俺たちもそこそこ歳を食っていくとたまに信じられないほどタイミングの悪いアクシデントって遭遇することがあるよな。デカい買い物をする直前の増税とか、やっと働き始めた会社が大手企業に買収されて雇用条件が一変するとか。
まぁでも俺が言ってるのはそんなに堅苦しい話じゃない。むしろソフト目なアクシデントだと俺は思う。でも当事者にとってはハード・ソフトに関わらずまさに天国から地獄に落ちるような危機的状況。それが自分のことだったら必死にあがくけど、不謹慎なことに他人のことだと何故かちょっと笑える。しかもそれがいつも氷のマスクを崩さない池袋のキングの身に降りかかった場面に居合わせたりしたら、もう俺は吹き出すのを我慢することで精一杯だった。

「お。タカシだ。ハロー、久しぶり」
「…女」

タカシの反応がコンマ数秒遅れるところを見たのはいつぶりだろう。付き合いの長い俺でも思い出せない程にはレアな現象。
ただ、それも無理はないだろう。なんてったってここは池袋北口のラブホ前で、女はタカシの所謂忘れられない女。
ちょうど俺と女が通りがかった所で、シャレた外装のホテルから出てきたタカシと鉢合ったのだ。ちなみにタカシはもちろん女連れ。最近特定の彼女ができたみたいだってGガールズが言ってたけど本当だったんだな。
俺と女の方は別にホテルに用事があって歩いてたんじゃなくてたまたまここが一番の近道だっただけだ。残念ながら俺たちはそういう関係じゃない。まぁ女なら俺はいつでも歓迎なんだけど。でもそんなことわざわざタカシに言ってやる必要はない。いつも虐げられる平民から王様への細やかな反逆だ。
俺は意図的にタカシへの説明を省いたが、女は特にそもそも必要性を感じていないのかあっさりした反応だった。

「お邪魔みたいだね。またね。行こうマコト」
「あぁ。じゃあな、タカシ」
「女」

パシッと空気を横切る音がして、タカシが女の腕を掴む。
女は掴まれた腕を真顔で見つめた後、タカシ、それから連れの女へと順番に目を向けた。

「らしくないね」

確実にタカシは焦っている。そんなタカシに気づいているのかいないのか、どこまでもマイペースな女は軽く笑ってサングラスを外した。
女が掴まれてない方の手でそっとタカシの腕に触れて、離すように促す。それでもタカシはぴくりとも動こうとしない。滅多に見られない王様の姿を前に、俺は息を殺すことに集中した。もし無駄な吐息でも漏らして笑っていると判断されたら稲妻よりも少しだけ速いストレートに地面に沈められかねないもんな。

「今夜は?」
「んー、今夜はダメ。お兄ちゃんの友達に会うから」
「明日は」
「空いてるよ」

きっと池袋中を探し回っても、Gボーイズの王様の誘いを断る女なんていないだろう。そうだよな、女って初めて会った時からこうなんだ。行動の真ん中に、絶対に折れないスタイルがあるから見ていて気持ちがいい。
お預けなんて久しぶりに喰らったキングは、それでも約束を取り付けられたことに安心したように短く息を吐くと漸く女の腕を離した。

「車を回そう。住所は同じか?」
「ううん、違うところにしてもらおうかな。後でマコトに住所送っておくから聞いてくれる?」
「あぁ」

凍えるような冷たい視線を感じるけど、幸い今は真夏。冬だったらあまりの寒さに氷漬けになってたかもしれないけど。
とはいえこれ以上こんなところで長年のダチからのブリザードに晒されるのはごめんだ。じゃあな、と手をあげて女に行こうと促してラブホ街から脱出する。

「タカシは変わらないね。あ、マコトもね」

年月が経っても年相応にアップデート出来た奴は“変わらない“と言われて、時間に順応出来ずに本当に変わらないまま取り残された奴は“変わった“と称されるとどこかで読んだ。だからきっとこれは喜んで受け取っていい言葉だろう。しがない果物屋の俺だけど、段違いのスピードでアップデートを重ねているであろう女からそう言われるのは悪い気分じゃない。そして間違いなく女も“変わらない“側の人間だった。
さっきの場面に出くわしたことに関してなにを思っているのか悟らせないしぶとい笑顔で女は夏の日差しを浴びて歩く。俺たちの目的地であるオムライス屋はすぐそこだ。


