虫を殺せない男が一人。いつの間にやら家の中へ入り込んだ虫はてんとう虫。知らずにそれを踏み潰す直前だった俺。二人の命と一匹の命。危なかったね、もう大丈夫だよ、なんて笑い掛ける奴がいるがその先にあるのは虫だ。数億倍はあるだろう巨人の言葉が虫に通じるとでも思っているのだろうか。だとしたら馬鹿に違いない。赤い体に黒の斑点。その毒々しい色は自らの危険を知らしめる為ではない、踏み潰されるようななんの力もない小さな存在なりの威嚇。意地っ張りで、強がり。警告色をした虫は元軍人の手によって保護された。

「いちいちキモい」
「虫にも命があるんです。貴方には分からないかもしれませんが」

なんだか棘がある言い方をされた。虫にも命がある。分かるさそれくらい、馬鹿じゃないんだから。俺はそんな小さな命にまで構う事が気持ち悪いと言ったんだ。今助けた事が何に繋がったのか、それは誰にも解らない。窓から外へ出ていくてんとう虫を見て、きっともうすぐ消えてしまうんだろうと短い命を悟った。

「なんか似てるよな」
「え?」
「強いふりするとこ」
「誰がですか」
「強がって、結局俺が居ないと生きれねぇのにな」

少し眉間に皺を寄せて睨まれる。その顔の事を言ってるんだけどな、こいつは俺の言った意味を何も理解していないらしい。初めて人を殺した時、意識の無い内に起こったのをいい事に罪をなすり付けられた。僕がやったんじゃない、君がしたんだと。それは責任逃れ以外の何物でもなかったが心優しき青年が人の命を奪ったなんて事実あってはならないのだ。それが自分であるなら尚更。それからというもの、こいつは誰かを殺す度に自分が造り出した物の存在理由そのものを否定した。俺と自分を完全に区別する事でその脆い精神を保っているのだとすれば俺はなんて都合のいい人間なんだ。汚れ役もあったもんじゃない。確かに、直接手を下したのは俺に違いないが、それと繰り返し起こるこの惨劇の発端は別だ。他人を犠牲にしてでも生きたい、などと思わなければ俺は生まれてなんかいないし、現に俺はその殺人という行為をこいつに代わって実行する為の存在なんだと自覚している。そして目が覚めれば命の恩人を殺人鬼呼ばわり。その殺人鬼にすがって生きている癖に。そんな男が虫の命を気に掛けるなんて、可笑しな話である。

「僕は人を殺したいなんて思った事一度もありません」

目の前の男がなんだか大きなてんとう虫に見えた。

20110612

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