵士長が座っていて一瞬にして覚醒した。



「っ?!」



跳ね上がるように起き上がって自分の体を見下ろせば、私のじゃない清潔なシーツに包まれているのが見える。

どうやら最悪の経験は更新され続けるらしい。


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