温かくて、柔らかな光に包まれている気がする。

ポカポカと身体全体が気持ちよく発熱して、ふわりと軽い。

光の先に向かっていくと、愛おしい誰かに頬を優しく撫ぜられた。


大好きな人の大好きな手。手から腕、腕から肩、肩から顔へと視線を巡らせていくけれど、靄がかかっていてどうしても顔が見えなくてもどかしい。

あぁ、ずっと会いたかった。この狭くて広い世界の中でやっと出会えた最愛の人。やっと届いた私の声。絶対に離さない。


優しいその手に必死に縋るけれど、段々とその人が霞のように消えていってしまってどんどん身体が冷え込んでいく。

いや、だめ、行かないで。私はここにいるのに。どうして。


いつの間に流れたのか、涙が頬を伝う感覚に目が覚めた。


もう朝か。
身体を起こして、涙で濡れた顔を服の裾で拭うと同時に深いため息が出てしまう。


愛おしい誰かに優しく頬を撫でられる夢。
そんなこと、現実では起こったこともないのについに妄想を夢に見るようになってしまった自分が虚しい。さっさと相手を見つけて結婚した方がいいのかなとすら思えてくる。

つい先日も最近調査兵団に移動してきたアキムに男女懇親会へ誘ってもらったけれど、ついつい研究に集中したくて断ってしまった。
だけどやっぱり行ったほうが良かったのかな。どうしてもその気になれなかったけど、こんな願望丸出しの夢を見るくらいならちゃんと行って素敵な男性を見つけるんだった。


夢で撫でられた頬を、自分の手で擦る。
頬に触れた、硬い手を私は知っている気がする。
でも恋人もできたことの無い私がそんな経験あるわけもないからやっぱり気のせいなんだろう。
相手の顔は見えなかった。あれはひょっとして予知夢だろうか。近い将来そういう相手が出来るのかな。


悶々とした思いを抱えながらもベッドから起き上がって支度を始める。
今日は合同訓練日だ。

他の班の人たちも交えて実施する合同訓練は少し苦手だった。知らない人がいると緊張してしまう。それに、なんだろうか、調査兵団兵士全体の視線や態度が微妙によそよそしい気がして。
同じ班でたくさん一緒に行動する人たちはそんなことないんだけど、それ以外の人たちが私に対してちょっと壁があるというかなんというか。
前まではそんなことなかった気がするんだけども。


はっきりとは分からない不安な気持ちに駆られて、引き出しを開けていまだに持ち主不明の洋服を取り出す。
ぎゅっと抱きしめて顔に当てて、ゆっくり深呼吸をすれば徐々に心に落ち着きが戻ってくるのが分かった。

最近は不安な時や悲しい時はこの服の匂いを嗅いだり、どうしても寝付けない夜には枕元に置いて入眠を助けてもらったりしている。
どうしてか分からないけれど、近くにあると安心できる匂いだった。
でもだんだんと匂いが薄くなってきて、私の匂いで上書きされつつあるのが寂しい。

こんな、誰のものかも分からない洋服に精神安定剤になってもらっているなんていい大人が恥ずかしくて誰にも言えない。

だけど止めることも出来なくて、最後に短く匂いを吸ってから引き出しに戻す。
身だしなみの最終確認をして、訓練場に向かった。




「本日の訓練は立体機動による上下移動強化を主とする」


大きくは無いけれどよく通る声でリヴァイ兵士長が説明してくれるのを列の後ろの方から大人しく聞く。
合同訓練の班組み合わせは順番だとかくじ引きだとか噂を聞くけれど、どうして最前線で動くリヴァイ兵士長と後方担当が主な非力な私の班が一緒になってしまうのか。
こちらからしてみれば精鋭兵士の動きを学べて糧になることもあるけれど、向こうからしてみればお荷物で訓練レベルを下げかねない足手纏いでしか無いんじゃなかろうか。

複数の班が集まれば自然とその中でもより実力者が指揮を執ることになるし、リヴァイ兵士長の班と一緒になって彼以外が指揮権を得ることなんてあるんだろうか。
調査兵団中探したって兵士長ほどの腕を持つ人間はもちろんいない。


決して背の高くない兵士長は、後ろの方に立つさらに背の低い私の視界には少ししか入ってこない。
それでもちょっとでも姿が見えるとなんだか嬉しくて、そわそわ気になってしまう。なんだろうこの感じ。不思議だ。
嬉しいような、そうでも無いような。訓練の質を下げかねなくて申し訳ない気持ちと入り混じって感情が追いつかないけれどまずは目の前の訓練に集中しなくてはと改めて前を向く。


