一晩だけ、俺に時間をくれないか。
そうタカシが言ったのは、Gボーイズでのお別れパーティーが終わった後だった。
奴の目には固い意志が見えて、それを読みとった女は無言で一回だけ首を縦に振った。
女は絶対に、外で夕飯を食べない。
いつも決まった時間になると愛車のMR2で飛んで家に帰って行って、大好きなおばあさんの飯を食ってその後もし約束があればまた街に戻ってくる。
2回だけ辛うじて夕飯を一緒に食べたのは、俺たちが女の家にお邪魔した時と女のおばあさんが不在だったイヴの夜だけ。
だけど、タカシはその時間を要求した。
「一晩だけ、俺の夕飯に付き合ってくれ。女の時間が欲しい」
こんな事をタカシに言わせる女を、俺は知らない。
了承した女を見て、肩の力を抜いたタカシが俺を振り返って、「マコト、おまえも来てくれ」なんて言われたから、俺は意表を突かれて、ただ間抜けに頷くことしかできなかった。
だって、それは恋人にとって大切な夜のはず。俺が行って邪魔にならないのか、とも思ったけど、タカシは俺に気を使って誘ってくる奴じゃないし、女も無垢に喜んでくれてるから、のこのこ付いていくことにした。
夕飯を食べることになったのは、女の帰国の前夜。
こんな大切な夜に、家を開けていて大丈夫なのか知らないけど、女はそういうことを適当にする奴じゃないから、もう準備も挨拶も済んでるんだろう。
タカシが指定したのは落ち着いた雰囲気の店。
なぜか俺たちの他に客がいないのは、ここがタカシの治める街だから、だろうか。
女も気づいただろうけど、特に反応は無し。まぁこいつがこういうことで喜ぶ奴じゃないのはタカシも分かってるだろうから、これはタカシがしたくてしたんだろう。
出てくる料理も美味くて、食事が進めば会話も進む。
こんなに楽しくて落ち着いた食事は久しぶりだ。
「…タカシ、マコト、いろいろありがとう」
食事も中盤に差し掛かって来たとき、唐突になげられる女からの感謝の言葉。
「私、アメリカにいる時間の方が長いから日本に友達あんまりいなくて、こっちにいる時つまらなかったんだよね。…だから、ありがとう。最高に楽しかった」
俺の、俺たちの好きなあの太陽みたいな笑顔を見せる女。
なに言ってるんだよ。礼を言うのは俺たちの方だ。
いつもとかわらない池袋の街に女がいるだけで色が射した。
女がそこにいるだけで楽しくて、嬉しくて。俺の冬をかけがえのないモノにしてくれたのは、女だ。
「俺も、女といられて楽しかったよ。ありがとう」
なんだかうまく言葉にまとめられる気がしなくて、短い言葉しか返せない。
そして言ってから実感する。
あぁ、明日から女は俺たちの生活からいなくなるんだ、と。
「……………俺は、女、おまえに会って人も捨てたもんじゃないと思った」
タカシの口から出てくる、めずらしく素直な気持ち。
「おまえみたいな奴に出会えるのなら、こんなガキの王をまだ続けるのも悪くない」
「タカシはタカシのこと愛してくれる人が沢山いるってことに気づかなきゃだめだよ。その人達を大切にね」
女の言葉に微かに頷く素振りを見せたタカシを女が慈愛に満ちた表情で見る。
そしてその笑顔を湛えたまま、それと、と続けてから静かに爆弾を落とした。
「…タカシ、別れよう」
時間と空気が止まった、気がした。