俺の淹れた茶を飲みながら嬉しそうに菓子を食べるなまえを見て胸を撫で下ろす。
正直俺は甘いものを接種したがる奴らの意図が分からないから選ぶのに苦労したが、なまえが気に入ったのなら良かった。些細だが、詫びにもなっただろう。
「………さっき、自分で調合した薬を飲んでいると言ったが…医学系を研究しているのか?」
「あ、いえ、表向きにはハンジさんの助手として巨人の生態を調べているんですが、他にもちょこっと個人的に研究してるんですよ」
「ほう」
俺の目が興味に揺れたのが見えたのか、なまえは棚からいくつかの小瓶を持ってくる。
「…これがいま私が飲んでいる痛みに鈍くなる薬です。痛み止めとしても使えますが、怪我をする前から飲んでいてもその怪我の痛みに対して鈍くなれます」
聞いた事のない効能を持つ薬が珍しく、まじまじと小瓶を見つめる俺になまえが補足した説明はこうだ。
これを飲めば痛覚を鈍らせる事が出来るが、本来人間が痛みを感じるのは自分を守るためだ。痛みを脳に伝えて、これ以上身体に無茶をさせないように要請する救難信号だ、と。
しかしこの薬はそのSOSを消してしまうから、自分が無敵になったかのような気になってしまって、痛みによるリミッター無しに動き続けてしまう。
以前 過剰な量を摂取して壁外調査に向かった所、急に脚が動かなくなって不思議に思って見てみれば足首を脱臼していた。
それ以来使用する量を厳密に調整して痛覚を完全に無くさないようにするか、怪我の後の痛み止めとして使うようになった、と。
「色んな意味で危険だから自分以外には使用できないんですけどね」
「……………………」
「あ、あとこれは、傷を目立たなくする塗り薬なんですよ」
へらりと笑うなまえに何も言えないでいると、なまえは他の小瓶を持ち上げる。
「使い方は簡単で、ただ目立っちゃう傷に塗ればいいんです。古傷でも新しい傷でも平気です」
そう言っておもむろに足首の辺りまであるスカートの裾をめくりはじめたなまえに微かに焦るが、膝を露出させた所で手を止めたので動揺を抑える。
…こいつは恥じらいとか無いのか。
「こうやって、乾いた手で患部に薬を塗ると、」
俺の動揺に全く気づきもせず、自身の膝にある古傷に少量の薬を塗って見せる。
しばらく馴染ませるように塗り込んでいると、さっきまでそこそこ目立っていた傷が完全に姿を消した。
「……すげぇな」
「えへへ。ありがとうございます。シャワーで流れ落ちちゃうんですけどね」
思わず素直に感想を零せばなまえは嬉しそうに笑った。
「…傷が沢山あったら、みっともないでしょう?どんなに必死に訓練しても、壁外調査に出るたびに私みたいな未熟な者は傷を負います。恥ずかしい、です」
だから隠そうと思って作ったんです、と言って本当に恥ずかしそうにスカートを直すなまえ。
確かに、いま薬で消して見せた傷の他にもなまえの脚には大小無数の傷があった。
少しぬるくなった飲み物に口を付けて、表情を消したなまえがなぜかものすごく辛そうに見えて気づけば口を開いていた。
「…俺は、お前の傷をみっともないとは思わないがな」
「え…?」
「その傷は、なまえ、お前が生き残った証、だろ」
「!!」
みっともないなんて思わない。むしろその傷が愛おしい、とさえ思えてしまった。
こんなか細い身体で必死に戦って、生きた証拠だ。
以前ハンジはなまえが自分の班で壁外調査に出た事があると言っていた。
あいつは普段はただの変態だが仮にも分隊長を任されている。
壁外調査では常に前線に立つ奴だ。
だからなまえはその前線で一緒に戦っていた、という事になる。
当たり前だが調査兵団での生存率は、男よりも女の方が格段に低い。
身体的にも精神的にも男の方が安定しているからだ。
だが事実 なまえはいままで前線に立ちながらも4度の壁外調査を生き残っている立派な兵士だ。
それに気づけずに怪我をさせた俺は救いようの無い馬鹿だが、今ならちゃんと分かる。
ハンジが言っていた“悲しい研究”というのは俺に見せた薬の事なんだろう。
確かに、どこまでも虚しい研究だ。
痛みを消して、傷を消して、それでも心に残った傷は絶対に消えない。
いや、それを消せないからこそ目に見える物だけでも消そうと考えたんだろう。
一体こいつは痛みを消してなにをしようとしたんだ。
そんな事をして、救われるのは一体誰なんだ。
口を閉ざした俺を、なまえは伺うように見ているが、それ以上なにも言う事は出来なかった。
もう一度口を開けば言うべきではない事まで言ってしまいそうで恐ろしかった。
まったく、人類最強が聞いて呆れる。
ごまかすように甘ったるい菓子を手に取って口に運ぶ。
…甘ぇ。
こいつはずっとこうやって甘い菓子を食っていればいい。
痛みに苦しまずに、ずっと暢気にしていればいい。
本気で、そう思った。