頭上遥か上の雲から零れ落ちて来る雨水に溜め息が自然に出て来る。
学校でレポートをまとめていたらいつの間にか大分時間が経っていたようで、もう空が暗いな、とは思っていたけどもどうやら時間のせいだけじゃなかったらしい。
なるほど、雨雲だったのか。
最寄りの駅に着いたと同時に降り始めた、雨。
駅から家までは歩いて15分くらい。
どうしようかな。傘、持ってないや。
コンビニで傘を買ってもいいんだけど、ビニール傘は苦手だし、家に帰れば傘はあるんだから今日の為だけに買うのはちょっと悔しい。
実家に住んでいたら親に電話して迎えに来てもらう事も出来ただろうけど、生憎一人暮らしだからそれも出来ない。
そもそも、この雨の降り方も、中途半端で腹立たしい。
もっと小雨なら多少濡れるのを我慢して早足で帰っちゃうし、もっと激しい豪雨なら傘をさしてもどうせ濡れる、と開き直って雨の中歩けるのに。
この中途半端すぎる弱くも強くもない雨だからこそ、踏ん切りが付かない。
「あっもしもし?まーくん?あたしね、いま駅着いたんだけど雨降っちゃって〜。お迎えに来てくれない?」
すぐ隣に立っていた女の子が、彼氏に可愛らしい声で電話をかけているのが聞こえる。
迎えに来てもらえる事になったのか、電話を切った女の子はなぜか少し優越感の滲む顔で私をちらりと見た。
あたしにはこうして雨の中迎えに来てくれる男がいるけど、あんたにはいないんでしょ?濡れて帰るの可哀想ね。
そうはっきりと顔に書いてあるのが読み取れてまた溜め息が出る。
…いや、ね。彼氏はいるんだよ。ちゃんといるんだよ。
私にはもったいないような素敵な彼氏がいるんだよ。
しかも彼はきっと私が呼べば、たとえ私が九州にいて彼が関東にいたとしても愛車を飛ばして迎えに来てくれると思う。
確信がある。絶対頼まないけど。
だけど、だからこそ、甘えるのが嫌なんだよね。
雨の中1人で帰れなくて甘えて来る女だと思われるのが嫌だ。
きっと優しい彼はそんな事思わないだろうけど、とにかく私のプライドがそれを許さない。
そんな弱い女だと思われたくない。
気持ちを固めて、彼氏を待つ女の子の横を通り抜けて駅から歩き出そうとした瞬間、こちらに向かって来る車のヘッドライトが雨に反射して目に刺さった。
眩しくて目を細めながら前を見れば、雨夜に光る白いFCが駅のロータリーに入って来るのが見えて動揺する。
びっくりして動けない私の前に、ぴったりと車を停めると助手席側の窓が開いて、声をかけられる。
「迎えに来たぞ、おわらない。乗れよ」
「りょ、涼介…」
隣に立っていた女の子が目を丸くしているのが視界の端に見える。
うんびっくりするよね。
こんなに良い男が良い車に乗ってこんな冴えない女を迎えに来たらびっくりしちゃうよね。
「ありが、とう」
いつまでも涼介を待たせるわけにはいかないから咄嗟にお礼を言ってFCの助手席に乗り込む。
私がシートベルトをしたのを確認した涼介がアクセルを踏み込む瞬間、最後にもう一度だけ女の子の顔を見れば未だに信じられないような物を見る目で悔しそうに私を睨んでいた。
なんだか、ごめんなさい。
きっとこの後すぐ来るであろう彼氏さんもとっても素敵な方なんだろうけど、涼介以上って事は無いでしょう。こんなに完璧な人は他に見た事が無いもん。
御愁傷様、と見た事もない彼氏さんにお悔やみを心の中で告げていれば隣で涼介がふっと笑う。
「なんだ、考え事か?おわらない」
「あ、いや、なんでもないの。……それより涼介、どうして私が駅にいるって分かったの?」
「たまたま近くに来ていたからおわらないの家に寄ったんだが留守だったし、そういえば今日はおわらないのレポート提出日だって思い出してもしかしたら学校に残っていたのかと思ってな。そうしたら雨も降って来て、今日の予報で雨とは言われていなかったからきっと傘を持って出かけなかったおわらないが駅でどうやって帰ろうか困っているんじゃないかと思ったんだ」
「そ、そうですか…」
完全に私の思考を読まれていてもう何も言えない。
しかも私のレポート提出日なんてよく覚えてたな、涼介。
この賢い頭の中にどれだけの私のデータが入っているのか想像してみて、やめた。
きっと彼は私以上に私の事に詳しい。
「………迷惑、だったか?」
「え?」
「…いや、さっき駅で一瞬 おわらないが困ったような顔をしていたから、もしかしたら勝手に迎えに来たのが迷惑だったのかと、思ってな」
「そ、そんな事ないよ。すごく助かった。ありがとうね」
「そうか。なら良いんだが…それじゃあ質問を変えよう」
「うん?」
少しだけ固い表情をした涼介にドキンと心臓が動く。
彼は人に動揺を見せたりはしないはずだ。
なのに今の彼はとても無防備に見えて、逆にこちらが身構えていると思いがけない質問を投げかけられる。
「…………俺はそんなに、頼りない男なのか?」
「えっ、ちょっと待って、話が飛躍してない?どうしてそんな事聞くの?」
「……俺は、雨の日に迎えを頼めないほど頼りない男、なのか…?」
「!!」
やっと涼介の問いたい意味が分かってびっくりする。
ハンドルを握る涼介の顔は心無しか落ち込んでいるようにも見える。
そんな事、考えていたのか。
そんな事、あるはず無いのに。
涼介に頼れなかったのは私の自分勝手なプライドのせいなのに。
そんなくだらないプライドのせいで涼介を不安にさせてしまったのが申し訳ない。
「…そんなこと、ないよ。涼介はいつも頼りになる。………けど、甘えたくなかったんだ。そうじゃなくても涼介は私に甘いから」
こんな心地よい甘さに慣れたらきっと1人になった時に生きて行けないから。
大きすぎる彼の前ではちっぽけな私のプライドなんてどうしようもない物だから、本心を伝えれば涼介は安心したように小さく息をついた。
「…俺がやりたくてやっているんだから、おわらないは何も気にしないでいいんだ。俺はおわらないから与えられる物なら面倒事だろうとなんだろうと、嬉しいんだからな」
「………へんなの」
「おわらないだけだよ、俺をおかしくさせるのは」
優しすぎる声でそんな殺し文句を言われて、赤くならない人がいるなら見てみたいものだ。
少なくとも、私は無理。
顔が、身体全体が熱くてたまらない。
車の外はまだ静かに雨が降り続けていてきっと肌寒いんだろうけど、暖房がかかっていないはずの車内は熱くて仕方なかった。
きっと、私がこの甘い涼介から抜け出せる事なんて無いんだ。
甘えるのを拒んだとしても、それを涼介は許してくれないと思う。
これからもずっと、この人の柔らかくて優しい腕に守られて、行くんだろう。
平凡すぎる私を世界一のお姫様にしてくれるのは、いつだって涼介だけなんだから。
嬉しくて、恥ずかしくて、ぼんやりと涙が滲んで来る。
雨が少しだけ、柔らかくなった。