乾いた気持ちの良い夜に似合わない、暗い顔をして麻子が部屋に入って来たのは門限も近づいた夜中だった。
「……どうかしたの?」
今日はたしか図書館で知り合った朝比奈さんって人と夕食を食べに行く、とお洒落をして
出て行ったはずだ。
出かける前までは普通だった。
いや、むしろ機嫌はよくて、夕食を楽しみにしているのを窺えた。
だけど帰って来た麻子はコートも脱がずにずっと暗い顔をして俯いている。
人に弱いところを見せない麻子にしてはめずらしいことだ。
朝比奈さんといた間になにがあったのか。
まさか、その男になにかされたのか、
「あさこ、」
「…あのさ、」
心配になって私が麻子の肩を掴んだのと、麻子が顔を上げて大きな瞳で私を見たのは同時だった。
「もしも、の話なんだけど」
「うん、?」
あまりにも強い麻子の視線に、出かかった言葉をしまう。
「もし、Bellの好きな人とか、尊敬している人が何か犯罪とかに関わってたとしてさ、」
麻子の口から出てくるあまりに突飛な話の展開に、少し付いていけない。
だけど、それを止めるなんて野暮なことは絶対にできない。
だって言葉を繋ぐ瞳は強いけどなにかを必死に訴えていて、ぎりぎりのところでなにかを保っているような悲痛な叫びが聞こえてきて遮ることなんてできなかった。
「そして、それが露見する前にその犯罪をなかったことにできるとしたら、どうする?」
「なかった、ことに?」
やってしまったことを、無かったことに。
綺麗に隠して、汚いものを見えないように。
それは、一見ものすごく甘い魅力に溢れた言葉だけど、甘すぎるものには毒がある。
もしなかったことにできたとしても、内部の腐敗は進んで、気づかないうちにどろどろに腐ってしまうんだ。
「………私は、なかったことには、しない」
「…………………」
「私の美学に反するからね。しかも好きな人なら、なおさら。そんな人に腐ってもらいたくないもん」
もし、仮に堂上教官がなにかの犯罪に手を染めたとして、それを私が知ったら、とりあえず一発思いっきり殴って、泣いて、それから手を引っぱれたらな、と思う。
なかったことになんて、できない。したくない。
「その事実を隠すことで、その人の事を外面的には救えたのかもしれない。だけど、だけどたぶんそれをした時点で私が私じゃなくなるんだよ」
「…………………」
「私の心が、死んじゃうんだよ」
まっすぐ麻子の目を見て言い切ると、麻子が泣きそうな顔をして抱きついてきた。
「ありがとう。Bell、大好き」
そう涙声で言った麻子の肩を、私も抱く。
彼女は私の大切な友達だ。