永遠夢ミテ輪舞曲
鴎外→←芽衣
第四章 偽リノ婚約者


絵本に描かれているような温かみのある暖炉や
4次元ポケット並みに何でも仕舞えそうな大きなクローゼット、
西洋の香りを纏った家具が揃った統一感のある部屋は
居候の自分には贅沢すぎると思う。

明治に飛ばされてから一週間ほどが経ち、森邸での生活にも慣れてきた頃。
この部屋もすっかり寛げる空間になっていたけれど
1日を終える前のひとときはサンルームで過ごすことが殆どだった。

まるで、それが昔からの習慣であったように
部屋を抜け出し、静まり返った廊下を抜けた先に見える扉を開けて
そこで誰が待っているわけでもないのに『こんばんは』と表情を和らげる。
それから何をするでもなく、柔らかな明かりのもとで
鴎外が珍重している装飾品や古雑貨を
睡魔に頭を小突かれるまで眺めているのが、何より好きだった。

特に芽衣が気に入っていたのは窓際に置かれた蓄音機。
現代とは違う意味で珍しいはずのそれを取り寄せたのは鴎外であるはずなのに
今のところ、彼がこれを使っているのを見たことがない。

安易に使えないほど大事なものであるのか。
購入しただけで満足し、置物と化しているのか。
鴎外の場合、どちらも考えられるから難しい。
何にせよ、高価なものに芽衣が触ることはできず。
光沢のあるホーンに映った自身の顔を顰めた。


「おや、子リスちゃん。こんな時間まで起きて、何をしているんだい?」


不意に背後から聞こえてきた声に
まるで悪戯がバレたかのようにびくりと肩を震わせてしまった。
そんな芽衣の反応に満足そうに笑みを浮かべて
「蓄音機と睨めっこでもしていたのかい?」と、からかってくる鴎外に対し
芽衣は思わずムッとしてしまう。


「ははっ。そんなにむくれなくても良いではないか」
「別に、私は…」
「ふむ…子リスちゃんは蓄音機に興味があるのかい?」


その質問はごく自然な流れではあったが
鴎外は緩い表情を一変、真剣な眼差しを向けてくるから
何となく居心地が悪くなってしまい。
彼の顔色を窺いつつ、静かに頷いた。

続いて、使い方を知っているかという問いに対しても
同じように答えを返したなら、今度は意外そうに眉を上げて
「元来、婦人は機械に疎いものだが…流石は子リスちゃんだ」と
驚いているのか褒めているのか分かり難い反応をされてしまった。

そういう芽衣も蓄音機の使い方を知っていると
当然のように答えた自分に驚いていた。
現代には気軽に音楽を聴く方法が沢山あるのだから、
一般家庭に蓄音機があるわけがない。
そう考え始めたなら、失った記憶を取り繕っていた像が揺らぐ。


「にしても…日本では、まだ馴染みがないものであるというのに
使い方まで会得しているとは、本当に不思議な子だ」
「…自分でもそう思います」
「ははっ。何をそんなに思い詰めているんだい?
僕はお前のその寛容さと多面的な思考を好ましく思うよ」


興味津々といったふうに見つめてくる瞳に気恥ずかしさを感じて目を伏せると
頭の上から鴎外の笑い声が降ってくる。

どうやら、またからかわれたらしいと気付いたところで
今更、顔を上げることもできず。
1人の夜に鴎外が入ってきた時点で調子が狂ってしまったのだと諦め、
芽衣はそろそろ自室に戻って休もうかと思案する。


「おや。もう部屋に戻るのかい?」
「鴎外さんも早くお休みになられたほうが良いと思いますよ」
「では、1曲聴いてから寝るとしよう。子リスちゃん、お前も付き合いたまえ」


戸惑う芽衣に構わず、鴎外は棚に並べられたレコードを探り出す。
まるで今からダンスパーティーでも始めるような調子に呆れていると
不意に振り返った鴎外から、針を新しいものに変え、
ぜんまいを巻いておくようにと頼まれてしまった。

素直に言うことを聞くのは癪であるが、その工程が嫌いではない芽衣は
自分でも驚くくらい慣れた手つきで準備を進める。
のちに、鴎外が持ってきたレコードが
盤の上に置かれ回り始めると、知らぬうちに心が弾んだ。

鋭く尖った針がレコードの上を滑る。
その表面が削られるのに合わせ、ザラザラと粗い音がした。
それは暫くチューニングをするように流れていたが
いつしかメロディが混ざり、みるみるうちに音楽となる。


「これは何という曲ですか?」
「レコードのジャケットにはラストダンスと記されているが…
蓄音機を買ったときに紛れ込んだ曲で、詳しくは知らないのだよ」
「でも、素敵な曲です」


ノイズが混ざり淀んでいるようで、その実、重みある力強い音が心を震わせる。
どこか懐かしい音楽に魅せられ、全身の力が抜けたようにソファに沈んだなら
このまま、眠れそうな気がした。

「久しく使っていなかったが、音楽に浸るのは良いものだ」という呟きと
鴎外が隣に腰掛ける気配に、閉じかけていた瞼を上げると
存外、近い位置に鴎外がいて少し驚いた。


「子リスちゃんも気に入ったようで何よりだ」
「はい。心地良くて、ずっと聴いていたいくらいです」
「ならば、蓄音機はお前の好きに使うと良い」


どうやら、先程の疑問は後者が答えだったらしい。
それにしても、高価なものを好き勝手使うというのは気が引ける。
特にレコードは聴くたびに削れ、劣化してしまうものだから。
鴎外の気持ちだけ受け取っておくという意味を含めて
「繰り返し聴いていたら音が悪くなると思うので…」そう返したなら
なぜか、鴎外は困ったような表情を浮かべてしまった。


「鴎外さん…?」
「この曲でお前を僕の元に留めておくことができればと思ったのだが
やはり、永遠に存在し続けるものはないのだろうか…」


別れの時が近いことを察しているかのような寂しげな呟きに芽衣の肩が震えた。
永遠を示すこともできぬまま、視線を逸らしたなら
その瞳が窓枠に切り取られた空を映す既に伸びてきた鴎外の腕の中、
強く抱き締められた。


「お、鴎外さん…あの」
「こら。暴れるでない。ここは大人しく抱かれているべきだ」
「だって、あの。でも…」
「せめて、この曲が終わるまで…ここにいなさい」


有無を言わさぬ言振りでありがながら、
背中に回された手は宥めるように、優しく撫でてくれる。
これでは、こちらが我儘を言って鴎外を困らせているようだ。

そんなこと本意ではないし、何よりもここにいたくないなんて思うわけがない。
心地良い音楽が流れ、絶対的な温もりに包まれて、
慣れない感覚のようでどこか懐かしい、この空間が永遠であれば良いとさえ思う。






END



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