***


優雅にランチを楽しんだ俺たちは駅前で別れてそれぞれの行くべき場所へ向かう。
さてと。今日はいい台湾パインが入ってるから串に刺してどんどん売っていかないとな。夏場の果物は足が早いからスピード勝負だ。
午後からの店番の算段を脳内で広げながら店に帰れば、やっぱりと言うべきか。そこには大型のボルボが停まっている。一体いつからそこで待っていたのか、すぐにこの街の王様が降りてきた。

「よう。一日に2度も会うなんて珍しいな」
「マコト。俺は無駄話に付き合う時間はない」

無駄話には付き合えないけど、大事な女について少しでも情報を得るためなら1時間以上もこうして路上で待つのか。今までのこいつなら考えられない行動だけど、まぁ相手はあの女だからな。調子が狂わされるのも仕方ない。
見るからにイラついているタカシにこれ以上意地悪をするのはやめて、大人しく俺の持っている情報を渡してやる。俺だってもう少しこの街でおもしろおかしく暮らしていたいから、危険な下剋上は一旦中止だ。

「今日突然店に来たんだよ。帰国してるんだってさ。それで連絡先を交換して昼飯に誘ったんだ。お前に連絡したくてもどこいるのか分からないから俺のとこに来たんじゃないかな。まさかあんな所で会うなんて驚いた」

本当は“お盛だな“くらいのからかいを入れてやりたかったけど、タカシが表情を失くして氷点下まで下がっているのを見て余計なことを言うのはやめておく。人付き合いってジョークのセンスとTPOが大事だからな。

「俺も生きていてここまでタイミングが悪かったことはない」
「同情する。全く、なんでお前に彼女が出来ると帰ってくるのかな」
「もう違うけどな」
「え?」
「別れた」

あっさりと、今日の天気でも伝えるような調子で言うタカシに俺はポカンと口を開けてしまう。タカシだってそうホイホイ女と付き合うような奴じゃない。さっき一緒にいたのだってまるでバービー人形の様な小顔で可愛い女だった。池袋じゃ見たことないような美人だったのに。女が帰国している。たったこれだけの情報で、あっさりとその他全てを切り捨ててしまえる行動力がもはや怖いくらいだ。

「…なぁ、なんで女と一緒にならなかったんだよ」

驚きついでに、数年間聞けていなかった疑問をぶつけてみる。
だってそうだろ?こんなにもタカシはずっとずっと女のことを想っていたのに。むしろ現在進行形であるはずなのに。
女だって確実にタカシには特別なものを感じていただろう。なのにどうしてこの2人が永遠に結ばれなかったのか分からなかった。
温め続けていた俺の質問を受け取ったタカシは、わずかに口角を上げて真夏なのに冷え切った息を吐く。自嘲的な笑みとは珍しい。

「俺の手元に閉じ込められるわけがないだろう。あんな身軽な女を」

身軽な女。女を形容するにはぴったりな言葉だ。確かに、誰かに人生を左右されるような奴じゃなくて、むしろ誰かの人生を左右させるような女だ。そしてそれはタカシも一緒。妙に納得して、さて要件も済んだろうし店番を始めようと年季の入ったエプロンを着けると、後ろから小さく声がかかる。まだいたのか。

「あそこを通っていたのは、ホテルに行ったんじゃないんだな」

今度こそ吹き出さないように俺の全身の筋肉(特に腹筋)をフル稼働させて力を込める。この歳なって顎の骨を砕かれたらたまったもんじゃない。

「そんなわけないだろ」

家臣の従順な答えに満足したのか、今度こそ心配性な王様は車に戻っていく。
タカシのやつ、1番聞きたかった質問はこれだったのか。女が絡むと途端に可愛げが出てくるから勘弁して欲しい。まるでガキの恋愛を取り持ってる気分。


***


「聞いてよマコト!タカシ、昨日彼女と別れちゃったんだって!」

元Gボーイズが営むレストランで奥のボックス席に座っていると、女が小走りで寄ってくる。その後ろにはゆっくりとした歩みの王様。きっと女が自分の視界の中にいること自体が満足する光景なんだろう。いつもよりちょっとだけ足取りが軽そう。
なにが“車を回そう“、だ。ちゃっかり自ら迎えに行ったのか。

