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結局、俺はあれから一睡も出来なかった。
懸命に眠ろうと枕に顔を埋めるのだが、ベッドに残る鹿の匂いに なぜかじくじくと身体の芯が疼くような感覚が全身を巡り
エッチしていた時の記憶がフラッシュバックしてしまう。
…普段見ない雄々しい鹿に興奮して。貫かれる快感を身体が覚えて。まだ繋がってたいとか薄れゆく意識の中思って。
……確かにそう思った。悦んでた。絶対に酒のせいだけには出来そうもない。
男とシて悦ぶなんてありえないのに…。
そんな身体の変化になんて気付きたくなくて、酔って忘れたまんま思い出さなければよかったと心底思った。
「………」
そんな状態で仕事場─テレビ局にやってきたはいいものの、とてもネタが出来るとは思えない今の俺のコンディション。
問題があるのは俺のテンションや心身状態。が、それもさることながら、相方である、鹿との関係も心配だった。
どんな顔して会えばいいのかわからない。どう謝ればいいのかも。
コント・漫才なんて出来るんだろうか。
様々な不安が俺の中をぐるぐると渦巻いて今にも溢れそうだった。
……こんなに鹿に会いづらい、なんて思ったのは初めてや…。
気分最悪のまま、楽屋へ続く通路を歩いていた。
いつも収録2時間前には楽屋に居るようにしている。
今日は座敷タイプの個室の楽屋だ。こうゆう時に限ってなんで個室なんだ…。と思いながらも、『フジカシ様』と書かれた楽屋のドアノブを握った。
がちゃり
「…………」
しん、とした部屋。
楽屋には誰もいなかった。張り詰めていた自らの空気が少し柔らかくなったように感じるが、同時に酷い寂しさが溢れてきた。
いつも、鹿も2時間前には居るのに。
今日は…いない。
…何かあったのだろうか。
念のため、連絡を入れようかと思ったが携帯の電話帳の "鹿島颯太" という名をみた途端指が動かなくなって、ボタンを押せなくなった。
「……くそ…っなんなんや!」
苛立ってつい、声を荒げてしまっていた。
とても厭な感覚──…腹が立つ。
「……い、一回エッチしただけやんか!…」
怒鳴ると共に、携帯を床に叩き付ける。
携帯は床に強く叩き付けられ、その衝撃で電池のカバーが外れて飛んだ。
…しかし今の俺にはそんなことどうでも良い。感心ない。
「…意味わからん…!一度しただけで…こんなこと」
胸の奥が重苦しくて辛かった。俺はこの感情知っている。知っているけど、……それを認めたくなくて。
「────っ違う!」
違う!違う!
バカか俺は。鹿に特別な感情なんて…
そんなことあるわけない。
男とエッチなんて初めてしたから 感覚がおかしくなってるだけだ。
だって今までそんなことなかったじゃないか。だから名前を見ただけで緊張してどきどきなんて。
「俺は…相方として…鹿を好きなんや…恋愛対象ちゃう…」
人間は恐怖緊張のどきどきなのか、興奮恋愛のどきどきなのか判別出来ないってきくし。絶対にそうに違いない。
俺は相方としてでしか、鹿をみれない。恋愛感情なんて、ない。
そう、自分に言い聞かせながら落ち着けと深呼吸をした。
「……バカやな…俺…」
相方以上の感情なんか、ない…。
ようやく落ち着いてきて、やっと余裕も生まれてきた。
今回の楽屋は四畳半くらい。
若手芸人二人ならこんなものだろうと思う。
真ん中にローテーブルが置いてある、まぁカラオケの個室の座敷バージョンみたいなものだ。
俺は靴を脱いで、畳にあがり 部屋の一番奥に腰を下ろした。荷物も置いて、さっき飛び散った携帯の電池カバーを探し…。
「………え」
電池カバー、電池カバー
なんて探して楽屋の床に眼を走らせていたら、
部屋の端に荷物が置いてあることに気づいた。リュックの上にジャケットが被さっている。
さっき置いた俺の荷物ではない。…これは…
「………鹿の…」
******
一方、その頃。
テレビ局内の休憩所にて。
「……はあぁ…」
今ごろ、紫さん楽屋にいるだろうな…。いつも収録2時間前には絶対来ているし。
実は紫さんが来る前に僕は楽屋についていたけれど、荷物だけ置いてまた出てきてしまった。
……本音を言えば会いづらいっていうのもある。でもそれは僕だけじゃなくて紫さんもきっとそう思っているだろうから 俺は楽屋を出てきてしまった。
…要するに怖かったんだ。何を言われるのか。どんな態度とられるのか。自業自得なのにね…。
「……コンビ解散なんて言われたらどうしよう…」
はは、紫さんのことだから言いそうだな…。
"俺を襲ったやつとネタなんか出来ひんわ!"
とか怒りそう。
紫さん、怒るととっても恐いからなぁ…。僕がいくらコンビ解散したくないって言っても聞いてもらえないかもしれない。
「……ほんと、バカなことしちゃったなぁ…僕」
もう取り返し、つかないよ。
………ぴぴぴ
「あ、……時間か」
僕の腕時計のアラームが収録の1時間40分前を告げた。…楽屋に戻らなければ。スタイリストさんとかマネージャーさんがきてしまう。
身内の問題で他の人に迷惑をかける訳にはいかないから、僕は重たい足を引き摺りながら楽屋へと向かった。