ムニン
ティオ(→←)ルシア
BAD END


終焉が噂される世界の混乱なんて一切届かない灰色の室内で
唯一、色付いた窓の外を映す瞳は光をなくしていた。
幾つかの荷物を手にマリーが訪ねてきたことにも気付かないティオは
きっと、穏やかに流れる中庭の景色も見えてはいないのだろう。

安全保護に加え、療養のためにと連れてきた場所であるが
粉々に砕かれた心を治すことができる医者も薬もない。
そもそも、世界中どこを探しても治療法なんて存在しないのだ。

ティオが絵を描くことはもうないのだろう、と
部屋の隅にぽつんと置かれた画材を見るたびに思うけれど
マリーはティオを見捨てることができなかった。


「いい匂い…」


耳が痛くなるような沈黙の中で、不意に聞こえてきた声。
久方ぶりに聞いたティオの声に驚いて、椅子に腰掛けた彼へ視線を落とせば
虚ろな瞳がマリーの持っていた荷物に向いていることに気付いた。
相変わらず、表情は無いも同然で。声にも感情一つ滲んでいなかったけれど
些細な反応が嬉しくなると同時に
ティオの言う“いい匂い”の正体にハッとさせられる。


「これ。ルーシーが作ったケーキよ」


紙袋に入ったピンク色のフェアリーケーキを取り出してみせれば
ティオは表情を大きく変えるわけでも、何を言うわけでもなく、
ただ唇に指先を這わせた。


「ルーシーがどうしてもティオに食べてほしいって…」


ティオの状態を考えれば期待させてはいけないからと受け取らずに
ティオのことは忘れるよう言い聞かせるべきだと思った。
しかし、マリー自身も諦めきれずにいるのだ。
マリー以上にティオを想い続けているルシアが不憫で。
「食べてもらえないかもしれないけど…」という言葉を添えて、受け取った。
その判断が良かったのか、安易に答えを出すことはできない。


「ティータイムにしましょうか。今、お茶をもらってくるわね」


一度、言葉を発したきり、固く閉じた口元。
呼吸をしているかも疑わしいその風体にマリーは溜息を吐くと
部屋を出てすぐのキッチンまでお茶を取りに行く。

甘いケーキに合うのはルシアの淹れた紅茶で
ココノココノの温かな雰囲気と合わせて楽しみたいところであるが
残念ながら、穏やかな刻を過ごしている余裕も時間も
流れ落ちてしまい、残ってはいない。

カップにお茶を注ぐみたいに、時間も継ぎ足すことができればいいのに。
そんなことを考えながら、透き通った紅をなみなみ注いだカップを手に
部屋に戻ってきたところ、先程まで座っていた椅子に
ティオの姿がなくなっていることに気付く。


「っ、え…ちょっと、ティオ。急にどうしちゃったの?」


お世辞にも広いとは言えない室内。視線をふっと別方向へ向けたなら
部屋の隅にしゃがみ込んだティオを見つけることができた。
しかも、刻の波に揺られるばかりで、自ら行動することを止めたティオが
画材を広げ、何やら絵を描いているようであったため
驚いたマリーは、画材に触れる音を掻き消してしまうくらいの大声を発した。

元々、絵を描いている時は言葉少なになってしまうティオだが
今まで以上にその口元は固く噤まれている。
それでも、真剣な眼差しと滑らかな筆使いはマリーの良く知るもので。
ティオの心が戻ってきたのだと信じたい気持ちで疑いを塗りつぶす。

幾つかの色が滲んで雑然としたマリーの頭の中とは対照的に
真っ白だったキャンバスは鮮やかに色付き、1人の少女が浮かび上がっていく。


「これって…」


出会う前から、ティオが夢見ていた少女。
感情と記憶をなくしても尚、残っている想いがあるのだろうか。

ケーキの甘い香り、陽だまりのような温もり、花のような笑顔。
1日しか持たない記憶に呼び掛ける何かがあったように
今のティオにも、希望があるのかもしれない。


マリーは、キャンバスに描かれたルシアの姿と
それに寄り添うようにして眠りに落ちてしまったティオを見比べて、祈る。
この絵に、時間という名の価値を付けられないのと同じように
どうか2人が世界の終焉という刻の制限に縛られず、巡り会えるようにと。







End




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