訓練を仕切ることにもすっかり慣れている様子の兵士長は無駄なく実施内容を説明した後、聞くよりも見た方が理解が早いだろうと直々に手本を見せてくれた。


軽やかに木々の間を縫って移動する姿を見て言葉を無くしたのは私だけじゃ無かったはずだ。


お手本を見せてはくれたものの、その動きがあまりにも私の理解の範疇を超えていて、果たして本当に聞くよりも分かりやすかったのかは判断しかねた。
ひょっとしたら口頭の説明だけの時の方が理解できたかもしれないと思ってしまうほどにそれは私たちの動きからはかけ離れていて唖然とする。本当に彼は同じ人間で、同じ装備を持っているんだろうか。兵士長のだけ特別仕様ってことは…ないか。


全くできる気がしない動きを目の当たりにして、あれを求められているのだとしたら大変なことだ…と怯えながらも開始の位置に着く。

周りを見渡せば私の班の人たちは大体同じような顔をしていた。
リヴァイ兵士長の班の人たちは余裕の表情かと思いきや、それなりに辛そうな顔をしていたからやっぱり彼ひとりが特異なんだとも納得する。

そうだよね、兵士長と同じ動きはできなくて当たり前なんだ。
自分たちに出来る範囲の最善を尽くすしかない。


今回の訓練の性質上、特に高い木々のある場所での実施になっている。

まずは馬に乗って林の中に入り込んで、中腹まで到着したら立体機動に移ってなるべく高い位置を目指す。
それから、巨人を模したハリボテを発見次第自身の身体の落下重力に任せるのではなく最大限ガスを噴射して速度を上げて低地に飛んでうなじを切り落とす。
その後は再び高い位置を目指してワイヤーの巻き取り速度を上回る勢いでガスを使って登り切る、という動きの繰り返し。

横移動ではなく縦移動を駆使することで、巨人の手の届く範囲に留まる時間を最小限にする命を守る訓練だ。

さっきの兵士長の動きはとても出来る気がしないけれど、可能な限り脳内に描く彼の姿や移動を再現するように強く意識しながら必死に動く。


徐々に場所を変えながら何度も何度も繰り返して、ようやく動きが身体に定着してきたと思えた頃、左側のワイヤー巻取りに一瞬の違和感を感じた。
なんだろう、まだガス欠になるような頃合いじゃ無いのに。

疑問を感じながらも次のハリボテを見つけて一気に降下を始めてから、ようやく違和感がはっきりと形になった。
立体機動装置の故障だろうか、左のワイヤーが発射されない。

それにようやく気がついて慌てるけれどもう身体の落下は始まっている。
右のワイヤーは目標に対して突き刺さっているものの、左右均等が取れずに体勢が崩れてしまう。

なんとか衝撃を和らげようと途中の木の幹に足を着くけれど、落ちる速度が早すぎて私の貧弱な脚で制御することなんて出来ずに無駄に終わった。


まずい、このまま落ちたらかなりまずい。
最後に縋るように左のワイヤーを出そうとするけれどやはりびくともしない。


迫り来る地面に覚悟を決める。なんとか頭を守れば骨折で済むかもしれない、と身体を丸めて受け身の体制を取った直後、ものすごいスピードで横から飛んできた人の腕に抱き止められた。


それは本当に一瞬の出来事で。


そんなに近くにいたとは思えない、少なくとも私の視野には入っていなかったリヴァイ兵士長の腕の中にいる事実に心臓がバクバクする。

移動が速すぎる。さっきの見本の時といい、一体どんな訓練を積んでいればそんな動きができるようになるんだろう。
きっと途方もない努力の末に手に入れたものだということだけは想像できるけれど、彼自身は一切苦労なんて見せなくて涼しい顔をして。その見えない努力にただただ尊敬の念を抱く他ない。


「どこを痛めた」


私を抱えて移動しながら、隠すことを許さないような断言的な口調で問われてしまえば白状する他ない。


「右脚を、少し」


決して厚くはないのに鎧の様に固い身体。
今の兵士長はおそらくそんなに力を入れていないのに、片腕で横抱きにされている体勢のまま動くことすらできない強靭な筋肉。
そんな男らしい肉体に支えられていると思うとどうしようもなく恥ずかしくて、目を逸らしながら答えれば「そうか」と静かに言った後口をつぐんだ。
慣れない状況と慣れない人に心臓がうるさいのに、ものすごく安心もするという壮大な矛盾に戸惑う。微かに香るシャツの香りが、部屋に大切にしまってある持ち主不明の洋服と酷似していてさらに落ち着いた気持ちになる。


