幕間ハ月現ル迄
鴎外×芽衣
恋月夜の花嫁 終章


遠ざかってゆく後ろ姿に失うかもしれないと思った。
不忍池の畔で意識をなくした芽衣を見つけ、
冷たい水を含んで重たくなった身体を抱え、
一晩中、握っていた手に温もりを感じて。
彼女は約束通り自分の元に戻ってきてくれたのだと、
窓から差し込む日の光に目を細めながら漸く実感する。

もう何の心配も要らない、そう思いたいけれど不安が拭えないのはなぜか。
数刻前まで窓の外に浮かんでいた小望月に照らされた悲しみは序章に過ぎず。
満月を迎える今夜こそ、もっと大きな影を生み出してしまうのではないか、と
ハッキリしないながらも確かな恐怖を感じていた。


芽衣は別れの時が迫っているかのような物言いをよくしていた。
それが今夜を指している確証はないのだけれど
できれば、今日一日は彼女に付いて過ごしたいところだ。
叶うなら今日だけでなく、いつまでも目の届くところにいてほしいけれど
掴みどころのない彼女が相手では雲を捕らえておくよりも難しいことである。

いっそのこと、この部屋に2人閉じこもって昼も夜も忘れて過ごしていようか。
そんて物騒な考えを巡らせたところで
コンコンッと現実に引き戻すようなノックの音。
長い眠りから覚めたような感覚が抜けきらないままに返事をすると
部屋のドアが遠慮がちに開かれ、姿を見せた春草がいつもと変わらぬ調子で
「鴎外さん。そろそろ、仕事に行かれる時間では…?」と声を掛けてきた。


「…もうそんな時間か」
「早く準備したら、どうです?」


じれったそうに声を掛けてくる春草に曖昧な返事をするだけで
芽衣と繋いだ手を離すことはしなかった。
この手を離して仕事に行って、本当に後悔しないだろうか。

帰った時に芽衣がいなくなっていたら、そう考えるだけで
ぶるりと身震いするほど冷たい恐怖に飲み込まれる。


「鴎外さん…心配なのは分かりますが、
彼女が目を覚ますまでそうしているつもりですか?」
「ふむ…できれば、そうしていたいところなのだがなぁ」
「はぁ。仕事に行ってください」


最後の忠告だとばかりにぴしゃりと言ってのけた春草は
そのまま部屋から出ていこうとするから、慌てて呼び止める。
嫌な予感がしたのか一瞬の間を置いて振り返った彼は
「何か?」と話を聞く姿勢を見せながらも、
今すぐにでも立ち去る心積もりが窺えた。


「春草。お前、今日は学校が休みだと言っていただろう?」
「…えぇ、まぁ」
「では、子リスちゃんが起きるまで傍についてやっていてくれないかい?」
「はぁ…まぁ、それは構いませんが」


何とも煮え切らない返事。
本当は自分が付き添っていたいという鴎外の想いを察しているのだろう。
春草が疑っている通り、次の瞬間には考えが変わってしまいそうなほど
ゆらゆらと落ち着かない心情であったのは確かだ。

そのため「では、あとは任せたよ」という言葉で
探り合うような空気を断ち切るのにも相当の覚悟が窺えたのだけれど
一度決心付けるとそこからはあっさりとしたもので
立ち上がるついで芽衣と繋がった手と手を解くことができた。


「春草。芽衣が起きたら…」
「…?」
「いや、何でもない」


自分が帰るまで芽衣をどこにも行かせないよう頼もうと思った。
しかし、鴎外でも引き止めることができなかった芽衣が相手では
荷が重すぎるだろう。

何よりも、そんなことを頼んでは彼女がいなくなると
認めてしまうようであったため、口にすることを避けたかった。


「では、行ってくるよ」


我ながら情けなくなるほどの不安に満ちた声で言うと
部屋を出ていく直前に振り返って、芽衣の寝顔を見つめる。
どうか、これが最後にならないように。

彼女が目を開けた先に自分がいて。
ともに満月の夜を越えることができますようにと願った。






End



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