予定調和譚

02.夢語



重たい扉を開けた先、広がる空間は自分の良く知るもので。
温かな空気と柔らかな灯り、出迎えてくれる声は高鳴った鼓動を落ち着かせる。
ここが自分の居場所であると再確認するその一方で、
物足りなさを感じてしまったのは、扉の向こうで繰り広げられた出逢いが
あまりに沢山の感情と色を教えてくれたから。


「姉さん!」
「ヒタキ?」


久しぶりに見た彼の姿に驚くばかりのツグミがその表情を捉える前に
ヒタキは胸に飛び込んでくると「おかえりなさい、姉さん!」そう言って
いつもと変わらぬ人懐っこい笑みを見せてくれた。

縁談やその相手よりも気掛かりだったのが弟のことであったため
漸く一息吐けると同時に、彼が明るく出迎えてくれる理由が気になって。
自分とよく似た若葉色の瞳を覗き込んでみる。


「使用人たちが騒いでたんだ。姉さんが見合いの席に現れず、姿を消したって」
「ああ…」
「それって見合いを蹴ったってことでしょう?」
「っ…!」


ヒタキの眼差しには期待の色が窺えた。
だから、本当のことを告げるのを躊躇ったというわけではなくて。
きっと絵本のようにふわふわで恋愛小説のように甘いそれを話すのが照れ臭くて
自分の中だけに大切に仕舞っておきたいと思ったからだ。

けれど、ここで誤魔化すようなことをすればヒタキをまた傷付けてしまうから
ツグミは彼の肩に手をついて、ほんの少し距離を取ると
「八代さんにお会いしたの」そう緊張の滲んだ声で切り出した。


「…会ったの?」
「えぇ。でもね、彼はヒタキが考えているような人ではなくて…
自分の利益や家の事情よりも、私のことを考えてくれていたわ。
彼を信じれば全てが上手くいく気がするの。単純かもしれないけれど。
それでも、魔法にかかったみたいに世界が変わって見えた。
キラキラ輝く時間はあっという間に過ぎていくのね」


夢の中の話をするみたいに漠然としたものであったが
ツグミがあまりに幸せそうに話すから、ヒタキも遮ることができず。
けれども、続けられる美しい物語の数々にヒタキの表情は曇るばかり。
それに気付いた時には、彼は今にも降り出しそうな涙を瞳いっぱいに浮かべており
挙句「姉さんは…そいつのことが好きになったの?」と
棘を含ませた言葉で問うてくる。


「そういうのじゃないの。だって、今日初めてお会いしたのよ?
恋愛云々を考えるまでにも至らないわ」
「だけど、少しでも良いなと思ったんでしょ?」
「っ、そうね…彼のことを知りたいと思うし、そのために近付いてみたいと思うわ」


そこまで話したところで、ふとヒタキが離れていく気配を感じた。
一歩後ろに下がった、ただそれだけのはずなのに
感覚的には触れられないところまで行ってしまったような気にさせられる。
更に、すっかり興味の削いだ表情を向けられ
「ふ〜ん、そうなんだ…」と感情のない声を返されては
ツグミはもう何も言えなくなってしまう。


「…そんな姉さん、見たくなかった」


いつだって笑顔の絶えなかった姉弟の間に生まれる長く息苦しい沈黙。
まるで、赤の他人と空間をともにしているような居心地の悪さに
目を伏せるツグミに、ぽつりと聞こえてきた声はとても冷たくて。
本当に目の前にいるのが愛する弟であるのか、疑いたくなる。


「その着物も…早く着替えたほうがいいよ」
「え…えぇ、そうね。
折角、お父様が買ってくださったんだもの。汚しては大変だわ」


それはヒタキが逃げ出す口実を作ってくれたようだった。
勿論、ツグミはこの場を立ち去るべきだと思って言葉を返したけれど
重たく沈んだ身体はなかなか動き出そうとしてくれない。

そんなツグミに助け船を出すように
「お着替えですね。お手伝いいたしましょう」という声が飛び込んできた。
それが着付けをし笑顔で送り出してくれた女中のものであると気付いたツグミは
静かに安堵すると彼女に促されるようにして歩き出す。
漸く部屋から出てきてくれたヒタキを残していくのは気が引けたが
じいやに任せておけば大丈夫という彼女の言葉に従い、振り返ることはなかった。



「花鶏さん。私ね、本当はこの振袖を脱ぐのが少し惜しいの」


自分の部屋に戻って、鏡の前に立ったツグミはぽつりと本音を零した。
ここまでの出来事が全て夢で、実際は頭の中で描いていた通りの
悲しい運命が降りかかってくるのではないかと怯える自分がいたのだと思う。

けれど、鏡の向こうに見える花鶏はツグミの不安を一掃する優しい笑みで
「素敵な出逢いをされたのですね」そう返してくれるから、
それがはっきりとしたカタチとなっていくのを感じた。


「えぇ、とても素敵だったわ。彼の手を取って良かったと心から思うの。
あぁでも、お父様には悪いことをしてしまったかしら」
「いいえ。お嬢様のお顔を見られたなら、きっと安心されると思いますよ」
「そうかしら?」
「えぇ。出掛ける前とは天と地ほどの差…っ、すみません。失礼なことを」


ツグミと同じく感情がすぐに表情に出てしまう質である花鶏は慌てて謝るが
ツグミは特に特に悪く思うことはなく。
ただ、彼女の言葉で過去の自分を思い返して苦笑を浮かべるばかり。


「私だって…縁談の話を聞いて独り部屋で泣いていた私に
今日のことを教えてあげたいって、そう思うもの」
「お嬢様…」
「恋に落ちるかは別としてだけど…私は彼が運命の相手であれば良いなと願うわ」


目の前に広がっているのは夢ではなく現実。
これから美しい物語が紡がれていくことを信じて、ツグミは自ら帯を解いた。






To be continued...


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