そのまま訓練開始地点まで戻ってきてそっと椅子に座らせてもらった時、恥ずかしくて堪らなかったくせに離れてしまうのが寂しいと一瞬思ってしまった。

そんな私の心情を知りもしない兵士長は、訓練中断の信号を打って戻ってきたみんなに休憩を言い渡してから解散を宣言する前に全体に向き直る。


「誰か、なまえを医務室へ運んでくれ。俺は訓練監督責任があるから同行は出来ない」


リヴァイ兵士長の言葉に、椅子に座りながら少しだけ首を傾げる。
兵士長が一緒に来る理由もなければ、同行しない理由を言う必要だってない。
なのにどうしてそんな台詞を付け足したんだろう。「誰か運んでおけ」くらいで十分なんじゃないか。

私が兵士長の言葉を不思議がっているのも束の間、数秒の間誰からも声が上がらなくて今度は固まってしまう。

え、嘘、誰も手を差し伸べてくれない…?嫌われている…?

リヴァイ兵士長の班の人たちのことはよく知らないけど、同じ班の人たちとはそれなりにうまく関係を築けていると思っていたのは一方的な勘違い?普通に傷つくんですが…。

誰も彼も、なんとも微妙そうな顔をしてお互いに意味深な目配せをしあったり、私に同情的な視線を投げてくるけれど「自分が」とは言ってくれない。


誰も立候補してくれないのなら這ってでも1人で行ってやる…と決意を固めていると、やっと一つの手が上がった。


「えーっと、じゃあ俺行きます」


名乗り出てくれたのは、例の懇親会に声をかけてくれたアキム。今だけは彼に後光が差して見えた。
ありがとう!とってもいい奴だ!次お声がけしてもらったら絶対に参加します!


アキムは椅子に座る私の前に跪くと怪我の状況を確認してくれた。


「痛めたのって脚?」
「うん、右側。ちょっと支えてさえもらえれば歩けると思うんだけど」
「ちょっと腫れて来てるね。痛そうだ」


ブーツを外して外気に触れた右脚は確かに変色して来ていて見た目がよろしくない。
見ていると更に痛くなってくる気がして必死にブーツを再度履こうとするけれど上手に動かせずにかなり時間がかかってしまった。

ブーツと格闘して四苦八苦している間に他のみんなは休憩の終了が告げられて訓練へと戻っていった。もちろん兵士長も一緒に。

遠く距離が離れて行ってしまったことに寂しさを覚えながらも、そんな気持ちになる権利は無いと思い直してアキムに向き直る。


ひょっとしたら誰も医務室まで一緒に来てくれなかったかもしれない可能性を思い出して、状況が状況なだけにアキムへは過剰に感謝の気持ちが膨らんで来る。いい人が調査兵団に来てくれて嬉しいな。もっと仲良くできるといい。

そんな彼の肩をありがたくお借りしようとすると、私の伸ばした手を無視してひかがみと背中に腕を入れられてひょいっと持ち上げられてしまった。


「わっ」
「はは、大丈夫?掴まって」


私を持ったまま、アキムが目指したのは訓練所の近くに建てられている無人の休憩所。医務室じゃない。
さっきまでリヴァイ兵士長にも同じように抱えられたけれど、あの時とは天と地程も違って今すぐ離れたくて堪らなくなる。兵士長の時に感じた安心感は一切湧いてこなくてドクドクと嫌な脈を感じた。


「そんなに腫れてるからさ、先に冷やしてった方がいいよ」
「え、でも」
「なまえさ、この前の懇親会にも来てくれなかったし。もっと仲良くなりたいんだよね」


私の言葉を遮ってうっすらと笑みを浮かべながら休憩所に入ると、壁際に置かれた椅子に私を降ろしてくれる。
やっと離れられたことに安堵して息を吐きながら、氷嚢を探して持ってくるアキムに向き合った。


「やっぱり私1人でも医務室に行く。訓練に戻ってくれて大丈夫だよ」
「そんなに警戒しないでよ」


慣れた手つきでブーツを脱がされて、患部に冷たい氷嚢を当てられる。
ズキズキと痛むそこに冷たすぎる温度を感じて感覚が麻痺してくるのがわかった。


「結婚相手?探してるって聞いたよ。俺なんてどう?」


唐突に投げられる、あまりにも明け透けな物言いに呆れを通り越して感心してまじまじと顔を見返してしまう。
ものすごい自信だ。私にこの人の十分の一でも自信が持てればどんなに良いか。


