身を切るような冷たい風が池袋の汚れた地面を撫で始めた頃、一台の車が俺とタカシの前に止まった。

それは夜のネオンを反射して輝くメタリックレッドのMR2。小柄ですばしっこいそのボディはやんちゃな雌猫によく似てる。



「こんばんは。ごきげんいかが?」



小型のスポーツカーから颯爽と降りて来たのはクラブに行くことを意識したのか昨日よりもセクシーな服装の女。池袋のどこにでも転がってる頭の軽い女のような下着が見えそうな服じゃなく、節度をわきまえた肌の見せ方に高感度は更にアップ。



「機嫌か。悪くは無い、な」

「あら、身内の女の子が消えてるっていうのに随分呑気なんだね」



薄く唇を上げて答えたタカシを軽くあしらう女。こんなことできる女はこいつ以外知らない。


「私の車で行ってもいいんだけど、2人乗りなんだよね。誰か後ろに立ってもいいけどさすがに狭いよね」


女の子なら結構平気なんだけど、と言う女。
今夜も最高に無茶苦茶なお嬢さんだ。俺はMR2の座席の後ろに立つことを想像してみる。うーん、ちょっと無理かな。
それにしても女の子がMR2なんてお洒落。



「こんな色のMR2は見たことないな。塗り直したのか?」

「お、マコト良い目してるね。これはお父さんがやってくれたの。かっこいいでしょ」

「あぁ、いい趣味だ。初代後期か」

「そう。知り合いに譲ってもらったの」



いまじゃパーツも手に入りにくい車を譲ってくれる知り合いって、俺も欲しい。



「まぁ車の話は置いといて、そろそろ行こうか」

「運転の上手いガキにどっかに止めさせておく。渋谷にはこっちの車で行く」

「おっけ」

「夕飯はうまかったか?」

「うん。最高だよ。タカシとマコトも今度来ればいい」


確かに、池袋中の女を魅了するタカシとの晩飯よりも惹かれる女の家の飯には興味ある。



「そうだな。今度、な」



タカシがクールに言って、ウエストゲートパークの向こう側に止めておいたメルセデスに三人で歩く。


俺達は内容なんてあるようで無い話をしていたけど車に着いた途端、女はメルセデスに走り寄る。



「わー、家のよりも新しい型だ。ホイールもかっこいい」


MR2の次は自家用車にベンツか。もしかしたら女はものすごいお嬢様なのかも。でも考えてみれば行動はどこか俺達にはない気品が漂ってるし、頭もよさそう。



「私が運転していい?」



くすんだ池袋の空に浮かぶ星なんかよりも何倍も目をきらきらさせてタカシに尋ねる女に思わず吹き出す。こんなに車好きなんて、変わった女がいたもんだ。女ってのは高価なブランド物の鞄にしか興味ないもんだと思ってた俺には軽いカルチャーショック。それはタカシにとっても同じだったみたいで、奴にしては珍しく返答が遅れる。



「…別に、そうしたいならかまわない」

「ありがとう!じゃあ、行こうか!道案内よろしくね」



運転席に座ってたタカシのボディーガード兼運転手のGボーイズが無言で出てきて鍵を女に渡すけど、強面なGボーイズににこにこと愛想よく話しかける女にすでにこいつもペースを崩されてるみたいだ。そう、俺とタカシみたいにね。自分のペースに巻き込むのが上手な奴。



「中も綺麗なんだね。素敵」


革のシートに身を沈めて満足そうに笑った女は安定したハンドルさばきで道を飛ばしていく。


「おまえ、運転うまいんだな」

「まぁね。お父さんもお母さんも昔はプロだったし。血かな」

「プロって、レーサーか?」

「うん。特にお母さんが凄くてね。女で史上初の優勝とかいくつも出したんだよ」



娘がぶっ飛んでるなら、親も、ってことか。親の顔が見てみたいっていうのはこう言う時に使うのが一番正しいんだろう。



「ところで女、おまえはなんなんだ?」

「なに?急に。私は私だけど」



タカシのストレートすぎる質問に女は首を傾げながら赤信号に従ってブレーキを踏む。あまりにもソフトなブレーキの踏み方に、しばらく止まったのに気づかなかったくらいだから親の遺伝子はきっちりと受け継がれているらしい。



「おまえはこの街の人間なのか?昨日久しぶりに来た、と言っていたな。どこから来たんだ。おまえは、…なんなんだ」



キングが女にこれほど興味をむき出しに見せるのは前代未聞。王はいつだって物事に無関心を装ってクールに上から見ているだけなのに。こんなタカシを、ユウリは知っているんだろうか。少なくとも俺は知らなかった。

タカシがもう一度繰り返した質問に、女は軽く息をつくとアクセルを踏みこむ。
タコメーターの回転とスピードの上昇が芸術的。エンジンの唸る音が気持ちいと感じたのは初めてだ。



「最初に言っとくけど、私のことをおまえ、って呼ぶのやめて。名前は教えたでしょ。話はそれから」


運転の天才はちょっと不機嫌みたいだ。だけどそんな女にタカシは薄い北風を口から吐いて、形の良い唇からお転婆猫の名前を呼ぶ。


「女」



それは男の俺でさえ不覚にも反応してしまうほどの、聞いたことないタカシの甘く、低い声で、いままで一定のスピードを保っていたメルセデスの速度が少し上がる。どうやら、マイペースな女も少しは動揺したみたい。



「っ、…わかったよ。私のこと話せばいいんだね。まず最初に、私の家は池袋じゃないけど、遠くないよ」


女のホームタウンは池袋から電車で十五分弱くらいのところ。まぁこいつの運転なら五分切るか切らないか、ってとこかな。



「家族構成はお父さん、お母さんにお兄ちゃんと可愛い可愛い猫さんが2匹」

「猫か。ぴったりだな」

「褒め言葉として受け取るよ。ありがとう」

「それで、その流暢な英語は?まさか駅前留学で培ったってわけじゃないだろ?」

「あれ、言ってなかったっけ?私、アメリカの大学行ってるんだ。今は春休み。成人式だから帰ってきた」


さらりと何の気なしに女の口から出てきた言葉は俺達バリバリの純日本人を驚かせるのには効果がありすぎた。
そしてさらに女のぺろりと口にした学校名に、車内は凍りつく。

頭よさそう、なんて瞬間でも思ったさっきの俺を全力で殴り飛ばしに行きたい気分。そんなレベルじゃない。女の言ってることが本当なら、こいつは世界一の教育を受けていることになる。


「まじ、でか」

「ふふっ、そんな驚くようなことでもないでしょ。他にも日本人2人くらいいるみたいだし。会ったことないけど」



倍率が軽く15倍を記録する世界一の名門校をそんなに驚くことない、と言い切る女の感性に同意しろというのは地元の工業高校でろくな教育も受けなかった俺達には随分酷な話だ。
それなのに女はそれを鼻にかける気をまったく見せないどころか軽快に笑うその愛嬌のある顔は大きすぎる学歴の差を軽く飛び越えて、俺達の心に入りこむ。



「女、…おまえは本当に面白い奴だな」

「それも褒め言葉としてもらっとくけど、もし今度おまえって言ったら口きかないからね」



氷の小さい粒を空中に撒いたような楽しそうな声を出して言ったタカシをバックミラー越しに軽く睨みつけた女の口元にも、笑顔が浮かんでいる。
こいつは、面白い奴に会えたもんだ。今年の冬は寒さが厳しいけど、女のおかげで楽しい冬になりそう。


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