エイル
エヴァ→ルシア
本編 025day以降


小道具や衣装が放り出された乱雑な控室の鏡の前に立ち、
冷たく光る鏡面に浮かぶ偽りの自分を見つめていた。
白く華やかに着飾って絶望を隠し、憧れを演じる。

どうすれば、彼女に好きになってもらえるのかと考えているようで
本当は“僕”に気付いて、思い出してもらえる方法を探している。
そんな心の揺れを見透かしたように、刻は猶予を与えてくれることなく
世界の終焉に向かって流れ落ちてゆく。

目の前の鏡も、巨大な砂時計も粉々に壊してしまいたい。
そうして飛び散った欠片が降り注ぎ、誰かを傷つけることになっても
それはキラキラと輝き、きっと美しいのだろう。

そんな物騒なことを考えていたこともあって
突然、控室の外から聞こえた「おい、大変だぞ」「早く救急箱を」などの声、
そして、慌ただしい足音が駆けて行く気配に、多少なりとも驚いてしまった。
普段から舞台の練習に、準備にと落ち着かない場所ではあるが
いつもと違った騒がしさと、妙な胸騒ぎに急かされて控室を出た。


ざわめきを辿るまでもなく、
舞台裏で何かがあったと探し当てたエヴァはその中心に歩み寄り、
華やかな衣装を身に纏った団員たちの中、ルシアの姿を見つける。
木箱に腰掛けて何かに耐えた表情の彼女は
腕に大きな爪で引っ掻かれたような傷を負っており
そこから浮かぶ赤にふっと意識が遠くなるような衝撃を受けたエヴァは
今の自分を忘れて「ルシア!」と切羽詰まった声を上げてしまう。

エヴァらしからぬ声に気付いたのか、駆け寄る気配に気付いたのか。
こちらを向いたルシアは視線が合致するなり
驚いた表情を見せ、のちに困ったふうに笑った。


「すみません。私の不注意でライオンに引っ掻かれてしまって…」
「大丈夫、なのですか…?」
「はい。ただの掠り傷なのに、キョウゴが大騒ぎするから
皆さんに心配をお掛けしてしまって…」


引っ掻いたのはライオンではなく子猫だった。
そう聞き違えたと思うほうが自然であるほど
事もなげに話すルシアを見るのは気分の良いものではなく。
エヴァは不安に少しの不満を混ぜた瞳で
現在、キョウゴに手当てをしてもらっている腕を捉える。


「お前は大袈裟だっていうけど…結構、深い傷なんだからな。
本当は医者に診せるべきだってのに、強がって」
「別に、強がってないよ…?」
「消毒薬がしみて痛いんだろ。腕が震えてるし、涙目になってる」
「キョウゴ、今日はなんか意地悪だよ…」


赤い血を拭い、消毒をして、包帯を巻いて。
不器用に施される手当ての間、飛び交う2人の会話はいつも通りといったふうで
こんな時にまで、エヴァの中でどす黒い感情が暴れ回り、
吐き気を催してしまいそうになる。


「とにかく、これで分かっただろ。
素人が興味本位で手伝いなんてするもんじゃねぇんだ」
「…キョウゴ、付いていてくれるって言ってくれたのに」
「っ、だからだよ…今の俺じゃ、お前を守りきれない。そう実感したんだ」


悔しそうに顔を顰めるキョウゴに対し、
返す言葉もなく俯いてしまうルシアを見て、エヴァは嫌な予感がした。
彼女は優しいから、キョウゴに責任を押し付けることができず
手を引かれるがまま、離れていってしまうのではないか。

そんな不安を感じ取った黒い影は離れゆく後ろ姿を追い駆けようと
閉じ込めた檻から出るためドアを叩き、
気付いてもらいたくて声を枯らして彼女の名を呼ぶ。
そして、偽りの自分は黒い感情を押し込めるのに必死になっていた。


「どっちみち、この怪我じゃ何もできないだろうし。今日はもう帰るぞ」
「うん…」


ルシアの手を引いていくキョウゴが憎い。
思い通りにいかない苛立ちが全て幼馴染である彼にぶつけられる。
その一部でもルシアへ向けられたなら、楽になれるのかもしれないが
彼女に対して、愛する以外の感情を抱くことができなくて
自分を追い込んでしまう。


「エヴァさん!」


例え本当の名でなくとも、その声で呼びかけられるだけで心が晴れるはずなのに
今は他人を呼んでいるようにしか受け取れなくて
反応が少しばかり遅れてしまった。

のちに、はっと我に返ったように顔を上げたなら
去って行こうとしていたはずの彼女が目の前にいて。
無垢な瞳と視線が絡んだ瞬間、柄にもなく顔が強張る。


「大丈夫ですか?何だか、エヴァさんのほうが辛そうです」
「…そう見えますか?」
「あの、怪我のことは心配しないでください。
これくらいなら、明日からまたお手伝いすることもできると思いますし」
「え、と…手伝いを続けていただけるのは嬉しいのですが、
キョウゴさんが許してくださらないのではないですか?」


帰る気満々といったふうに、とば口に立ったキョウゴへ視線を向ける。
敵対心が隠しきれず、睨むような目色になっていたかもしれないが
それはお互い様であるため、逸らすことはしなかった。

熱く冷たい睨み合いであったが、傍らにいるルシアは気に留めるどころか
気付いていないといったふうに、ひょっこりと首を傾けて
キョウゴの視線を遮り、エヴァの視線を絡め取ると
「キョウゴのことなら、大丈夫です」そう言い切る。


「何を言われても絶対に説得してみせます。途中で放り出したくないですし、
エヴァさんと舞台に立ちたいって、昔からの夢みたいに強く思うから」
「ルシアさん…」
「だから、エヴァさんもそんな悲しい顔しないでください」


ルシアは困ったように笑って、こちらに手を伸ばしてきたかと思えば
目の下、涙のマークがあるそこを優しく撫でてくれる。
伸ばされた腕は傷を負った方で、動かせば痛むはずなのに
そんな素振りを見せないから、代わりにエヴァの心がずきりと痛むよう。


「優しいあなたの夢を叶える為、この白きエヴァが一つ魔法を掛けましょう」
「魔法、ですか?」
「どうか、今夜はあなたが描くその夢を強く想いながら眠ってください」
「そうすると、どうなるんですか?」
「さぁ、それは朝。目が覚めた時のお楽しみです」


まるでサーカスを見ているかのような期待と緊張の滲んだルシアに
エヴァは悪戯に微笑んで、こっそりと包帯が巻かれた腕に視線を落とした。

アダムが悠久を行き来しているように、
手元にある大量の時間を使えば、腕の傷は簡単に治すことができるだろう。
こんなの、彼女の愛を手に入れて世界を救うことを考えれば些細な魔法。



「おい、ルシア。行くぞ」
「あ、うん」


痛めていないほうの腕を引かれて去っていくルシアがあの時と重なった。
しかし、今日は「それじゃ、また明日」と確かな言葉を残してくれたから
魔法よりもずっと確かなその約束に幾分救われ、その後ろ姿を見送る。

幼い自分は、遠ざかっていく少女を見ていられず
すぐに目を逸らしてしまったけれど
あの時も、今みたいにルシアは何度も振り返ってくれていたのだろうか。






End





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