スールル
ティオ×ルシア
GOOD END


何の音も声も聞こえなくて、大きな窓の外の移ろう景色も気にならない。
現実と夢の狭間にいるような、ふわふわとした気分のまま
筆を動かして、キャンバスに淡い色を付けていく。

まるで、光や空気や時間、取り巻く全てが
自分の思い通りに染まっているみたいに
何の影響も受けることなく、絵を描き続けていたのだけれど
不意に絵の具の匂いとも夕日の匂いとも違う、
甘く優しい香りに鼻孔を擽られ、筆先がぴたりと動きを止める。

ティオの世界に易々と入ってくることができる唯一の存在に
絵具で汚れた手を引かれ、導かれるように現実へ意識を戻すと
夕日色に染まったサンルームの隅に佇むルシアの姿を見つけて
窓の外を見つめる横顔に、絵を描きたいという衝動に似ているようで少し違う
甘く痺れが残る鼓動の波を感じた。


「あ、ごめんね。邪魔したかな?」


目が合うと申し訳なさそうに投げかけてくるその声に
漸く自分を取り戻したような気になりつつ
「うんん」と掠れた声を零しながら首を横に振る。
途端、安堵を見せるルシアに惹かれてしまったらしいティオは
握りしめていた筆をおいて、汚れた手を服で拭いながら
彼女のもとへと歩み寄っていく。

日の傾きと、彼女の瞳に見え隠れする不安から察するに
間もなく18時11分を迎えるのだろう。
昨日も一昨日も、その前も、ルシアと迎えたこの時間。
毎回、ルシアは傍にいてくれて、その不安げな色まではっきりと覚えている。

空っぽだった自分には既に語れるだけの記憶が蓄積されているというのに
ルシアはまだティオの記憶が失われることを心配しているらしい。


もう大丈夫なんだけどな、と
ティオは確証がないながらも言い切ることができたし
ルシアだって本当は気付いているのだと思う。

それでも、彼女はティオが記憶しているよりも多くの18時11分を重ね、
大切な習慣としてくれていたようだから
義務というよりも、朝起きて夜眠るみたいに当たり前な感覚で
今もこうして傍にいてくれているのだろう。


「ごめんね。ルシア」
「え?どうして、ティオ君が謝るの?」
「なんか、僕、君を縛り付けてるみたいだ…」


自身の心もぎゅっと締め付けられているみたいに苦しいのに
ルシアの想いを感じられるこの刻を失いたくないと思っている。
複雑すぎる気持ちを上手く表すことはできないけれど
たぶんきっと、不安の先にあるルシアの笑顔を見るのが
好きだからなのかもしれない。


そろそろ18時11分を過ぎた頃だろうか。
今日も無事、記憶がリセットされることなく
目の前にいるルシアを変わらずに好きだと言える。
いや。1分前より1秒前より、もっと好きになったと言うほうが正しい。

そんなことを思い巡らせていると、まるで同じことを考えていたかのように
ルシアがこちらに手を伸ばし、ぎゅっと抱きしめてくれる。


「ティオ君は、こうしていると苦しいって思う?」
「少し…でも、ルシアとぎゅってするの、僕、好きだ」
「うん。私もだよ」


温かくて柔らかくて、いい匂い。
ドキドキと煩いくらい脈打つ鼓動に
呼吸がし辛いと思う程度の苦しみが触れるけれど
いつの間にかそれは互いの想いに溶けて世界を鮮やかにする。


「時や記憶、想いに縛られるのはそんなに悪いことじゃないと思うの。
そこにはきっと幸せがあるって信じているからこそ
抗わず向き合っているはずだから」


その結果、幸せになるならないは本人次第だというルシアの話は
少しだけ難しくて知らぬうちに瞬きが多くなる。

しかし、抱き合った腕の力を緩め、向かい合って見えたルシアの笑顔が
不安も苦しみも感じない綺麗なものであったため
ティオは彼女の赤らんだ頬に手を伸ばして「ルシアは幸せ?」と問う。

それに対する答えも、幸せに満ちた笑顔も
この瞬間を取り巻く全ては絶対に忘れないようにしようと
既に大切なものが詰まった引き出しの中へ、新たに仕舞って鍵を掛けた。







End





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