壁外調査を終えて、狭苦しい壁の中へと戻って来た。
手早く馬を連れながら自身の手荷物を整理している最中も思考を埋めるのはなまえのことだ。

あいつは後方に配置させたはずだから俺が戻るよりもとっくに早く帰還しているだろう。目当ての昆虫とやらは捕獲できたのか。大方、あいつのことだから既に研究所に篭って調査を始めていたって不思議じゃない。
なんであれ、無事に戻っていてくれればそれでいいんだ。


俺と一緒になってから、もう壁の外には出ないように本人へ言い渡し、兵団内部からも圧をかけて壁外調査へは参加しない様に根回しをしていた。
けれども今回はどうしてもとなまえから懇願されてしまって押し切られる形で承諾した。

そうでなくとも戦闘スキルの高くない奴だ。逃げることに関しては一線を画するが、巨人と面と向かって遭遇してしまったらその能力を生かすことも難しいだろう。保険のためになまえの班には俺が信頼を置ける腕の立つ兵士を付けたが、万が一ということが無いわけじゃない。


外に出て巨人と対峙している最中もどうしてもなまえに気が向いてしまって気が散るったら無かった。

いつも通りノロマな巨人のうなじを削ぐと同時に腕に伝わる鈍い感触に何度舌打ちをしたか分からない。
どうも妙な力が入ってしまって何枚も刃を消耗した。

折れた刃を捨て、予備を補給しながらやはり壁外に出すのは最後だなと改めて決意を固める。なまえが壁外にいて巨人に殺される可能性があるかと思うと落ち着かず、全く戦闘に集中出来ない。こんなんじゃいつ俺まで命を落としても不思議ではないし、そもそも身が持たない。


俺が今まで通りの働きを継続する為にも、やはりなまえには安全な場所で俺を待っていてもらう必要がある。
どんなに薄汚れた巨人の返り血を浴びようが、信頼していた仲間が何人目の前で無惨に殺されようが、帰ればそこになまえがいてくれる、俺を受け入れてくれると思うだけで心身に力が湧いてくる。


さっさと簡易報告を済ませてなまえのいるところへ顔を出そうと足を向けると、顔面蒼白な兵士が俺の元へ表情を険しくして駆けてくるのが見えた。
その兵士の顔を認識して、俺の顔も強張るのを感じる。
こいつは、俺が選んでなまえの班に付けた兵士のヘンリだ。


「へ、兵長!なまえさんが!こちらです!!」


こいつがここにいるという事は、やはりなまえの班はすでに帰還していることになる。
そして、今この場所になまえがいなくてこいつが慌てて俺を迎えに来たということは。

最悪のシナリオを思い浮かべて、込み上げてくる吐き気をどうにか抑え込んだ。

身体中の血液が下へ下へと降りていって脳に行き届かなくなる感覚。
目の前が黒くなったり白くなったりと忙しいが、なんとか正気を保って前を走る兵士を追う。
息を吸っているのか吐いているのかも分からない。きっと俺は今無様な顔をしているんだろう。


ヘンリが今回の調査で失った仲間の死体が安置された区域からは逆方向へ進んでいることを理解して、少しだが呼吸を取り直す。
出迎えに来たものの説明をする余裕もないのかとにかく無言で必死に走る奴に俺も無言で付いて行く他ない。向かっているのはどうやら医療棟の方角だと気づいてからすぐに、やはりその建物の中に入って行った。

案内されたのは最奥に位置する特別室。
なまえの兵級ではこんな個室を用意されるはずはないから、俺のツレと知って気を利かせて入れられたんだろう。


「なまえ」


真っ白いベッドに寝かされて、いくつもの管に繋がれたなまえが目に入って絶句する。
呼びかけても反応はなく、目を覚ます気配もない。
触れていいものか否か分からずに立ち尽くす俺に、なまえの班にいた兵士や治療に当たっていた医者が状況説明を始めた。

研究対象生物を確保したまでは良かったが、それに群がって来る巨人に遭遇。
巨人から生物を守るために自ら近寄って行き、走る巨人の振る腕にぶつかって吹き飛ばされた。
その際に頭を強く打ち意識不明となるが目立つ外傷は無し。
乗馬中でもなく地面にいた為、高いところからの落下ではなかったことが不幸中の幸いだった。
現時点では既に心拍も落ち着いていて、眠っているのに近い状態。
いつ起きてもおかしくはないが、逆に眠り続けることもあり得る。


一通りの説明を受けた後、俺をここまで案内してくれたヘンリが絞り出す様に声を出した。


「すみません、自分が付いていながら…っ」


そいつの顔を見る事もできず、ただただなまえから視線を動かせないがこいつが謝罪するようなことでもないと理解していた。
巨人となまえが接触した直後、こいつがその奇行種を討伐したおかげてなまえが追い求めていた生態サンプルも守られ他の負傷者も出なかったらしい。
そのまま巨人を討伐できずにいたら意識を失ったなまえだってその後なす術もなく食い殺されていただろう。


「いや。ご苦労だった」


医者の許可を得てからそっと目の前の細く白い手を握り、どうにか兵士に声を掛ければ悔しそうに敬礼をして退室して行った。
触れるなまえの体温は暖かい。けれども握り返してくれることは決して無く、その事実に深い絶望へと沈められる。


こんなことになるのならば、やはり壁外調査への参加を承諾するんじゃ無かった。

次から次へと後悔の念が浮かび、叫び出しそうになるのを噛み殺す。


あの日、なまえの部屋で壁外調査へ参加したいと告げられた時、動揺で一瞬頭が真っ白になった。

どうしてだ、お前は安全なところで生きてさえいてくれればいいのに。それだけが俺の唯一の望みだというのに。
生きて、笑っていてさえくれればもうそれだけで俺の望みは全て叶うというのに。


けれども俺はどうやらどうしようもなくなまえの涙に弱いらしい。
こいつを壁の外に出せば危険な目に遭うとどんなに頭では分かっていても、泣きながらも強く紡がれる、俺と一緒に過ごす未来が欲しいという言葉に胸が打たれて承諾せざるを得なかった。
共にある未来を願ってくれたのが、嬉しかった。

そこまで言うなまえを頑なに壁の中に閉じ込めたのならば、きっとなまえの大切な柔らかい心は一生手に入らない気がして頷く他無くなってしまった。


そんなおめでたい思考を持っていた自分を殴り殺してやりたいと、いま目の前で横たわるなまえを見て強く思う。
こんなことになるのなら手足をもいででも壁外に出すんじゃ無かった。
心なんて曖昧で掴めないものが手に入らなくとも、生きて喋っていてくれるなまえがいるだけでも良かったんじゃないか。

俺が判断を誤ったせいで、なまえは泣きも笑いもしない状態になってしまったんだ。


なまえに触れていない方の手を震えるほど力の限り握り込む。
己の握力で掌に爪が深く刺さるのを感じるが止められなかった。


生きる希望を失った俺は、この先の命が続く時間をどう過ごせばいいんだ。
教えてくれ、なまえよ。

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