「あんなに可愛い子だったのに」
「まったくだ。贅沢な話だよな」
「女がいるんだ。当たり前だろう」
「気が早いよ」

席に着いてくる女に同意すると、タカシはフッと軽く笑って北風が頬を撫でるようにさらりと口説く。俺はこんなにナチュラルに女を口説いたことが無い。こうやって言えばさりげないのか。心のメモに留めておく。
タカシのアプローチを軽く流す女を見て、なるほど既に車の中で一通り口説いた後なのかと納得する。とすると、この二人はもうよりを戻したのかな。
特に急いで聞かなくてもそのうち分かるだろうと料理を注文してドリンクを飲みながら最近のトラブルについて女に話していると、不意に女が黙った後、俺の目を見つめて言い放った。

「マコト、結婚しよう」


ーミシッ


確かに冷房が効いている店内ではあったけど、なにも冷凍庫にすることはないんじゃないか。一気に氷点下まで気温を下げたアイスキングのシューズが店のフロアを強く踏み締めて軋ませる音を認知するまでが約2秒。

「って言ったらどうする?」

何の補足にもなってない言葉を続けて小首を傾げた女に集中する。ここで回答を間違えれば俺は間違いなく明日から池袋の街で暮らせなくなるから、必死に脳みそを回転させて慎重に言葉を探す。

「…相手との状態によるかな」
「そうだよね。じゃあ、1年付き合った彼女」

スッと店内に温度が戻ってくるのを感じて、そっと息を吐く。俺なんてあと少しで歯が鳴る所だった。
仮説の話をするならそう前もって言って欲しいし、相手を選んでもらいたい。自分のためにモデルみたいな綺麗な女をいとも簡単に切ってしまう危険な男が隣にいることを分かっているのだろうか。

「1年か。付き合う前の友達期間が長いのかな」
「ううん。出会ってすぐ付き合ったって」

今はゼロ日婚なんてのも流行ってるんだろ?奥手な俺にはとても真似できないけど、気が合う奴らがさっさと結婚してスムーズに子供を設ければこの国の少子化にも歯止めがかかるだろうか。いや、今の老人にばっか金の流れる政治じゃ難しいよな。
専門外トピックの質問に俺が必死で頭を悩ませていると次の女の言葉でガラリと状況が変わった。

「それと、結納金に現金一括300万。受け取った彼女とはその後音信不通」

肩をすくめる女に、俺はニヤッと笑いかける。街のトラブルシューターとして磨いてきた腕を見せられる時がようやく来たか。

それから聞いた話によると、昨日女が会っていた兄貴の友人が付き合って1年の彼女に突然結婚を迫られたらしい。出会いは健全な合コン。知り合ったその日に付き合い始めてそれから順調だったけど結婚の話題が出てからおかしくなった。真面目に働いて貯金をしていた彼氏に結納金を求めると女は現金を受け取り跡形もなく消え去ってしまったという顛末。
一見よくある美人局かと思うけど、それにしては時間をかけすぎている。詐欺師だって昨今は時間対効果を意識しているはずだから、これは長期計画による大口案件ではなさそう。つまり、反社会的団体はバックにいないと考えられる。

「困ってるみたいだから話を聞いてあげてもらえないかな。私にも何か協力できるといいんだけど」
「女の依頼なら歓迎するよ」
「必要ならGボーイズも協力は惜しまない」
「本当?心強いな、ありがとう」
「ソイツの連絡先は?どんな奴?」

スマホを抜いて、見事にカモられた哀れな男の連絡IDを送ってもらう。
とっくに運ばれてきていた料理を味わいながら、何の気無しに尋ねるとまたしても爆弾を落とすもんだから味なんてわからなくなってしまう。

「心の優しい人だよ。私の初恋なんだ」

イタズラに笑う女は、俺の剥き出しの二の腕に一斉に鳥肌が立ったことに気がついてないんだろうか。頼むから、タカシを刺激するのはやめて欲しい。こいつら、この様子じゃまだよりは戻してないんだな。
早く俺の心の平穏のためにもくっついてもらいたいもんだ。


***


三人での食事の後、俺は早速結婚詐欺被害者に会うことにした。
一緒に来たがっていたが、女は既に別の用事があるみたいで残念そうにしながらも帰っていった。別れを惜しまれるのっていい気分だよな。
女が来ないってことはもちろんタカシもパス。ガキの王様は多忙だ。

