回帰

     リンゴヒメ 2



予定よりも帰りが遅くなってしまった、と
地平線に半分以上を飲み込まれた夕日と紫紺が溶け合う空を見上げた鴎外は
屋敷で自分の帰りを待っているであろう子リスのことを考える。

芽衣が本当の婚約者になって初めての夜会であると同時に
名立たる顔ぶれが揃う今夜に特別な思い入れがあるとはいえ
彼女に重圧を掛けていることを申し訳なく思っていた。

鴎外が華やかに飾り立てただけの夜会を退屈に思う以上に
芽衣にとって居心地の良い場所でないことくらい理解している。
しかし、森家親族が断固として芽衣との婚約を認めようとしない今、
周囲の認知と理解が何よりも効果的だと考える鴎外にとって
夜会は最高の機会だと考えてしまうのだ。

全てが上手くいって、正式に自分のものにできたなら
今までの反動で、愛しい彼女を誰の目にも触れないよう
大事に檻の中に閉じ込めてしまうかもしれない。


「着きやしたぜ、旦那」
「あ、ぁ…すまない」


帰りが遅くなったと焦っていた割に車夫を急き立てる間もなく屋敷に着いてしまい
鴎外は浅い眠りから覚めたような調子で現実へ目を向けた。

俥を下りて見上げた森邸は薄らと夕日が射して温かみがあるというのに
足元に伸びた大きく濃い影が何だか不気味だ。
いつもと違って見える景色に妙な胸騒ぎを感じながらも
鴎外は自身が贈ったドレスを美しく着こなしつつ、
緊張の色を浮かべているであろうお姫様の元へ歩き出す。


「ただいま帰ったよ。子リスちゃん?どこにいるんだい?」


鴎外の帰りを待っているはずの彼女は声を掛けるとすぐに
ふわりとドレスを翻し飛んできてくれるとばかり思っていたため
耳が痛くなるような静寂と指先が悴むような冷たい空気に
不安が益々濃くなっていくよう。


「子リスちゃん!」


早足で駆け込んだサンルームは目が痛くなるほどの朱に染まっており、
大きな窓から差し込む西日に思わず目を閉じてしまうも
辺りを漂う甘酸っぱい香りと不穏な気配にゆっくりと瞼を開けた。

その瞬間、視界に飛び込んできた芽衣の姿に鴎外は声を上げ、駆け寄る。
冷たい床に倒れた身体を抱き起せば
瞳に映る人形のように蒼白く表情を失くした彼女の顔。
力が抜けてぐったりとした身体は温もりを失い、美しいドレスも霞んで見えた。


「子リスちゃん、しっかりしなさい!」
「…」
「っ、一体。何が…」


彼女の鼓動は弱々しくも確かに伝わってくる。
まだ失われたわけではないと安堵したのも束の間、
今にも消えてしまいそうな命に、鴎外は事態を把握しようと辺りを見回す。
そうして、目に触れるは傍らに散らばる硝子の破片と甘く香る液体。
テーブルの上には見るからに高価な果汁飲料と、
それが芽衣宛てに贈られたものであると示したカード。

彼女の命が狙われる可能性と
今日が特別な日であったことまで考慮した鴎外は
飲料に毒物が混入されていたのだろうと、その犯人を含め確信した。

問題は何の毒かということだが、
飲料の減り具合から、少量で即効性のあるものだと推測できる。
更に、芽衣に苦しんだ様子が見られないことや入手のし易さを考えて、
思い当たるものが一つ。

それが間違いでなければ、幸運なことに解毒剤が手元にある。
自分は医者であると同時に、観察力・推理力ともに優れていると自負している。
おまけに勘が働くし運も良いのだから、いつものように自信を持てば良い。
そういって自分を急き立てるけれど、芽衣の命が掛かっていると思うと
恐怖に足が竦む。


とはいえ、このまま何もせずにいたら芽衣は間違いなく死んでしまう。
鴎外は必ず助けるからと誓いを立てるように彼女の額に口付けると
書斎にある解毒剤を取りに駆け出した。





To be continued…


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -