「口が痛ぇ」 そう言いながら口許を擦るナツ。 その口許、正確には唇を見てルーシィはうわ、と目をしかめて、思わず自分の唇を覆い隠した。 「ひどく乾燥してるわね……痛そう」 「なんかヒリヒリする」 「ああちょっと!擦らないの!余計にひどくなっちゃうじゃないっ」 まとわりつく痛みが気になるのか、目を細めてゴシゴシと唇を擦るナツを慌てて止める。 そんなことをしても逆効果でひどくなるだけで治る訳がない。 そうナツに伝えると不満げながらも擦るのを止めたけれど、どうしても気になるようで噛んだり舐めたりと落ち着かない様子だった。 「そんなに気になるならリップクリーム塗ったら?」 「リップクリーム?」 「そう。元は唇を保湿するためのものなんだけど、薬用だったら荒れた唇にも効果あるはずよ」 確か自分のやつも薬用だったはず。 メイクポーチを取り出して中を探すと、見慣れたピンク色のスティックが見つかった。 ラベルにはしっかりと薬用の文字。 うん、これこれ。 「はい、ナー……」 ぴた、と。 差し出そうとしていた手を止める。 不自然な格好で固まったあたしに、ナツが首を傾げる。 その痛々しい唇は、とても可哀想で。 出来ることなら助けてあげたいと、そう思うのだけれど。 「や、やっぱりなかったみたい……っ」 差し出す直前で気づいてしまった、渡した後のナツの行動に。 容易く想像できる自分のこの後の姿に。 気付いてしまった以上、渡すことなんて出来るわけなかった。 「あ、あたし新しいの買ってきてあげる!」 「うぇ?や、別にいらねぇよ」 「いいから!そのままにしとくのは良くないでしょ?」 明らかに放っておくと酷くなりそうなそれを助けたいという気持ちはあるのに。 けれどだからといって手のひらのこれを渡す勇気はない。 ならせめて新品買ってきて渡すくらいはしてあげよう。 それならできるし、余計な意識もしなくて済みそうだ。 そうと決まれば善は急げ。 手のひらのリップクリームを鞄に突っ込んで、勢いよく立ち上がる。 ちょっと待っててね、とナツに告げて急いでお店へと走ろうとした、その時だった。 カランッ…カラカラ…… 勢い良く立ちすぎたのがいけなかったのか、それとも焦りすぎてポーチの蓋をしっかり閉めなかったのが原因か。 見事にナツの目の前へと転がった”それ”。 「ん?なんだこれ……薬用りっぷくりーむ?」 「…え…あ……」 「ルーシィ!これさっきお前が言ってたやつじゃねぇか?」 見つかってよかったな! そう屈託のない笑顔でリップクリームを握るナツに引きつった笑顔しか返せない。 なんなの、このタイミングの悪さ。 あまりにもお約束な展開過ぎて泣きそうだ。 「んで、どうやって使うんだこれ。食うのか?」 「食べないわよ……唇に塗るの」 塗り方が分からないのか、リップを出しては引っ込め出しては引っ込めを繰り返してるナツにやり方を教えてやる。 ええ、もう諦めたわよ。 あのリップはもう使わない、もしくはナツにあげることに決めて、なるべく平常心で説明していく。 …間接キスだとか絶対に考えない。絶対考えないんだから。 「このくらい出して、出した部分を唇に塗るの」 「ん、んー?塗るの難しいぞ、これ」 「ああっそんなに出さなくていいんだってば!折れちゃうでしょ」 「わっかんね…っ…あー!もうルーシィやってくれ!」 ぽいっと放り投げられたそれに頭が真っ白になる。 ……え? 次いで、ん、と目の前に出されたナツの顔に目が点になって……って、え?え!? 「ええ!?やれって、あたしが塗るの!? 」 「おう」 目を閉じたまま頷くナツに、動揺する。 あたしが塗る?ナツの唇に?何を?リップを? 「っ……!!!」 混乱する頭が脳内に描き出した映像に、そのあまりにも恥ずかしすぎる行為に思考回路がショートした。 「いやっ無理!無理無理無理!!」 「ルーシィ早く」 「ぇ、あっ……か、鏡!鏡見ればあんたでも塗れるからっ」 「めんどくせぇ。ルーシィがちゃちゃっと塗ってくれたらそれで済むだろ」 「う……」 確かにさっさと塗ってしまえばいいのだ。 それは分かってる。 分かってるけども……! 「……そんな嫌かよ」 「うぅ、嫌とかそんなんじゃなくて……」 「もういい、ミラにでもやってもらう」 「えっ」 突然ナツの口から出た名前に驚いてしまう。 ミラさんにやってもらう? 確かに彼女なら上手く塗ってくれそうだ。 さっきみたいに目を閉じたナツがミラさんに…… あれ……なんだろ。なんか、それはちょっと……嫌、かもしれない。 「おーい、ミラ……」 「な、ナツ!やっぱりあたしがやるから!」 「へ?」 「み、ミラさんは忙しいもの!だったら……あ、あたしがやるわ」 「……?まあどっちでもいいけどよ。