食事は済んでるから喫茶店で会うことにした。一杯がラーメンくらいのカロリーがあるフラペチーノは出てこないが、なかなか美味いコーヒーを出す店って結構池袋にもあるんだぜ。
のんびり食後のコーヒーを飲んでいると店に背の高い優男が入って来て、そのまま俺の席へと向かってくる。

「マコトさんですか?女ちゃんから紹介してもらいました五十土です」
「ざっと話は聞いてるが、アンタの口から詳しく教えてくれ」
「よろしくお願いします。彼女とは丁度一年前くらいから付き合っていて、ずっと順調だったんですが…」

女のことを“ちゃん“付けで呼ぶ男と初めて会うからなんだか耳に馴染まなくてくすぐったい。こいつが女の初恋か。確かに礼儀正しい好青年。おまけにルックスもいいと来れば年頃の女の子は気になってしまうだろう。キングが会ったらどんな顔をするか見てみたいもんだ。どうせ分厚い氷の様な無表情を崩さないんだろうけどな。
五十土の話は概ね女から聞いた話と一致した。どうやらここ一ヶ月くらいで彼女の様子がおかしくなったらしい。

「突然結婚の話になりましたが、僕としては好きな相手だったので断る理由も無く」
「いままでに金を要求されたことは?」
「一度もありません。元はと言えば結婚資金として貯めていたものなので、結納金というのならば僕が持っていても彼女が持っていても同じかと思って渡しました」
「結婚を急に言い出す前に、何か彼女に変わったことはなかったのかな」
「うーん…思い返せば、ちょこちょこ誰かと連絡を取っている様子だったような…バイト先の人って言ってましたけど」

新しい職場の人間と頻繁に連絡を取り合っていた後に300万持って姿を消した彼女。
1年近く普通に付き合っていたけれど、たまたま悪い奴に惚れて突発的に結婚詐欺を実行した可能性もありそう。

「彼女が危ない目に遭ってないといいんですが。力を貸してください、よろしくお願いします」
「他でもない女の紹介だからな。できる限りのことはしてみるよ」

俺は彼女の元バイト先を聞いて、女の初恋の相手と別れた。
色々攻め方はあるけど、とりあえず何事も情報収集からだよな。俺たちは日々情報に生かされたり殺されたりしながら生きている。


***


よく晴れた日本の夏。今年は梅雨が明けるのが早くて、早速記録的な猛暑日が続いているらしい。寒い夏よりも果物はうまくなるから果物屋としては大歓迎。俺は暑い日が嫌いじゃないんだ。
俺は地道に集めた今回のトラブルの情報を女に伝えようと呼び出したけど、身軽なお嬢さんは俺に任せきりにするんじゃなく自分でも動いていたらしい。

「私も調べてみたよ。バイト先で出会った男が危なそうだったね」

前置きも細かい説明も省いていきなり核心に迫る話。まさに俺も同じ内容を伝えようとしていたから面食らう。

「あの店まで行ったのか?」
「お店にも行ったし、元同僚って人にも会って話を聞いたよ。碌でもない奴はどこにでもいるんだね」

どうやら女は本当に俺と同じくらいの情報をすでに持っているらしい。
俺も情報を集めたけど、五十土の彼女はバイト先で半グレの男と知り合って、良い仲になったみたいだった。よくバイト帰りに2人で夜の街に消えていったと言うバイト仲間や、そもそも2人は付き合っているものと思っている同僚もいた。
その男に唆されて五十土から現金を頂いた後にどこかへ姿をくらませたんだろう。
女の情報収集能力に舌を巻くが、口を開かずにジッと聞いていた王様は別の視点を持っていた。

「あまり深追いするな。危険な目に遭う」

もちろんこれは俺に向けられた言葉じゃない。今まで数多ものヤバいヤマを踏んできたが、こんな優しい言葉を向けられたことはない。少し寂しくなんてなっていない。これは俺のプライドに欠けて絶対に言い切らせてくれ。

「心配をありがとう。気になってさ」
「成人している男が探りを入れるのとは違うんだぞ」
「タカシの言うとおりだ。もし話を聞いた中にヤバい奴がいて、目をつけられでもしたら」

