夜長ニ散ジタ星眺メ
鴎外→芽衣
神楽坂ベース


鹿鳴館で出会った少女に恋をした。

複製されたような笑顔と会話が飾り立てられた退屈な夜会は
一匹の子リスとぶつかったことによって一変。
大きな瞳と視線が絡んだ瞬間、今まで背景の一部と化していた自分が
スポットライトに照らされたような新鮮さと
何かが始まるという予感に飲み込まれた。

奇抜な格好と右へ倣わない立ち居振る舞いにより、
誰よりも秀でていると自負する資産家も美しく着飾った婦人も翳ませ、
主役として躍り出た彼女が眩しくも、釘付けになる。

頭のてっぺんからから爪先まで見つめる不躾な眼差しは
彼女にとって幾つも向けられた視線のうちの一つに過ぎなかったのだろう。
そこに特別な関心が込められていると気付かれることはなく。
その後の悶着も静観するばかりだった自分は脇役のまま夜会を終え
夜が明ければいつも通りの日常が戻ってくる、はずだった。


しかし、次の日もその次の日も、まるで退屈な夜会が継続しているかのように
暈けた世界で日常を演じ続ける自分がいた。
きっと無意識のうちに、少女の存在とそれに伴う変化を求めていたのだろう。

そして、鴎外が自身の想いとそれが恋であることに気付いたのは夜会から数日後。
接待のため訪れた料亭で半玉として働く少女と再会を果たした瞬間だった。


「あの子は今夜、先客が入っていてね」
「呼んでやりたいのは山々だけど、馴染みの客であの子を大層気に入ってるもんでさ」
「それは残念だ。芽衣は半玉だからと油断していたよ」
「将来有望ってなもんさ。
なにせ、会って数日であの気難しい泉先生を落としたくらいだからね。
あぁそれに、幾つか身請け話も出てるとか…」
「あら。その話は全部、音奴が断ったんじゃなかった?」
「音奴ったら、あの子を神楽坂一の芸者にするって息巻いてるからね」


鴎外を残して交わされる芸者2人の会話は賑やかだ。
芽衣に会うため、鴎外はここ暫く神楽坂に入り浸っており、
2人ともすっかり顔見知りではあったが、
身内話を聞いて良かったのだろうかと居心地悪くなる。

一方で、とても他人事ではないその話に思うこともあって。
その神妙な面持ちに気付いた2人が「森先生もあの子にご執心なら苦労するよ」
「身請けも考えてみたらどうだい?」などと揶揄したところで
鴎外は冗談として笑い飛ばすことができなかった。


座敷の客としてではあるが芽衣と会って話をして、やはり魅力的な子だと思った。
鹿鳴館での夜に注目を浴びていたのだって
その衣装や振る舞いで悪目立ちをしていただけでなく、
何事にも臆さず、前向きな姿勢が芽衣を輝かせていたからなのだと
今ならはっきり分かる。

記憶喪失になって元居た場所にも帰れないという現状を
悲観することなく打ち明けてくれたかと思えば
一人前の芸者になり、音奴へ恩返しがしたいと
高らかに言ってのける彼女を誰が愛さずにいられるか。
周囲も芽衣の魅力に気付き始めていることに焦りを覚えつつ
鴎外はすっかり酔いが回った料亭を一瞥したのち、踵を返した。



「鴎外さん!」


どこからともなく聞こえてくるお囃子と
それに揺れる行燈が映し出す温かな通りを歩いていると
不意に自分の名を呼ばれたような気がした。

その声というのが、鴎外が何よりも欲している少女のもので。
あまりに必死に自分を呼んでいるように聞こえたため
今宵は酒を飲んでいないが雰囲気に酔ってしまったのだろうかと
都合の良すぎる幻聴を振り払おうとしたのだが
先程よりも鮮明に「鴎外さんっ!」と名を呼ばれ、
今にも転んでしまいそうな危なっかしい足音が近付いてきていると気付いたなら、
疑い半分でも振り返らずにはいられない。


「っ、本当に芽衣かい?」
「え…そうですけど。私、どこかおかしいですか?」
「いや。子リスちゃんがここにいることに驚いてね…
物の怪にでも化かされたのではと疑ってしまったのだよ」


振り返って芽衣の姿を確認しても尚、疑いが晴れず
妙なことを口走る鴎外に対し、芽衣は初々しく紅をさした口元を緩めた。
のちに、どこか照れた表情を浮かべて
先程の座敷が早く切り上げられたところで
鴎外が帰ったばかりであることを知り、追い駆けてきたのだと話す。

走って乱れた呼吸のまま伝えられる言葉が心に溶けていくのを感じながら
芽衣に歩み寄った鴎外は崩れた涅色の髪を整えてやると
「わざわざ追い駆けてきてまで、僕に用があったのかい?」なんて
少し意地悪な質問をする。


