小牧教官がめずらしく難しい怖い顔をして私達を呼んだのは冬も深まってきて、寒さも厳しさを増した閉館後だった。
「…で、どうした?」
そう切り出したのは班長である堂上教官。
小会議室に集まったのは玄田隊長と、私を含めた堂上班、それといつもどこから情報を聞きだしているのかまったく謎な麻子。
もはやこの場に麻子がいることは黙認されている。
というか、そんなことにかまっていられないほど小牧教官の表情は苦い。
「…今日、俺の知り合いの子が、この図書館で、いたずら行為をされた」
「!!」
小牧教官の口から飛び出してきたのはあまりに突飛な話で、言葉を失う。
今日?いたずら行為?そんなことが私の知らない間にあったなんて。
他のみんなも心底驚いているようで、ただ黙って各々情報を整理している。
「彼女の名前は中澤毬江。小さい頃から俺の近所の子で、よくこの図書館にも来てくれてたんだけど」
名前を聞いた時に堂上教官が微かに反応したから、たぶん教官も知ってる子なんだろう。
それを確認したのと同時に麻子も反応した様子なのに気づいた。……こいつ、本当になんでも知ってるな。
その子のことを知らない私達のためか、小牧教官は説明を付けたした。
「彼女は聴覚が不自由で、普段は補聴器をつけて生活している。…恐らく、それに目をつけられた」
そこまで聞いて一気に理解する。
その男は耳が不自由な人は声を思うように出せないって分かっていて、抵抗される可能性が低いから狙ったんだ。
………許せないな、その男、
「殺してやりたい」
ぽつりと静かな会議室に響いた物騒な言葉に驚いていると、みんなが私の顔を見ていて、自分の口から出た言葉だと理解してさらに驚く。
やばい、思わず言葉にしちゃった。
でも、ここにいるみんなも怒りを感じているに決まってる。
私達の職場である、管轄内である図書館でそんなことが起きたのも許せないし、なによりやり方が汚い。
「おまえ、結構大胆な事言うよな」
思わず制止するように光が窘めてきたけど、大胆でもなんでも結構。
「リスクの無い事をする奴が、一番嫌いなんだよ」
「…リスク?」
吐き捨てるような私の言いように、小牧教官も少し表情を緩めて聞いてきた。
「私の中で許されることと許されないことは、リスクがあるか、ないか、なんです」
そういってもまだピンとこないのか、思案顔なみんなにまた口を開く
「例えば、動物虐待。これは動物は助けを呼べるわけでもなくて、人間側にまったくリスクがないじゃないですか。だから、これは駄目です。幼児虐待も然り。女性を、レイプするのも、然り」
持っていたペンが、軋んだのがわかった。
大丈夫大丈夫。平静でいられる。
私の口からレイプ、という単語が出てきたのに驚いているのか、光も玄田隊長も小牧教官も気まずそうに私から視線を外した。
事情を知っている堂上教官は私の事を心配そうに窺っているけど、女の麻子は流石に平然としている。
「…、話を戻すが、その男の特徴なんかはわかるのか」
微妙な空気が流れたところで、堂上教官が本題に戻しながら小牧教官に尋ねるけど、小牧教官は残念そうに首を横に振った。
「やっぱり、同じようなシチュエーションを作るのが一番なんじゃないですか?」
「同じシチュエーションっていってもなぁ、」
光の出した案を聞いた玄田隊長が、困ったように息をつく。
すると光も自分がなにを言ったのか理解して、すぐに私と麻子に謝ってきた。
「…わるい」
「いや、いいよ」
つまり、光の言うったのは囮捜査。
警察はやっちゃいけないことになってるけど、私達図書隊には関係ない。
だけど囮捜査をやるということは誰かが危険に身を曝さなきゃいけない、ってことになる。
申し訳なさそうにこっちを見ている光に気にしていない旨を伝えてから、もう一度口を開く。
「…それ、やりましょう。私やります。やりたいです」
一気に言い切った私に、今度ばかりは麻子もギョッとした顔で詰めよってきた
「あんた正気?自分がなに言ってるのかわかってるの?」
麻子が私の事を心配してくれているのはわかる。
だけど、私がやらないとまた新しい犠牲が出るかもしれない。
怖くないって言ったら嘘になる。だけど、これは私の仕事だ。
「大丈夫。私は女子初の図書特殊部隊員だよ?」
不敵に笑って見せると、玄田隊長はなにが嬉しいのか、豪快に笑いだした。
「はっはっは!よし!気にいった!上には俺から話を通しておく!」
以上解散!
と勝手に言って去ってしまった玄田隊長を見送っていると、小牧教官が心配そうに聞いてきた。
「本当に、大丈夫?いくらなんでもVictoriaさんにそんな犠牲になってもらうみたいなこと…」
「犠牲になる気はありませんよ」
「今回は銃の携帯もないんだぞ?」
堂上教官が心配してそう言ってくれてるのは分かるけど、私の身を守る術が銃しかないと思われるのは非常に心外だ。
「私、教官には負けちゃいましたけど、それ以外の男になら柔道でも勝ちましたよね?」
そこらへんの男に負けない自信、あります。と言い切れば、堂上教官も渋々了承してくれた。
麻子もバックアップに協力するって言ってくれたし、怖いもの無しだ。
「…ありがとう」
会議室を出る寸前に、小牧教官が嬉しいような悲しいような困惑した顔で言ってきた。
きっとこの囮捜査が自分の”正論”かどうかまだ分かってないんだろう。
だけどこんな心に染みる声でお礼を言われたのは初めてで、きっとその毬江ちゃんは小牧教官にとってかけがいのない人なんだろうなぁ、と漠然と理解した。
だから、正論かどうかなんて、いいじゃないか。