「あー…肩凝った…」 首をコキリと鳴らして、大きく伸びをすると、ぐったりと椅子にもたれ掛かる彼に、お疲れ様ですと声をかける。 「終わったんですか?」 「ん…一応はなー…」 ちらっと机に視線を向けると、なんだか小難しそうな問題と、乱雑に積み上げられた資料の山。 教師も大変なのね、と心の中で労って、また視線を先生へと戻す。 妙に似合う白衣に、本人曰くパソコン作業のせいで悪くなったからという黒縁メガネ。 担当教科は理科。 そしてここは理科準備室。 そんな我がフェアリーテイル学園の優秀な教師サマ、グレイ・フルバスター先生。 整った顔立ちに、理科教師なのに鍛えられた身体。クールでかっこいい、と女生徒に人気の彼だけれど。 「先生、服!」 「うお…!」 「なんでその体勢から脱げるんですか…」 …あたしに言わせてみれば、脱ぎぐせのあるただのめんどくさがりだ。 慌てて乱れた白衣を直す先生にため息をついて、あたしは手元にある資料を先生へと渡す。 「…仕事溜めるからそんなに疲れるんですよ」 「うるせ…」 「うるさくないです。手伝ってるあたしの身にもなってください」 「俺は手伝えなんか言ってねーだろーが」 「問答無用で拉致してきて無理やり手伝わせてるのはどこの誰ですか!」 何かと理由をつけられては拉致されて、この理科準備室で資料のまとめをさせられる。 職員室でやればいいものを、何故か先生は好んでここを使っていて。むしろ職員室にいる時間よりこっちにいる時間の方が長いんじゃないかってくらいこの理科準備室に籠っている。 埃っぽく、奇妙な模型やら何やらが並べられているそこは、あまり長居したくはない場所なのだけれど。 「職員室は気が散る」 「はあ、そうですか…」 まあ先生の場合、授業でわからない所がある、だのと理由をつけて会いに来る女生徒が後を絶たないから仕方ないのかもしれない。 …でも、だからといってあたしばかり拉致するのはどうなのか。 あたしの予定などまったく無視で連れ去る先生に、一度文句を言ったことがあるのだけれど。 "お前に放課後出かけるような浮わついた話なんてあるわけないだろ?" …だなんてさも当然のように仰る露出魔先生サマに、とてつもない怒りを抱いたのは言うまでもない。 うう…っ言い返せないのが悔しい! 「おい」 「っきゃ!?」 1人拳を震わせていたあたしの目の前に、突然ずいっと何かが差し出される。 よくよく見てみると、それは見慣れた黒いマグカップで。 「ルーシィ、コーヒー」 「もう…コーヒーくらい自分で入れてくださいよ」 あたしはパシりじゃないんですけど。 そうため息混じりに呟けば、ルーシィだからだろ?と返される。 何があたしだからなのかさっぱりわからないのだけど、それでももうすっかり慣れてしまったこのやり取りのせいで、口では否定しながらも身体が自然と勝手に動く。 そのことに苦笑しながら、先生専用の黒いマグカップにコーヒーを注いだ。 「ん…いい匂い」 ふわりと香ったコーヒーの匂いに部屋中が満たされる。 あたしの一番好きな瞬間だ。 「…幸せそうな面してんな」 「だって落ち着くんですもの、この香り。…はい」 自然と笑顔になるあたしに、後ろからぼそっと先生が呟いて。 そんな先生に、笑顔のまま溢さないようにそっとカップを渡した。 さんきゅ、と微笑んで、まだ熱いコーヒーを冷まそうと息を吹き掛ける先生に、こっそりと笑ってしまう。 すると、そんなあたしに気づいたのか、頬を少し染めて上目に睨んでくる猫舌先生。 「笑ってんじゃねーよ、ばか」 「だってせんせ、か、可愛い…ふふっ」 「っ熱いの苦手だって知ってんだろーが!」 ついには大笑いしてしまうあたしに、恥ずかしいのかムキになって叫ぶ先生の姿はやっぱり可愛くて。 クールでかっこいいと噂の先生の、あたしだけが知っている可愛い秘密。 この時だけは先生との距離が近づく気がして嬉しくなる。 だから、少しくらいにやけるのを許してほしい。 「ったく…教師をからかうんじゃねーよ」 「はーい」 「…本当にわかってんのか?顔にやけてんだけど」 「にやけてませんってば。ほら、コーヒー冷めたんじゃないですか?」 渋る先生を笑顔で諭して、あたしも自分のマグカップにコーヒーを注ぐ。 ほぼ毎日理科準備室に通うあたしに、先生がくれた水色のマグカップ。 家にあったから、なんて言ってたけど、多分嘘なんじゃないかと思う。だって、明らかにデザインが女物なんだもの。 こういうさりげない優しさも、きっと彼の人気に繋がるんだろうな。 