嘘月ノ未知案内
鴎外→芽衣+チャーリー


一縷の光も届かぬ小さな部屋で独り。
此処に閉じ込められてどれくらいの時間が経ったのだろう。
帰りたいと足掻いては締観を繰り返し、
昼か夜かも分からぬまま気を失うも同然に眠る日々。それは終わりが見えなくて。

満月の夜は疾うに過ぎ去ってしまったのかもしれないけれど
芽衣をこの場所に閉じ込めた男に尋ねたところで何も答えてはくれないし
月が満ちようが欠けようがここから出してくれる素振りもないから。
少しの希望を残したまま、今日も閉ざされた扉の前で蹲る。


「ねぇ…芽衣ちゃん」


一人を除き、誰も訪れることのないこの部屋に
来訪者が現れたのは夢と現実がいよいよ交ざり始めた頃。
聞こえてきた声は温かく懐かしいもので、
込み上げる涙を堪えながら膝に埋めていた顔を上げたなら、
真っ暗であるはずの世界に光が見えて。
その眩しさに目を細めてしまうも次第に輪郭を成してゆく彼の姿に目を剥く。


「チャーリーさんが…どうして」


泣き叫んだあとみたいな掠れた声で問うたところ
いつもは飄々とした奇術師が苦々しげな表情で疲れ切った芽衣の頬に触れた。

労わるように撫でてくれる手が優しくて。
芽衣は暫く目を閉じてそれを受け入れていたけれど
「遅くなって、ごめんね」そんな言葉が投げかけられると
彼が何を考えているのか気になって、真っ直ぐな瞳をもって彼の真意を探る。


「もしかして、今が満月の夜なの?」
「そうだよ。今日は君がこの時代に来てから丁度一ヶ月になる」


心のどこかで約束の期限は切れてしまったのだと諦めていた。
それ以前にこの部屋から出られない自分は約束の場所へ行けないと
向こう側から鍵の掛けられた分厚い扉を何度嘆いたことか。

けれど、奇術師は約束を果たすため、
彼女を救い出すために厳重な檻の中へと現れた。


『次の満月の夜、君が現代に帰りたいなら
僕が世紀の大奇術を仕掛けてあげよう』

チャーリーと約束を交わした日のことは今でも鮮明に思い出せる。
あまりの嬉しさに屋敷に戻ってからも浮かれ調子で
『私、家に帰ります』『満月の夜、迎えが来てくれるんです』なんて
鴎外に打ち明けてしまうほど。

突飛で訳の分からない話であったかもしれないが
どんな時でも優しく穏やかである彼は一緒に喜んでくれるだろうと信じていた。
けれども、話が終わった後に彼が見せた顔は
今まで見たことのない不穏な色を浮かべていて。
怒りや悲しみ、恐怖の入り交じったどす黒いそれに逃げ出す間もなく、囚われた。

屋敷に人知れず存在していた地下室に閉じ込められてからというもの
外界の情報を一切与えられず。説明はおろか謝罪の言葉ひとつないまま
ただ愛の言葉を囁かれる毎日であった。



「私のせい、だったのかな」
「え?」
「優しかった鴎外さんをここまで追い込んでしまったこと…」


ここ数日を振り返って、穏やかな笑顔の裏に隠された幾つもの想いを痛感する。
それは出会う前から積み重ねてきたものであったり
出会ってからこれまで必死に押し込めようとしていたものであったり。
気付けなかった自分が全て悪いとは思わないけれど
自分の価値観を押し付け、無神経に彼を傷つけたのは明らか。


「それで、芽衣ちゃんはどうするつもりなの?」そう問うてくるチャーリーだが
すでに答えが分かっているといったふうに
受け入れたくないそれから耳を塞いだ姿勢である。
けれど、誰よりも少女の幸せを願う彼の心情を知らない芽衣は
暫し口ごもったのち「私、鴎外さんを残しては帰れない」と
自信なさげながら答えを出してしまう。

罪悪感であったり同情であったり、
それらを感じさせるまでの恩義であったりで強要された答えであって
自分のためを考えての選択ではないことは自覚している。
それでも、今自分が消えてしまえば鴎外はいつまでも探し続けるはずで。
芽衣がいない世界で生きていくことを困難とする彼を残し
この時代から消えてしまうなんて残酷なこと優しい少女にはできなかった。