軽薄な熱の籠った瞳でじっと見つめられて、頭の片隅に引っ掛かりを覚える。

前にもこんな感じに迫られて、困ったことがあった気がする…?
いつだっけ、よく思い出せない。

あの時は確か、そうだ、誰かがさりげなく助けてくれた気が…。


「痛っ」
「ねぇ、俺にしときなよ。優しくするし」


あともう少しではっきり思い出せそうなのに、アキムが患部を氷嚢で強く押してきて痛みに意識が持っていかれる。

いつの間にか氷嚢を持っていない方の手を私の肩の上について、肘を曲げて顔を寄せられて身動きが取れない。腕で身体を押し返して距離を保とうとしても、そんな抵抗は無に等しいのか余裕の笑みは崩れずに更に身体を密着される。

どうしよう、負傷してない方の脚で蹴り上げたら隙が出来る?
いやでもその後逃げ切れるとは思えない。
どうすればよかった?抱き上げられた直後に大きな声でも出していればみんな戻って来てくれた?でももうみんなとはかなり距離があったし、聞こえていたとも思えない。
誰も医務室に付いて来てくれなかった中で唯一手を挙げてくれたアキムに警戒心を抱くことも出来なかった。まぁ結果的に医務室には行けてないんだけど。


迫り来る顔に必死で顔を背けてどうしたら回避出来たのか考えを巡らせながら、やはり脳裏に過ぎるのはあの時に助けてくれた人の影。

いつの間にかアキムは氷嚢を持つことさえやめて、もう片手でも肩を押し付けられる。
もうダメだ、もう、抵抗できない。

好きでも無い人に触られる不快感から逃げるようにギュッと目を瞑れば、すぐそばで低い声が響いた。


「オイ」
「えっ、うわッ」


直後、圧迫感が無くなって恐る恐る目を開ける。


そこにいたのは、リヴァイ兵士長で。

その姿がいつの日か、同じように迫られていた時に助けてくれた人と重なってハッとする。

そうだ、あの時も兵士長が助けてくれたんだ。
どうして今まで忘れていたんだろう。


「俺は医務室に運べと命令したはずだが?」
「さっ先に冷やしたほうがいいかと思って…!」
「治療していたと?俺には真昼間から盛っているように見えたが」


さっきまで私に迫っていたアキムの襟首をキツく握って離さない兵士長が「同意の上か?」と鋭い視線を私にも向けて来たから必死で首を横に振る。
アキムとはかなり身長差があるように見えるけれど、力の差がそれ以上なんだろう。拘束からは逃れられないのかアキムの顔に焦りの色が濃くなっていく。


兵士長は恐らく真っ青な顔で力無く椅子に体重を預けている私の顔をじっと見た後、アキムを掴む腕に再度強く力を入れて床に向かって投げるように解放した。


「処分は追って伝える。訓練に戻れ」
「ハッ!!」


転がるように休憩所から出ていくアキムをゴミでも見るかのような表情で見送ってから私に振り返られてビクッと肩が跳ねてしまった。

そんな私を知ってか知らずか、目の前で屈んで下から覗き込まれるように視線を合わせられる。


「遅くなった」


すまない、と弱く呟きながら、まるで壊れ物にでも触れるような手つきでそっと私の頬に手を当てる。


アキムに触れられそうになった時はあんなに嫌悪感が襲って来たのに、兵士長に触れられることは嫌と思うどころか物凄く当たり前の行為として受け入れてしまう。

どうして兵士長が謝るんだろう。助けてもらってお礼を言うのは私で、兵士長から謝罪されることなんてないのに。
訓練の監督は良いんだろうか。どうしてここに来てくれたんだろう。

言葉が少なくてぶっきらぼうにも思えてしまう兵士長だけれども確かに優しくて、キュンとしてしまう気持ちが溢れてくる。


その刹那、今朝見た夢の中での相手が兵士長に思えてきてぼっと顔が赤くなった。
ありえないし、こんな思いを抱くこと自体迷惑だからすぐにでも邪念を振り払おうと必死に心を否定する。


結局その後兵士長は私を医務室まで連れて行ってくれて、しっかりと手当を受けてから同僚のケニルが迎えに来てくれるまで一緒にいてくれた。

どうしようもなく優しい兵士長。好きになってしまったら辛い未来しか見えないのに。制御できない心を恨んだ。


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