珍しい、極めて珍しい事が起こった。生意気だとか毒舌だとか言われ先輩にだって敬うような態度を取らない男が、なにやら激しく落ち込んでいる。原因は分からない。だけどいつもと様子が違うのは分かる。元々物静かで良く言えばクールという言葉に例えられる性格ではあるが、なんと言ってもここは四天宝寺中テニス部。笑いにはうるさい輩が沢山居るわけでそれは財前も同じ。一見冷たいようにも聞こえるが彼らしいクールな突っ込みを入れていた。それがどうだ、今朝校門で会ったときからなにか変だとは思っていたが、今だってジャージに着替えながら俺とユウジがアホなことをしていたって財前に話し掛けたって一人坦々と準備を進めながらたまにああ、と相槌を打つだけ。休憩中に目の前で俺がズボンを下げられていようとそれは変わらなかった。

「ちゅーか気付いてすらないやん」

頭からタオルを被っている財前の顔は良く見えないが、今朝からの違和感もあってかやっぱり元気が無いように見える。どうしよう。ここは声を掛けるべき?いや、さっき着替えてるときにも話し掛けたけどそれどころでは無いといった様子だった。なかなか動けずにいる俺はちらっと左を見ると後輩部員たちになにやら指導してる白石が目に入る。右ではラブルスがいつものようにいちゃいちゃしてるし千歳は、分からない。そうや、今ここで財前に優しい声を掛けれるのは俺しかおらんのや、俺だけなんや!そう自分を叩き直せば財前の居る日陰まで足を動かした。

「なんや元気無いなぁ」

あかん、いきなりその話題から入ってしもた!なにやってんねん俺もっと回りくどくいけたやろ!しかも直球すぎたせいか勇気出して話しかけたのに返事してくれへん。当の財前はゆっくり顔を上げ俺と目が合うとまた下を向いてしまった。最悪や。

「まぁ暑いしなぁ。体壊すなよ」

なんてとっさにフォローしたもののあまり効果は無いようで、自然を装い隣に座ったのだって黙ったままの財前のお陰か凄く居心地が悪い。いや、俺がそうしたんやけど。

「謙也さん」
「はいっ!?」

突然名前を呼ばれたもんだから変な声が出た。相変わらず俺の方を見ない財前は少し顔を上げて言う。

「あんた下手くそ。どうせ先輩やからとかしょうもない正義感から話聞こうとしたんでしょ」

こいつにはバレバレだった。そうです。悩める少年に手を差し伸べてやろう、とか俺より大人っぽくてしっかりしてる後輩に考えてました。その癖なんて声を掛けていいものか分からず挙動不審になっていたのも読まれてたなんて情けないにも程がある。先輩の威厳を無くしてるのはもしかして俺か。

「はは、バレてたか」
「そりゃもう変な顔してました」
「は、恥ずかし…」
「…まぁええわ、あんたやから言います。俺彼女と別れたんです」
「え、まじで」

突然の告白。確かに財前に彼女が居たなんてこと俺は知らなかった。だけど驚いたのはそこじゃない。このビジュアルだから既に何人かの女の子との交際は経験してるだろうと思っていた。ただ、ここまで滅入っている財前を俺は見たことがなかったしそれが彼女と別れたというなんとも男子中学生らしい理由なのだから、この返事は意外でしか無かった。

「そうなんや…」
「だからどうっちゅうこともないですけど」

寂しそうな横顔だなと素直に思う。落ち込むということはもしかして振られたのか。それとも振った罪悪感か。どちらにせよ話し合いなんてそんな後味の良いものでないことは確か。てか財前て振られんのか?やとしたらどんな子やろ。

「あっ!もしかしてこないだの、あの髪の長い子か!?」
「え?」
「あ、」

言うてもうた。俺はどこまで気のきかん先輩なんや。

「こないだ、ってなんスか。俺彼女おるとか言うてませんでしたよね」

隣からは財前の刺さるような視線。ああ、やってしもた。実を言うとこの2ヶ月程前、俺はある告白現場に遭遇した。今こそスピードスターの見せ場だと、なかなか部活にやって来ない財前の探し役を任され校内を探索していた時のこと。校舎裏の人影に気付いた瞬間見てはいけないものだと直感した俺はとっさに身を隠した。が、俺も中学生。まだまだ人の恋愛に興味があるわけで、万が一財前だったら、と都合のいい言い訳も程々に身を潜めながら覗くと、そこには見慣れた後ろ姿があった。(俺勘良すぎやろ!!)セットされた短めの黒髪と、それに映えるカラフルなピアスは間違いなく今探している人物。あの髪の長い女生徒は多分可愛い新入生が居ると去年噂になった子達の一人だろう。そんな子に告白されるとは流石財前。第二の白石か。
ってそんな場合ちゃうねん、なに人様の告白シーン見て感心しとんねん俺!自分で自分に突っ込みを入れた後、俺はすぐその場を後にした。それが一連の流れである。そして今口を滑らしたと。

