Black×Cat
契(→)市香
契√Chapter2 BADEND



微かな痛みに耐える表情を浮かべたかと思えば
ふと安堵したように微笑んで、その色を失くしてしまった。
まるで摘み取った花が一瞬にして枯れていく様に、自身の残酷さを知った。

一方で警察の敵として相応の報いであると割り切れずにいるのは
アドニスと関わりがあったことも、何も言わず逃げ出そうとしたことも
何らかの事情があったからだと気付いているからだ。
彼女の言葉を何一つ聞けないまま、終わってしまったことが悔しくて、哀しい。


「ねぇ。どうして最期に笑ったの?どうして何も言ってくれなかったの?」


銃声を聞きつけやってきた望田の通報により現場は慌ただしく展開されるも
契だけは答えが返ってくることのない疑問に囚われ、取り残されたまま。
遺体搬送専用車に乗せられ、司法解剖に回されるという当然の流れを
どこか冷たい印象として受け止めながら眺めていた。

けれど、本当に辛い現実と向き合うことになるのはこれからだった。
新宿署に集められた探偵事務所の面々が語ったのは契の想像を超える事実。
警察官とはいえ、一人の少女がある日突然、命の危険にさらされ
警察組織を以てしても実態を掴めずにいたアドニスと対峙させられた。
どんなに怖かっただろう。心細かっただろう。
アドニスを追っていた理由が警察官としてではなく、
個人的なものであったとしてもその結末が死であったことを少なからず憐れんだ。
それは市香だからではなくではなく、命を握られた弱い少女に同情したからだ。


「自分を責めるなよ。岡崎」
「責める、か…正直、心が追い付いてなくてそこまで考えられないんだ」


声を掛けられて漸く自分が署内廊下のベンチに腰掛けていたことを知る。
本来であれば、自分の命惜しさに動いていた市香のことなど
自分が守りたい人間ではかったとして見切りをつけるところだというのに
どうしてこんなにも執着し、次に進むことができずにいるのか。
それはきっと市香が最期に見せた微笑みのせいだと、薄々気づいていた。


「柳さんこそ、俺を責めたいんじゃないの?」
「そうだな…お前と星野との間に接点を作らなければ良かったとは思っている」
「何それ…結局、柳さんは自分自信を責めてるだけじゃない」
「あぁ、そうだ。俺は星野を守る勇気がなかった自分が許せない。
岡崎、お前のことを信じ切れず首輪について黙っていたことも、後悔している」


愛時は誰か一人ではなく、全てを守ろうとしている。
それは決して半端な覚悟ではない。守るべき一人ひとりと向き合い、
それぞれが抱える痛みや苦しみを丸ごと引き受けてしまうような人だ。
そんな彼だからこそ、きっと市香のことを一番理解していたのだと思う。


「市香ちゃんね。死ぬ直前に笑ったんだ。死ぬことなんて何ともないって顔で」
「そうか…」
「死ぬのが怖くてアドニスのことを暴こうとしていたはずなのに…変だよね」


ずっと停滞していた疑問を何の気なしにぶつけてみた。
答えが返ってくれば良いなくらいの気持ちであったはずなのに
それを聞いた愛時はあっさり答えに行き着いたふうで。
そんなことも分からないのかと怒りに近い感情をみせるものだから
契は悔しく思うも、彼の出した答えから目を逸らせなかった。


「確かにあいつは命を握られている現状を恐れていたかもしれない…
だが、何よりも怖かったのは身近な人間が傷ついたり
辛い思いをすることだったんじゃないのか?」
「え…?」
「ある日突然、当たり前にあった日常が壊される。
星野は自分と同じ思いをする人間を増やしたくなかったんだろう」


愛時の話はまるで市香本人から聞いたみたいに心に馴染んだ。
彼女ならアドニスに近付くために自らの危険を侵してでも首輪を調べるだろうし
誰かの為に1人アジトへ乗り込むことも厭わないだろうという推測も否定できず。

警察官だからとか、命を握られた人間だからとかいう枠でしか
市香のことを見ていなかった自分に気付いたなら
ただ、そこに守りたい人たちがいるから平穏を取り戻そうとする
彼女の想いを知ることができる。

やはり彼女は強くて真っ直ぐで優しくて、見込んだ通りの人だったのだ。
死にたくなるくらい悲しい現実だが、安堵する自分もいた。


「市香ちゃんは俺にとって特別な人。俺はそんな彼女を死に追いやったんだ…」
「そうやって悔いて欲しくなかったから、あの時、星野は逃げたんだろう。
署に連行されれば毒殺される。だがそれを拒めばお前に引き金を引かせてしまう。
どちらにしても真実を知った岡崎が傷付いてしまうと思ったから」


逃げ切れるか、契に殺されるか。
そんな賭けに出る前に信じて全てを話して欲しかった。
そう思ったところで、自分がどれほど殺気に満ちた瞳で
彼女を見ていたのかを思い知る。
躊躇いなく引き金を引いた先、撃ち抜かれた足から流れる赤を
平然と見ていた自分を消し去りたくてたまらない。

いや、それだけではない。
市香のことを信じられなかった自分も
真実を話しても聞き入れてもらえないと思わせた自分も
いなければ良かったのに。早く死ねば良かったのに。
契はそんなことを考えながら火薬の匂いが残る銃に触れる。


「市香ちゃんが最期に笑ったのは、
俺に殺されるっていう最悪の結末を免れたからなんだね」


漸く辿り着いた答えだというのに、呟いた声はひどく冷めたものだった。
それを聞いた愛時は否定も肯定もしなかったが、
契には答え合わせなど必要なかった。
例え、否定されたとしてもそれが正しいと思うから。


「死ぬなよ。岡崎」
「死ぬよ。だって、大切な人がいない世界で俺が生きている意味なんてないから」
「あいつはそんなこと望んでない」
「それでも良いよ。市香ちゃんを超える相手はもう見つからないと思うし…
何よりも俺には何も守れないって分かったから」


愛時から市香の想いを聞かなくても、答えが見つからなくても
遅かれ早かれこの決断に至っていたと思う。
だから愛時のせいではないと伝えたなら
彼は「お前が死ぬために生きていたのは知っていた」と苦々しく口を開く。
そして、それを食い止めたくて市香の話をしたのだと言った。


「壊して、逃げ出そうとしている俺が言うのもなんだけどさ。
市香ちゃんや柳さんたちのおかげで、毎日がすごく楽しかったんだ。
こんな日々が続けばなーって思うくらい。だから、ありがとう」
「俺は許さないからな」
「うん…どんな形でも良いから、たまに俺のことを思い出してくれたら嬉しいな。
すぐに忘れ去られちゃうのは、やっぱり寂しいから」


本気で怒っている愛時とは対照的に、契の言葉に感情の一つも感じられなかった。
「それじゃぁね」そんな言葉とともに立ち上がり、
ひらりと手を振って歩き出すだけの別れは
またすぐに会えると思わせるほど呆気ないものだったが
その後、契が新宿署にも事務所にも現れることはなく。
主を失った猫は、ひっそりと姿を消してしまったのだった。






End



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