意図的に中途半端に言葉を打ち切る。全部言うよりも、行間を読ませた方が伝わることってあるよな。

女が、どこかの危ない奴に目をつけられでもしたら。その時は目の前で見たことも無いような優しい視線を女に向ける王様によって、池袋は一気に戦争の最前線となるだろう。
流石に自分の身に危険が迫った時に、危ない元カレがなにをしでかすか軽く想像はついたんだろう。女は大人しく頷いた。

「そうだね。マコトを信頼して任せる。よろしくね」
「任されたよ。明日のGボーイズの集会の後に相手の男の住所まで足を伸ばす予定だ」
「集会かぁ懐かしいね。私も行ってもいいかな」
「迎えに行く」
「大丈夫。タカシは準備もあるんじゃないの?勝手に行くよ」

なかなか頼ってもらえずに王様は少し不満そう。それに比べて俺は今回のトラブルを任されているのもあってちょっといい気分。たまにはイケメンの友人よりも優位に立つのもいいもんだよな。
Gカールズ絡みのトラブルを女の協力によって解決したのは数年前になるけど記憶に新しい。
その時から今までずっとチームに在籍してる奴らの中では、女はちょっとしたレジェンド扱いでファンも多い。あの時代を知らないガキも、噂程度には聞いていて名前を知っているからもし女が集会に来るようならちょっとしたお祭り騒ぎになりそうだ。

普段は誰が来ようが来まいが気にも留めないキングだけど、流石に惚れた女が来ることに関しては嬉しいらしい。迎えを断られたっていうのにほんの少し温度が上がっているのが伝わってくる。

思えば、この時だった。この時に意地でもタカシが迎えに行くことを押し通していたら。もしくは店を閉じてからは暇人代表になる俺が代わりにエスコートを申し出ていたら。そうしたら、今回のトラブル首謀者達の残酷な運命が変わっていたかもしれない。
いつだって、物事の起点に立った時には気づかないもんだ。全部が終わった後に、決定的な分岐がどこにあったのか気がつく。
そういう経験、アンタにもあるよな?俺たちはいつだって、少し遅いんだ。


***


会社勤めの大人はあらかた家に帰って、あとは数えるほどの酔っ払いしか見かけない深い時間にGボーイズの集会が開かれる。場所はいつものウエストゲートパークだ。
あと数分で始まるが、女がまだ姿を表さない。まぁ時間通りに行くとは言ってなかったから、自由気ままな女のことだ、来ることは間違い無いだろうが細かいことを気にしても仕方がない。
ガヤガヤと集会が始まるのを待つ数百のガキを前に、そろそろ始めようかと幹部が動いた時。大通りから鋭い声が聞こえて空気が一変する。

「Hey, don’t touch me!」
「ああ?うるせぇな、ガイジンか?」
「Stop! Just leave me」
「構わねぇ、乗せちまえ」

声の方を咄嗟に見ると、通りに停まったハイエースと、数人の男と、それに、女。
女は明らかに肉体派の男2人に掴まれていて今にも無理やり車に乗せられそうになっている。小さな女の抵抗なんて関係なしに身体を持ち上げられて、詰め込まれる前のほんの一瞬。女の瞳が俺とタカシを捉えた気がした。

女の視線を認識した次の瞬間、俺の隣に季節外れの北風が吹く。それに気づいて俺も半歩遅れてがむしゃらに脚を動かして走り出す。距離は数十メートル。
騒ぎに注目を集めたと気がついたのか、「出せ出せ!」と言いながらドアを閉じる余裕もなく車が発進する。
車を見失うまいと必死に走りながらも俺の視界の先を行くタカシを見て驚きを止められない。こいつ、モータージェットでも積んでるのか。速いのは拳のスピードだけじゃなかったらしい。
ぐんぐんと俺を突き放して、あとほんの数メートルというところでタカシが跳ぶ。開きっぱなしになっているハイエースの後部座席へと足をかけるのが見えた。マジか、こいつガソリンで動く車に追いつきやがった。

愕然とする俺のことなんてもちろん見えてもいないんだろう。飛び乗った勢いもそのままに女を拘束していたであろう男の一人をとても肉眼では捉えられないスピードの拳で沈めると襟首を掴んで後ろに投げ捨てる。道路のアスファルトに背中を打った男をいつの間について来ていたのかGボーイズ武闘派の側近が縛り上げる。
それでも止まらない車を止めるべく、次は運転手に短いフックを喰らわせて後頭部を鷲掴みにしてハンドルへと強く沈めたタカシの横顔が目に入る。おっかない。こんなに凶暴性をむき出しにする親友を長い付き合いの中で見たことがない。それくらい、タカシの瞳は怒り狂っていた。