「いや、あの、ちゃうねん」
「なにが」
「別に悪気があったんとちゃうねん」
「ほんならなんで知ってんすか」

あかん、そんな悲しそうな目で見やんといて。正直に話すから。

「白石になぁ、頼まれてん。探しに行ってくれって」
「はぁ…」
「やから、本間たまたま!」

そう言うと財前は別にもうなんでもいいです、とまた下を向いた。許せ財前。確かにあの子は可愛かった。お前が落ち込むのも分かる。きっとそんな意味で落ち込んでるわけでは無いと思うけど。下手くそながらに慰めようと奮闘する俺の横で財前はずっと項垂れていた。

「財前も、男の子なんやなぁ」

もう静かにしようと座り直した俺は呟く。何を言ってるんだこいつはと思われてしまうかもしれないが、それが率直な感想。だってまさかあの財前が恋煩いだなんて誰が予想したか。一緒にダブルスを組んでいる俺でさえ想定していなかった。常に冷静を保つ財前の以外な一面。その事実に“生意気な後輩”という肩書きは意図も簡単に崩れてしまった。

「なんて言うん、ギャップ?ギャップ萌え?」

相当な落ち込みを見せる財前に、兎に角笑顔になって欲しいという思いが沸き上がってウケ狙いの発言をしてみる。なんなんだろうこの気持ちは。財前が凄く可愛いと思える。冷酷だとか鬼畜だとか言ってごめん。あの後いろんな意味で無償にドキドキしてまともに後輩の顔が見れないような情けない先輩でごめん。思春期丸だしな先輩でごめん。お前は生意気とちゃう、お前は優しい男の子や。ほらその証拠に、今だって鼻を啜る音が聞こえる。

「す、すまん財前、笑ってくれたらええなと思って…!そりゃ悲しいよな、彼女と別れたんやから!」

泣かせてしまってごめん。そう謝りながら顔を覗き込んだ瞬間、視界いっぱいに財前の顔が広がった。そして同時に俺の唇には慣れない感触。

「あんた本間面白いな」
「…え?」

それは一瞬で、けど確かに触れた。俺の唇に、財前の唇が。

「俺慰めんのになんぼ必死やねん」
「え…涙は…」
「俺彼女とかいませんし」
「え…」
「すまんすまん、って謝りすぎ」
「え…」
「すぐ騙されるんやもん」
「ええええええーーー!!!!」

嘘や、嘘や、こいつ、全然泣いてへん。目が充血してないところを見ると泣き止んだわけでもなく本当に泣いていないらしい。つまりはあれだ、騙されたんだ。俺が必死に財前を慰めて笑わせようとしている間こいつはプスプスと笑いを堪えていたと、そうゆうことか。

「お、おまっ、なんてこと!!」
「しかもめっちゃアホ面。俺はしっかり目ぇ閉じてキスしたのに」
「!!」

そうや、慰めてたとかからかわれてたとかそんなんちゃうねん。なんで俺にキスしたんやこいつ。いくら冗談でも先輩にキスする奴がおるか。けど綺麗な顔が迫ってくるシーンをはっきり思い出して顔から火が出そうになっている俺も相当可笑しい。なんでこんなドキドキしてんの俺。

「あー、いいもん見れた」
「え、ちょっ、財前!」

こいつは男や、股間には俺とおんなじもんが付いてんのや!混乱する頭でそう言い聞かせる俺に財前はけろっとした表情を見せた。

「謙也ー!休憩終わりやー!!」

心臓がバクバクいってうるさい。ついでに白石もうるさい。俺は今それどころやないねん。財前のことでオーバーヒート寸前になっている脳では今が部活中だということも分からなくなっていた。その上当事者の財前は足早にコートへ戻り何事も無かったかのような涼しい顔をしてる。憎たらしい男め。未だ開いた口が塞がらない俺と目が合うと生意気なような、だけどどこか可愛い笑顔を残し去っていった。だから、なんで俺はドキドキしてるんや!!

「謙也ぁ!!早く!!」

20110824
片想い財前の勝ち。