「囮捜査は、法律違反だぞ!」
「それ警察の話。図書隊はなんでもありなのよ。残念だったわね。この変態」
男への尋問のために確保した会議室で、変態男は見苦しく泣きわめく。
こいつ、これ以上なにかほざく前にもう一発殴ろうかな、と右手を握ったけど、その前に小牧教官の冷たい声が聞こえて、それがなぜか私の怒りまで沈めた。
「どうして彼女を狙ったの?」
「っ、」
「これの、せいだよね?」
小牧教官が私がさっきまで付けていた補聴器を手に握って男の目の前に出す。
すると男はあきらかに苦い顔をする。
「君、あの子にも同じことしたよね?耳が悪くて声もあまり出せなくて。抵抗できない弱者だと知っててやったんだよね?」
「………………」
確実に、的確に言い当てられて男の顔には脂汗が浮かぶ
そんな男の表情を決して見逃さない小牧教官は、ついに怒りを爆発させて、机を叩く。
「君、死ねばいいよ」
こんな冷たい小牧教官の声、初めてで、こんなに険しい顔の小牧教官もはじめてで。
驚くのと同時に、その毬江ちゃんが小牧教官にとってどんなに大切な子なのか分かる。
だからこそやっぱりこの男は許せない。
最後にもう一発くらい殴ってもいいよな、と思って右手で拳を握るとそれを見た堂上教官がギョッとした顔で私の手を握る。
「玄田隊長、少し外します。あとはお願いします」
「え、ちょっと、」
たしかに後はもう警察に引き渡すだけだけど、こんなに急にどうしたっていうんだろう。
私の制止の声も聞かずに堂上教官は私の右腕を掴んだままどんどん歩いて行く。
「どこ、行くんですか?」
私が声をかけてもなにも言わずにただ険しい顔で歩を進める。
やばい、これは怒ってる時のサインだ。
なんで怒ってるんだろう?
あの男を殴ろうとしたからかなぁ、
でもそんなことでここまで怒るとは思えない。
まったくわけのわからない私を連れて、堂上教官が入ったのは救護室だった。
「??」
ますます訳が分からなくてただ頭をひねる私の肩を押して、ソファーに座らせられる。
こんなときに限って救護室の人はお昼ご飯でも食べてるのか、部屋には誰もいない。
「……はじめから殴るつもりだったんだろう?」
救急箱を持った教官が私の前の椅子に腰かけて尋ねてくる。
私の手を優しく包むように持って、手の甲を見られる。
それは男の顔の骨の衝撃と、たぶん男の歯に少し当たったのか、赤紫に腫れていて、切れて血が出ていた。
「そう、です」
囮捜査をやる、と決めた時からなにかしら制裁を与えるつもりではいたから、素直に頷く。
そうすると教官は私の手を消毒しながらため息をついた。
「それならなんで手袋とかしなかったんだ。」
それを聞いて、やっと教官の怒っていた理由が分かった。
この人は私があの男を殴ったから怒ってるんじゃない。
私の手が傷ついたことに怒っているんだ。
なんて、どこまでも優しい人。
「それじゃあ、フェアじゃないんですよ」
「フェアとか、そういう問題じゃ、」
「私にリスクがないでしょう?」
食い下がる堂上教官に、あくまでも静かに言い切ると、教官はまだ納得したようすじゃないけど、口を閉じた。
「私も、人を殴るならそれなりのリスクを負わなきゃいけないんですよ。殴ったら痛いかもしれない。だけど、それでも殴るから、私の中で意義が生まれる」
勝手な自己満足なんですけどね、と笑ってみせると、教官はまだ難しい顔をしながらも、私の手に包帯を巻いてくれる。
この人に包帯を巻かれるのはこれで二回目だ。ずっとお世話になりっぱなしだな。
「あんまり、自分の身体を粗末にするなよ」
あきらめたように、でも優しく言ってくれた堂上教官の目は、もう怒っていなかった。