「いえ…そういうわけでは」
「ほう。ではなぜ、そんなに必死に走ってきてくれたのだろう」
「…分かりません。ただ、会いたいと思って。
用もないのに大声で呼び止めたりして、すみません」
「何を謝る必要がある。僕は子リスちゃんに会いに来たのだから、
形はどうあれ、こうしてお前に会えて嬉しいのだよ。
何より、子リスちゃんも僕と同じように会いたいと思ってくれたとは
男冥利に尽きるというものだ」


本心を口にしたところで芽衣は大袈裟だと笑うばかりで取り合ってはもらえず。
少しくらい甘い雰囲気になっても良いところなのだがと
落ち込みたくもなるのだけれど、その純真さに安心する自分もいて。
叶うことならば、まだまだ幼い少女の成長を
一番近くで見守っていたいと思ってしまう。

鴎外はそれを可能にする器量を持ち合わせているし、
『身請けも考えてみたらどうだい?』という芸者の言葉を思い返して
本気で考えてしまう自分もいる。


「早くも多くの指名を得て、身請け話も出ているそうだが…
お前はこれから先も、こうして僕に会ってくれるだろうか」
「それこそ大袈裟です。確かに立派な芸者を目指していますが
今の私は半玉どころかお酌さんとしてもやっとなのに…
それに身請けの話だって、ただ私をからかっているだけですよ」
「ふむ…では、僕が本気でお前を身請けしたいと言ったら、どうする?」


途端、むっと表情を曇らせて「またそうやってからかって」と不快を見せる芽衣を
そこから先に続く言葉もろとも抱きしめたなら
彼女は一瞬、身体を強張らせながらも
気丈に「冗談はやめてください」なんて不満をぶつけてくる。

芽衣が相手では隙を狙って取り入ることも叶わない。
鴎外は諦め交じりに抱きしめる力を緩めると、
目の前の小さな肩にこてんと頭をのせる。


「どうして、僕は何もせずにいられたのだろう。
本当はこんなにもお前に貪欲であるというのに…」
「鴎外さん…?」
「鹿鳴館でのあの夜、僕が子リスちゃんを助けていたなら
こんなに気を揉むことはなかったのかもしれない。
これまでの人生の中で、後悔したことがないわけではないが…
後悔の波に飲まれるとはこういう感情をいうのだと初めて知った」


耳元で囁くように口にされる弱音に戸惑っているのか、芽衣は小さく身動ぐ。
そうかと思えば、鴎外の背に回される両手は温かで
砕けてしまいそうな心ごと、優しく包み込んでくれるから
彼女がここにいてくれて良かったと思わせる。


「もし、私が鴎外さんに助けを求めていたら、
今とは全く違った人生になっていたんですね。何だか、想像できないです」


重い空気を変えようとしてか、明るく振る舞い、笑みを零す芽衣に対し、
鴎外は彼女が想像できないという人生を何度、思い描いただろう。
芽衣が生きる今を決して悪く言うつもりはないけれど
自分なら誰よりも芽衣を幸せにできると断言することができる。

勿論、今からでも遅くはないのだがそれを芽衣が望んでくれなければ意味はなく。
どんなに地位や財力を掲げて幸せにすると言ったところで
芽衣の想いは揺らがないから困りものであると同時に
肩書きに構わず、ありのままを見てくれる彼女だから惹かれたこともあって
この行き詰った問題さえ特別に思っている自分が何よりも厄介だ。


「なぁ、芽衣。あの夜、僕がお前の手を引いていたなら、
お前は僕を好きになってくれていただろうか…?」
「ど、どうでしょう…?」
「では、これから先はどうだい?」
「っ、分かるわけないじゃないですか!」


照れを隠すため怒ったふうに答える芽衣にくすりと笑った鴎外は
「僕はね。どちらを選んでも芽衣への想いは変わらなかったと思う」と
過去や未来に散りばめられた幾つもの可能性を見つめながら呟いた。
そして、その言葉に顔を赤くした芽衣を見て思うのだ。
芽衣を好きになって、自分を見てほしいとやきもきするのは
どの道を選んでも変わらない。必然なのだと。

出会いの先には別れか永遠かの2つの結末しかない。
そこに行き着くまで、まだ少し時間が掛かりそうだけれど
彼女の夢のため、遠回りをすると考えれば随分と気が楽だ。


「僕はお前を待ち続けるつもりだ。
だから、子リスちゃんが立派な芸者になった暁には
分からないではなく、お前の気持ちを聞かせてもらうよ」
「鴎外さん…」
「さぁ。そうと決まれば、子リスちゃんを置屋に送っていこう」
「え…でも、鴎外さん、遠回りになりますよね」
「あぁ、望むところだよ」


戸惑う芽衣の手を取って、進んでいたほうとは逆に向かって歩き出す。
その足取りは軽く、芽衣とともに行けば
夜の道もあっという間に抜けてしまう気がした。






End




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