ある絵描きは想う…


ダメだ…
ダメだダメだダメだぁぁぁああ!!
アイツに勝てないなんて…
そう思いながら俺は、目の前のキャンパスを切り裂きたい衝動に堪えた。
キャンパスには、青い空と白い雲に森と翼のある生き物が描かれている。
光と影の陰影も、細かく表現されている。

「綺麗だね」

そうアイツが言うのを聞いた瞬間に、俺はどうしようもない吐気に襲われた。
世辞はよせ!
叫び出したい感情を抑え、静かに俺は立ち去った。
屈辱的だった。

「たまたま今回の審査員の好みじゃなかっただけだよ
僕は好きだな、***の絵」

そんなアイツの慰めの言葉が、俺のプライドをずたずたにしていく。
電話越しの授賞式会場のざわめきが伝わってくる。

「ありがとう…
そう言ってもらえるだけで嬉しいよ
お前こそ授賞おめでとう」

気持ちとは裏腹に、俺の声は穏やかだった。
本当は自分が喋ってないで、他の人間が喋っているんじゃないかって思う程だ。
その後も、何か話したみたいだが、よく覚えていない。

なんだか疲れた…。

それから俺は、怒らなくなった気がする。





ある日、アイツが本気で泣いていた。
次の日は、本気で怒っていた。
その次の日は、心の底から笑っていた。
俺はその様子を、疲れないものかと興味深く観察していた。
それとも、あれは演技なのだろうか?
実際、この年になれば、泣いたり笑ったり怒る事も少ない。
ましてや、俺にとっては億劫だ。
些細な事しか、怒る要素がないような世界にも思う。
子供の時にどうして感情に振り回されていたのか、当時も今もよく分からない。
つまり、些細過ぎるのだ。
だとすれば、怒りに時間を消費させるより有効に使った方が何倍もいい。
感情など無駄なのだ。

しかし、どうしてアイツの絵を見ると心揺さぶられるのだろう。
青い空から黒い森に天使が舞い降りている。
今にも振り返って微笑みそうな優しい雰囲気。
草は風にそよぎ、光は七色に煌めいていた。
そう…
アイツの絵は、現実の絵じゃない。
でも、まるでその光景が見えるように描いている。
俺には、そんな美しい世界は見えない。

俺に見える世界…
色褪せくすんだ世界…
光が狂った世界…
空間が壊れた世界…

白いキャンパスは、空虚な入れ物。
そこへ、絵描きは沢山のモノを詰め込んでいく作業…
アイツには、玩具箱にでも見えているのか。

…っ!
…馬鹿だな。
そうか…俺は、怒っていたんだ…
あの日から、ずっと…
しかし、すぐに切り替える。
何も考えるのをよそう。

そうすれば、楽になれる。

新しく白いキャンパスを立てる。
息を吸い込み、ゆっくりと吐く。
今なら、イイ絵が描けそうだ。
テーブルの上に置いてあり画材に手を伸ばす。
しかし、俺は不思議と気付いてしまった。
俺のペインティングナイフが1本足りない。
アレはなかなか使い勝手が良かったから、気に入っていたのに、何処へいってしまったんだ。
と、後ろから声が掛けられた。

「あぁ…ごめんごめん
 はい、返すね」

アイツだ。
アイツの前には、さっきまで俺が描いていたキャンパスがある。
絵が一部変わっていた。
俺の絵は、世に出る事なんてない。
俺はアイツだから。
絵の端に増えたのはアイツのサイン。
吐き気がした。
何もかもが狂ってる。
俺は俺にはなれないという事に愕然とする。

「僕が憎いなら、殺せばいい」

アイツは俺の手にペインティングナイフを持たせて、自分の胸に切っ先を向けさせた。

「さぁ、突いてごらんよ」
「っ!!」

俺はアイツを突き飛ばして、部屋の隅に逃げた。
キャンパスが倒れる音とアイツの呻き声が聞こえた。

「つっ…」

アイツが痛みに顔を歪ませながら、俺の方を見た。

「プライドがずたずたにされても殺せないのか…」

アイツはただ静かに言葉を紡ぐ。

「僕を殺せば、君は表に出られるんだよ」
「俺は、表には出たくない」

俺は、自分と同じ顔のアイツを見ながら言った。

「なら、どうして苛立つの?
 君と僕は同じ人間だけど、人格が違うから許せないんだろう?」

自問自答するように、アイツは俺に問い掛けてくる。
いや…互いにもう、理解はしているのだ。
ただ、自傷したい為に傷付けあっている。
俺であり、アイツであり、主人格を振る舞う誰かの為に…
それでも、誰が本当の自分だったかなんて、もう関係ない…
傷付け合い、苦しみ、涙を流す事を、際限なく続ける…
ただ、そんな事を懺悔と信じ、何もせずに救われたいと願った、絵描きに違いはないから…
例え、気付いたとしても、修正は出来ない。
消えてしまう記憶では、過ちを過ちだと気付けないから。
ほら、もう時間が…





ダメだ…
ダメだダメだダメだぁぁぁああ!!
アイツに勝てないなんて…



抜けられない…

終わらない絵描き詩(うた)…



〜fin〜



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