「僕は君の出した答えに意見を言う立場にない。
だけど、芽衣ちゃんが幸せになれないと明らかなら話は別だよ」


らしからぬ怒った調子で言われ、
芽衣は一瞬たじろぐも答えを変えようとは思わなかった。
帰りたいと願っては諦めてを繰り返しているうちに
元いた世界への希望を失くしてしまったというのも理由の一つだが
芽衣の中で鴎外の存在が大きくなっていたことに気付いたからこその答えだ。


「これから先、どの時代にいても
私は鴎外さんに囚われて生きていくことになる…
だったら、彼の側にいて平衡を保っていたいと思ったの」
「…」
「チャーリーさんは、私がこの時代にいる意味は必ずあると言った。
だから、見つけようと思う。暗くて小さなこの部屋の中でも、
信じていれば見つかるかもしれないでしょ」


その言葉に嘘はなかったが、少しの強がりと迷いが含まれているのも確か。
チャーリーはきっと見抜いていたはずだが、これ以上何を言うこともなく。
ただ、自分が君を幸せにできたら良かったと力なく笑う。

そうして、赤い満月が照らした少女のための選択肢は
夜明けを迎える前に答えとなり、選ばれることのなかった未来は
再び暗闇となってしまった部屋に朝の香りだけを残して、消えた。



「っ、い…芽衣!」


ふと意識の向こうから自分の名を呼ぶ声がした。
暗い世界に取り残されていた芽衣は何の迷いもなく声のする方に向き直る。
そうして見えたのは愛情と不安と、少しの狂気が滲んだ瞳を持つ人。

存外、近い距離で視線が絡んだことに驚きつつ
柔らなベッドに横たえられた身体を起こせば
「芽衣。大丈夫かい?」そんな言葉が投げ掛けられるから
訳が分からず、辺りを見回してみる。

そこはいつもの地下室であるはずなのに
温かな灯に照らされた美しい生け花であったり、少女の好みそうな本であったり
記憶を辿れば、此処に閉じ込められてからの日々の中で
鴎外が贈ってくれたものだと分かるけれど
感覚としては初めて見たもののように捉えられた。


「美味しそうな匂い…」
「ん?あぁ…お前が目を覚ましたときのために粥を用意したのだよ」
「お粥?」


傍らのテーブルに視線を移せば小さな土鍋があって。
昨夜、部屋の隅で意識を失っていた芽衣を栄養失調と心的疲労と診断し、
用意したのだというそれからまた一つ彼の想いを知る。
芽衣はすっかり冷めてしまったお粥をじっと見つめ、
何に対してかは分からないながらも確かに感じる飢えにごくり喉を鳴らした。


「暫く真面に食事をしていなかったからね。食べやすいものにしたのだ」
「…」
「僕が用意したものなど受け入れられないだろうが
お前の待ち望んでいた満月は欠けた。諦めて食事を…」
「食べます」
「え…」


満月の夜が明けたことを嘆きもせず。
望み通りの答えが返ってきたことに驚いたのだろう。
鴎外は拍子抜けといった声を溢したきり、怪訝な眼差しを浮かべるばかり。

思えば、地下に囚われてからこっち、彼と真面に向き合っていなかった。
そんな中で、今こうして話をしていることも
彼にとって戸惑いとなっているのだろう。
芽衣は少しずつ見えてきた彼の心に
鴎外が温かな感情を失くしたわけではなかったのだと安堵する。


「諦めて、というわけじゃないです。お腹が空いたから食べたくなって…
鴎外さんのことを理解したから受け入れることにしたんです」
「芽衣…」
「満月の夜が明けたことは知っていました。
月の光が真実を照らしてくれたから気持ちの整理がついたのかもしれません。
だから、これから先は過ぎ去った夜を悲しまないし、
満月を待ち焦がれることもないと思います」


だから此処から出してほしいとは言わない。望むのは平穏だけで。
穏やかな時の証とばかりに在る花や本や食事、そして彼の微笑みが
無機質だった地下室に色を付けるのを幸せとして受け入れるだけ。


今まで拒み続けていた彼からの愛の言葉も同様で。
心に溜まり始めた甘く切ないそれが
僅かに残る後悔をいつしか塗り潰してくれることを、今は願う。






End



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