じゃ、頼むわ」 あわあわと言い訳しながらリップを奪い返す私に、ナツは首をかしげながら、それでもあまり気にしなかったのか、ん、とまた唇を付き出した。 再び目の前に差し出されたそれ。 「じゃ、じゃあ塗るわよ……?」 「おー」 「っ……うぅ」 これはナツ!これはナツ!意識なんてする必要ないんだから! ……と、頑張ってはみたものの、意識しないようにしてると、余計意識してしまうのが人間の性というもので。 睫毛が意外と長いな、とかキス待ち顔ってこのことかな、とかよくわからない思考が頭をぐるぐる回って、変に緊張してしまう。 ああ、また誰かが喧嘩してる。 怒号がうるさいはずなのに、段々激しくなる自分の鼓動に喧騒がどんどん遠ざかっていく。 目だって、ナツしか映せない。 「行き、ます……!」 ぷるぷると震える手をそっとナツの口許に寄せる。 そのまま持っているリップで唇をなぞってー…… 「っと悪い!」 「っ!?」 「んむ!?」 どん、と背中に誰かがぶつかる。 それと同時に、頬に何かがぶつかった。 視界には、鮮やかな桜色。 「……っ!!???」 「ってぇ……おい!クソ氷!ぶつかってんじゃねえ!」 「ああ?そんなとこでボケッとしてんのが悪いんだろ?つか文句なら俺を投げ飛ばしたエルフマンに言え!」 「漢ならちっせぇことは気にすんな!」 ああ……もう、本当に。 「ったく…ん?ルーシィ?どうした?」 中途半端に残る、頬の温もりも。 そんな温もりに音をたてるこの気持ちも。 何もかも、全部。 「…らけ…エ…ス」 「あ?えす?」 全部、なにもかも。 「…開け宝瓶宮の扉、アクエリアスーーー!!!」 「は!?ルーシィ何呼んでっ…ってうああああああ!?」 …全部、流してやる。 にっこりと笑って、呼びつけた彼女に高らかに命令する。 驚愕に目を見開く野郎どもを華麗に無視して、その指をつきつければ、急に呼び出されて不機嫌であろう彼女が、珍しくにやりと笑いながら、乾燥したこの空気ごと全てを水に流してくれた。 ーーーーーーーー… それらのやりとりを2階から傍観していた彼女はゆっくりと階段を下りながら回りを見渡す。 「あらあら…派手にやってくれたわね。店内が水浸し…今日の営業は終了かしら?」 どこもかしこも水浸し、辛うじてカウンター内の物だけは無事なようだが、とても営業を開始できる状態じゃない店内の様子に、息をつく。 とはいえ、彼女は少しも困っていなかった。 むしろ、上機嫌とでも言った方がいいかもしれない。 そんな彼女の様子に、床に這いつくばっていたグレイが息も絶え絶えに声をかける。 「ミラ…見てたなら助けろよ…っひどい目にあった」 「あら、馬に蹴られないよう避難してただけよ。それにしても…ふふ、いいものが見れたわね」 中々進展しない、もどかしい二人の距離。 じれったい二人の関係は今日で何か変わるかもしれない。 これからが楽しみだと彼女はひとり口角をあげながら、同じく倒れているだろう彼のもとへ近づいて。 「あら…?」 彼がぎゅっと握りしめているものに、またその笑みを色濃くした。 「ナツ…?大丈夫?」 「…」 「ふふ」 気絶しているのだろう。 呼び掛けにも反応しない彼にタオルをそっとかけてやる。 「さあ、この惨状をどうにかしなくっちゃ。グレイ、エルフマン、モップがけ手伝ってね?」 「はあ?何で俺が」 「もちろんだ、さあ行くぞグレイ!」 「ちょ、まっ…うああああああ」 漢だぁあと連呼しながら高速でモップをかけていくエルフマンに引きずられるようにしてグレイもついていく。 そんな弟たちの姿を見ながら、ふとこの水浸しの元凶でもある彼女の姿を探す。 当たり前のように巻き込まれていた彼女だったが、どうやら既に復活して帰ってしまったようだ。 きっと水浸しだとかそんなことは考えていられないだろう彼女は、きっと今もぐるぐると悩んでいるのだろう。 「明日どんな顔してくるのか楽しみね」 そうしたらナツの手の中の秘密でも教えてあげようか。 唸る濁流の中、必死に握りしめていたそのピンク色のそれ。 気絶してても離さなかった、と伝えてやれば、きっと平静を装ってきた顔をすぐにでも赤らめるのだろう。 ああ、明日が楽しみだ。 二人の関係が少し変わるかもしれないことに、ミラはモップを片手にまた静かに笑うのだった。 乾燥注意報 END ーーーーーーーーー… 皆様お久しぶりです。 久々にサイトに顔だして久々に見返したところ、ある企画に参加しようと書いていたものが完成してたのでちょっと出してみます。 残念ながら何年も前の企画なので今は凍結してるみたいですが…(取りかかりが遅すぎて全然だせなかった…すみません…) もし楽しんで頂ければ幸いです。 ではまたいつか。 彼方 ← → |