涙が収まったのを確認して、潤さんは私の背中を一回ゆっくりと撫でると立ち上がって玄関に鍵をかけて戻ってきてくれた。そうだ、直人が帰ってからそのままにしていたんだった。
私は根本的な所で色々と防犯管理が甘いのかもしれない。気を引き締めなければ。


「あの…すみません、ありがとうございました…」
「…間に合ってよかった」


元彼に襲われかけた事実が気まずくてぼそぼそと紡ぐ私に、怒るでも呆れるでもなく心底安心したように言ってくる潤さんに再度泣きそうになってくるが必死で抑える。

だめだ、こんな、喜んでしまっては。
私は友達だから心配してくれたのであって、そこに特別な意味を見出してはいけない。
だけど、恋する私の心臓は身勝手で、ドキドキとしてしまう鼓動を鎮めることも出来なかった。


潤さんが微かに動く気配がして、咄嗟にジャケットの裾を掴んでしまう。

パッと掴んだ指先から、私に視線が流される。

少し驚いたような潤さんの顔。私もきっと同じ顔をしている。


「…きょ、う、泊まってくれません、か…?」
「それは…」
「まだ、ちょっと怖くて…」


半分嘘だった。
咄嗟に出た、本音と厭らしい期待の混ざった言葉。

あんなことのあった後で怖い気持ちがあるのは本当。だけど、潤さんと離れたくないという気持ちもあった。
こう言ってしまえば潤さんが断らないと知っていて言う私はズルい女だ。

予想通り、複雑そうな顔をしながらも潤さんは頷いて了承してくれる。

まったく、優しいんだから。
そんなに優しくて、私みたいな女に利用されてしまっても、知らないんだから。

潤さんは八千代さんのことが好きなのに。もうずっと、何年もずっと好きなのに。そしてきっと2人はお似合いのカップルになれるのに。
それなのに、私はどうしても潤さんへの淡い気持ちを捨てきれなくてこうして付け込んでしまう。



私たちは言葉少なに、もう遅い時間だからと眠る準備を進めた。

ベッドを使ってくださいと言っても頑なに受け入れてくれなくて、さっさと床に寝転がられてしまった。
大きな潤さんが私の部屋のフローリングに寝ているといつもより部屋が狭く見える。
そんな光景も愛おしくて、いよいよ末期だなぁと妙に冷静な気持ちでぼんやりと考えた。

どうしても私だけベッドに眠る気にはならなくて、潤さんの説得を押し切って私も床に転がると、潤さんは呆れたように息をひとつ吐いて「おやすみ」と言って目を瞑ってしまった。



電気が消えて、たまに外で車の通る音が聞こえるだけの静かな部屋。どれくらい時間が経ったんだろう。まだ体内にアドレナリンが駆け巡っているのか全然眠くなくて困ってしまう。

月明かりが部屋を冷たく照らして、仰向けで寝る潤さんの投げ出されている手の輪郭を見せてくれる。

直人にぶつけたであろう箇所が少しだけ赤くなっている。
大丈夫かな、痛く、ないかな。

筋張って、骨と血管が大きく浮き出た手。
何もかもが私のそれとは全然違って、無性に触れてみたくなる気持ちを抑えることが出来なかった。

恐る恐る手を伸ばして、そっと手に触れてみる。
温かくて、硬い。少しカサついた手。

一拍おいて、閉じられていた潤さんの薄い瞼がスッと持ち上がって、私を射抜く。
もうとっくに寝てると思って完全に油断していたから、咄嗟に反応できずに金縛りにあったように動くことが出来なくなる。

そんな私を知ってか知らずか、私を見つめたままそっと夜の空気に溶かすように、潤さんが口を開いた。


「俺のことが、怖いか?」



潤さんの言葉を理解しようと脳みそが回転するけれど、どうしても思考が鈍くてもどかしい。
けど、ちゃんと返答しないといけないってことだけはよく分かって。

触っている潤さんの手を離すことも出来ずに、ただただ声も出さずふるふると首を横に振ることしか出来なかった。


「…そうか」


私の返答を確認した潤さんはフッと笑うと私の手をそっと外して今度は背を向けられてしまった。
規則正しく動いているように見える、潤さんの肩。きっともう眠ってしまった。

助けてくれた潤さんのことが怖いわけないのに。変なの。
質問の意図するところが分からなくて混乱もしていたけれど、何よりも手を外されたことがショックでまた泣きそうになった。
握り返してくれることを心のどこかで期待していた自分に腹が立つ。

絶対に嗚咽を漏らすわけにはいかなくて、必死に深く深呼吸をして息を整える。
私にはそんな権利ない。
潤さんの愛おしい存在になれることは、ないんだ。


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