「っ女!大丈夫か?!」

ようやく止まったハイエースに追いつくと中の男達は仲良く伸されていて、数秒間のうちに全員の意識を絶った、車よりも速く走る物騒な男は女を固く抱きしめて無事を確認している。無様にも走ったことで息をあげているのは俺だけで、北風の様に駆け抜けた後に全員を叩きのめしたタカシの息は全く乱れていない。
女は小さく身体を震わせながらも、決して涙を流すまいと固く我慢しているのが見てとれた。そしてそれは、悲しいまでに他でもない自分を襲った男たちへの配慮だ。
ここで自分が泣けば、タカシの怒りにさらに燃料を与えることになる。ただでさえ日本で一番大きな山が噴火した規模感で燃え上がっている憤怒が、自分の涙なんて見せた日にはエベレスト級にまで跳ね上がることをよく分かっている頭の良すぎる女。自分が怖い目に遭ったんだから思いっきり甘えればいいのに、こんな時まで色々なことが見えすぎちゃうのは頭のいいやつの辛いところだよな。

その日の集会はイレギュラーイベントによって延期になった。とてもじゃないがキングが集会を執り行える状態じゃなかったからな。この世で一番愛している女が目の前で攫われかけて冷静でいられる男なんていない。タカシは、女のためにならどんなことでもやってのけてしまうだろう。だからこそ、この後の展開を思って胃がもたれる。
この街の王様の愛しい女に手をかけた哀れな男達が一体どうなるのか。古典のより上をいくお決まりの結末しか無いだろう。

「ヒッ!俺はただ、嗅ぎ回ってる女がいるから攫ってこいと命令されただけだ!」
「お前たちに命令を下す者がいるのか。どこの誰だ」
「全部話す!話すから、助けてくれ!」
「それを決めるのはお前じゃない」

通りで騒ぎ続けていては警察が来るのは時間の問題だったから、Gボーイズの使用している倉庫へ場所を移して拘束された男達と向かい合う。
女は側近と一緒に安全な場所で待っているように俺もタカシも説得したが、絶対に首を縦に振ることはなかった。自分が今この男達のそばを離れれば、タカシは一瞬で始末してしまうことに気づいている。正直、今に至るまで誰の骨もちゃんとあるべき場所で繋がっていることは奇跡に近いだろう。
目の前の男たちもGボーイズとキング・タカシのことはよく知ってるみたいで、これから自分たちはどんな目に会うのか想像してブルブル震えている。まぁ、池袋の若者で知らない奴がいたらソイツはモグリだよな。

自分たちがいかにマズい状況にいるのか理解した奴らはこちらが質問をする手間もなくペラペラと情報を吐く。どうやら五十土の彼女と飛んだ男が自分のことを嗅ぎ回っている奴がいると聞いて、もう二度と嗅ぎ回らないように攫ってビビらせるつもりだったらしい。なんて哀れな男。ちょっと脅そうと思っていた相手がおっかない番犬を従えてたなんて考えもしなかっただろう。しかもその番犬は脚も拳もデタラメに速いだけじゃなく、数百の仲間を率いている。手を出したら最後、まとめて液体窒素の様な怒りに当てられて凍えさせられた後、粉々に粉砕されて地上には影も残らない。
早々に吐かせた首謀者の居所には既にGボーイズの精鋭部隊が送り込まれている。もうすぐあっけなく捕まってここへ連れて来られるだろう。

「Gボーイズがバックにいるなんて知らなかったんだ!知っていたら手出ししない!」
「そんなことは関係ない。お前たちは触れてはいけないものに触れた。それだけだ」

必死にGボーイズへの敵意がないことを伝えるけれど、キングが怒っているのはそこじゃないから表情はどこまでも凍えるように冷たい。Gボーイズがどうこうじゃない。女という唯一無二の女に手を出してしまったことこそが最大にして唯一の問題だからな。
キンキンに冷え切って一切の感情を読ませないタカシを見る。こいつ、自分で手を下す気でいるんじゃないか。いつもはそういった雑事は全て命令だけ下して後は任せているけど、自分の一番大切な人間に触られて怒り狂っているコイツならまじでやりかねない。でも俺にはそれを止める言葉が出てこなかった。タカシの怒りは理解できるし、いざとなればどんなヤバいことだって蚊を殺すのと同じ要領で実行してしまう奴だってことも知っている。甘いマスクだけではガキの王様は務まらないもんだ。