ようやく飲める温度になったのか、ゆっくりとコーヒーを啜る先生に、心の中でお礼をして、あたしもコーヒーに手を伸ばした。 「ん…やっぱりお前が淹れるのが一番美味いな」 「インスタントなんだから誰でも一緒でしょう?」 「いや、ルーシィのが一番いい」 「そ、そうですか…」 "一番" その言葉に鼓動が揺れる。 会話の流れの些細な言葉で、特別な意味なんてないことくらいわかってる…けど。 「っ…」 それでも頬が緩むのを止められなくて。慌てて誤魔化すように、カップに口をつける。 そんなあたしに気づいているのかどうなのか、黙ってこっちを見ていた先生が不意に口を開いた。 「…なんか甘い匂いすんな、お前の」 「あ、少しだけ砂糖入れたんです。…苦すぎるの、苦手で」 「ちょっと飲ませろ」 「え?って先生…っ!?」 カップを持つあたしの両手ごと包み込んで唇を寄せる先生に、あたしはただ奇声を上げるしかない。 まるでスローモーションのようにその綺麗な唇がカップへと近づけられて…触れる瞬間、先生の瞳があたしを捕らえた。 「っ…」 不意に重なった視線に、心臓がドキリと音をたてる。 頬が燃えたように熱くなる。 カップを持つ手が少しだけ震えて、それが先生にも伝わってるかと思うととても恥ずかしい。 「甘…」 「…っななな、何するんですか!?」 ゆっくり離れる唇を思わず目で追えば、吐息混じりに吐き出された声の甘さに酔ってしまいそうになる。 それに、今のって…か、かか間接キスなんじゃ…っ!? ぼんっと噴火したあたしを見て、グレイ先生がニヤリと笑う。 「…んだよ、ちゃんと外してやっただろ?」 「っそういう問題じゃありません!」 てっきり無自覚にしたことだと思っていただけに、恥ずかしさが倍増して。 さっきよりももっと赤く染まるあたしを見て、グレイ先生は口許に意地悪な笑みを浮かべたままあたしにゆっくりと近づいてくる。 「…純情」 「なっ…先生のせいでしょう!?先生が、あんな…っ」 「俺が何だって?」 ぐんっと詰められた距離に、なんだか危険を感じて後ずさる。 …とはいってもここは狭い理科準備室。 満足に逃げ回ることも出来なくて、結局あたしは先生に捕まってしまう。 「…捕まえた」 囲うように両腕をあたしと壁の間へとついて、小さな檻に閉じ込めた彼が満足気に笑うのを直視出来ずに視線を反らすあたし。 「せ…っんせ、離れてください!」 「何で?別に何もしてないけど、俺」 「っ何もしてなくてもこの距離が問題なんです…!」 「…ドキドキしてるくせに」 「っ!ちょっ…」 不意に耳許で囁かれたと思った瞬間、離れようと胸を押していた腕を絡めとられ、そのまま壁に縫い付けられる。 吐息を感じるほどに近づいた、彼の瞳には妖しげな色が混じっていて。危険だってわかってるのに、まるで魔法でもかけられたように逸らすことが出来ない。 「顔、真っ赤」 囁くように寄せられた唇が耳を掠めた瞬間、ぞくぞくと背筋に何かが走る。 「ぁ…」 唇から零れたのは、拒絶とは程遠い、今まで聞いたことのないような…甘い声。 「や、やだっ!」 「嫌、じゃねーだろ…?」 「先生…っ」 「先生、ねぇ…はっ、なんか悪ぃことしてるみてーだな」 ま、だからって止めねーけど? そうくすくすと笑いながら あたしの唇をそっとなぞる指先に。 感じる吐息に。 …その、瞳に。 漂う甘い雰囲気に流されながら、あたしは反射的に目を閉じて。 ――――…校の時間です。校内に残っている生徒はすみやかに… 「チッ…タイムオーバーか」 「ふぇ…?」 「ほら、生徒はすみやかに帰れってよ」 教室に取り付けられたスピーカーから、下校を告げる放送が流れて。 ぱっと開いた視界には、いつの間に移動したのかドアへと歩みを進める白衣の教師。 「じゃー俺は職員室戻るから。遅くならねぇうちに帰れよ?」 「え…」 「さよーなら」 パタンと扉が閉まるのを、呆然と見つめる。 膝に力が入らなくて、ズルズルとその場にへたり込む。 …なんだったの。今の… 鼻先が触れそうなほどに近づいた顔が、忘れられない。 何よりその漆黒の瞳に映ったあたしの期待に満ちた顔が。 まるで…そうされることを望んでるかのような… 「…っもう、なんなのよ…!!」 冷たく静まり返った理科準備室に、あたしの叫び声だけが空しくこだまする。 とくん、と高鳴った鼓動の意味を…あたしが知るのはもう少し先のこと。 せんせいとわたし ――――――――――― グレルーっていうよりはグレ→ルー さて…これからどうやって攻め落とそうか、と目論むグレイさん。 まだ続きます!…多分(汗) ← → |