だけど、いつもの状況と異なることが今現在においてのみ発生している。そう、女がいるんだ。

「この人たちを、どうするの」
「女は知らなくていいことだ」
「被害者に当たる私には知る権利がある」

男たちに拉致られかけたのはついさっきのことだ。まだ心の底から怖いだろう。それなのに毅然とした態度で、いまからまさに女にとまった蝿を殺そうとしているおっかないキングに向き合って言葉を紡ぐ。なんてブレない女なんだろう。本当の強さって、こういう時に見えるもんなんだな。
滔々と話す女に、タカシは明らかに困った様子。これもまた滅多に拝めないレアな表情。普段は自分のことを困らせる奴なんて周りにいないもんな。

「もし、命を奪うことを考えているんだったらやめて欲しい」
「こいつらは女に手を出した。それがなにを意味するか、知らしめる必要がある」

いつもならタカシは女の意見を尊重するだろう。大抵の願いなら叶えてやるはずだ。だって、女の喜ぶ顔を見るのが何よりも嬉しいのだから。しかし今回はタカシも引かなかった。今回はたまたま俺たちの目の前でことが起こったからまだ良かった。でもこの先もし目の届かないところで狙われて、女に傷がつくようなことがあったら。その時のことまで見据えて、キングは見せしめが必要とも考えているんだろう。
そして女もきっとタカシの考えに気づいている。気づいた上で、それでも曲げない信念を貫くのが女という女だった。

「わかってる。だから、生き証人になってもらおう」
「………」
「その為に、話せる状態にはしておいてあげて」

お咎め無しというのはタカシは絶対に許容しないことをよく理解している女は、ひょっとしたら一息に終わらせてやった方が楽なんじゃないかって条件を出す。そうだった、女もまた手加減のない奴だ。
命までは取らないけど、この先こういう半グレが絶対に女に近寄らなくなる程度にはビビらせないといけない。そしてそのやり方は沢山あるんだろう。俺は知りたくないけどね。

「…分かった。女の望む通りにしよう」

ガタガタ震えている男たちが、少しだけ安心したようにお互いアイコンタクトを取っているのが分かった。どうせ、キングも案外ちょろいとか考えてるんだろう。哀れな奴ら。死ぬよりも辛いことって多いのにな。
ただ、きっとGボーイズの側近達も俺と同じように顔には出さないけど内心めちゃくちゃ驚いていたと思う。あのキングの命令を変えられる奴なんて今まで存在しなかった。女のことを女としてだけじゃなくて人間として愛しているのがよく分かる。

タカシと女と俺は、薄暗くて蒸し暑い倉庫を後にする。目ざとい俺は、さりげなく女の身体に腕を回す長年の友人を見逃さない。茹で上がりそうな夏の夜。風も吹かずに空気がこもって仕方がないけど、大切な人が側にいるだけでなんとなくいい夜な気がしてくるのって不思議。タカシには死んでも言ってやらないけど。

さてと、この後の話はさらっと行こうか。
残念なことに、信じられないほど甘い話になるからみんなもブラックコーヒーを準備してくれ。


***


いつもと変わらない真夏の日差しが照りつけるウエストゲートパーク。俺はダラダラ汗をかいてるっていうのに隣に立つ氷の王様は涼しい顔をしている。コイツだけ体感温度がマイナス10度くらいなんじゃないか。
そうそう、五十土の彼女はあの後あっさり捕まって300万はそのまま元の持ち主へと返っていった。悪い男がGボーイズにボロボロにされたのを見てまた五十土に寄りを戻そうと迫ったらしいが流石にあの優男も首を縦には降らなかったみたい。懸命な判断だ。

ぼんやりと彼女を失った女の初恋の相手について考えていると、通りの向こうからビビッドなブルーの日傘をさした女がやってくる。ブルーのノースリーブワンピースから剥き出しになっている二の腕が眩しい。

「それって日傘か?黒くないんだな」

紫外線を敵視したことはないからUVカットにも疎い俺だけど、街ゆく日傘はみんな雨の日も使えるような黒い傘をさしてるからそういうもんだと思っていた。今年の夏も肉体労働者の証としてTシャツ焼けをした俺に、女は呆れたような視線をよこす。

「黒い日傘ほどダサいものはないんだよ」
「そうなのか」
「あと傘は柄が勝負。雨晴れ専用なんてもってのほか」

言われて女の日傘の持ち手を見てみれば、それはプラスチックなんかじゃなくて木彫りで動物があしらわれている。確かにこの傘じゃ雨の日は役に立たなさそうだ。
俺からしてみればいつだって使える方が便利なんじゃないかと思ってしまうけど、どうやらそれは一般市民の感性らしい。世界一の教育を受けた人間のセンスとはまた違うんだろう。
日傘について教えてもらっていると、隣の王様は女を上から下までざっと見て、そのまま地面に膝をついてしゃがみ込んだ。

「靴紐が解けてるぞ」
「あぁ。気が付かなかった…って、自分でやるよ」
「もう終わった」

淡いカラーのヴィンテージスキニージーンズが汚れるのも気にせずに、誰かの為にしゃがむ姿なんてもちろん見たことがない。
日頃から過保護だとは思い続けてきていたが、流石にこれは度を超えすぎじゃないか。近くに控えているボディーガードも狼狽えているのが見て取れる。澄み切った氷の様に穏やかに笑うコイツはつい先日女に手を出した奴らの意識を数秒感の間に奪っていた奴と同一人物とは思えない。
ただ、俺たちの驚きなんてまだまだ序の口だった。
靴紐を直してやって立ち上がったキングは、鷹揚に女の左手を取るとマッハの速度で爆弾を落とした。

「結婚しよう」
「…わお」

言葉にならないっていうのはまさにこの事。目の前で起こっている状況について行けずにいつもはペラペラと口の回る俺も絶句してしまう。側近のGボーイズも完全に固まっている。

「よく考えた上で、こうするのが一番いいと判断した」
「強引な男は嫌がられるよ?」
「これくらいしないと捕まってくれないからな」

池袋の女ならまとめて1ダースくらいは鼻血を出して倒れてしまうような甘い微笑みと一緒に話すタカシと面と向かって対峙しても至って自分のペースを崩さない女。正直男でもソワソワしちゃう奴もいると思うんだけどな。俺は絶対にないけど。

「今はたまたま日本にいるけど、いつか出てくかもしれないよ」
「近くで住むことだけを目的として言っている訳じゃないのは分かっているだろう」
「なるほど」

女は無事に世界一の大学を卒業して今はフリーで立派に働いている。一旦アメリカは飽きたそうで日本で暮らしていると知った時のタカシは強烈な真夏の日差しが照りつける中にもかかわらずキンキンに冷えていて喜んでいるのが俺にも分かったくらいだ。
女はどこまでも自由な奴ってことは俺も知っているつもり。だからこそタカシは女をどんな形であれ縛ることを選択しなかったけど、今回みたいに女の身に危険が及ぶのが心底嫌なんだろう。どうにかして何かしらの繋がりを持てれば、今後タカシは自分の全てを費やして守る大義名分もたつもんな。

凍えるほどのいい男に真正面からプロポーズされた当の本人は、んーと唸りながら何か考える素振りで日傘をくるくる回す。目に痛いほどのブルーが池袋の空に映える。なにをやっても絵になる空気を持った人間っているんだよな。
しばらくしてから、回していた日傘をピタリと止めて息を吐きながら肩をくすめて、真夏の太陽にも負けないくらい眩しい笑顔を見せてくれた。

「いいよ。そうしよう。私もタカシを愛してるからね」

はっきりとしたOKを受け取ったタカシが、素早く女の細い身体を抱きしめる。自然と一斉に拍手が湧く真っ昼間のウエストゲートパーク。『愛してる』なんてセリフ、テレビ以外から聞いたのはひょっとしたら初めてかも。でも、不思議とそれも様になっちゃうんだよな。
拍手と歓声がデカすぎて、多分女を除けば至近距離にいた俺にしか聞こえなかっただろう。あのキング・タカシが「俺も愛している」と言うのが聞こえて俺は思い切り顔を顰めた。長年のダチの愛の告白なんて聞きたくないもんな。


20230418
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