Gray×World
契→市香
他√ 12月


はぁっと白い息を吐き出して空を見上げた。
空虚な瞳に映るのは分厚い雲とそこから舞い落ちる白い雪。
降り始めたばかりの雪は儚く。地面に落ちては消えてゆく。
その様を契はぼんやりと眺めるばかり。
綺麗だとか悲しいとか冷たいとか、特に感じるものはなく。
瞳に光を灯すこともなかった。


「岡崎さん?」


ふと聞こえてきた声は雪のようにふわりと手の平に落ちた。
けれどそれは溶けることなく、心をじんわり温かくするから
契は柔らな笑みを浮かべ声のした方へ向き直ると
「市香ちゃん」そう弾むような調子でそこにいる彼女の名を呼んだ。


「こんな寒い中、護衛ですか?」


護衛ではなく監視だと知っているはずの彼女だというのに
その表情にはなぜか心配が浮かんでいて。
見慣れた制服ではなくキャメル色のコートと
少し長めの赤色のマフラーを身に纏った姿と合わせて、
新鮮に感じた契は瞬きを繰り返す。


「そんな薄着で外にいたら風邪をひきますよ?」
「え…心配してくれるの?」
「当たり前です。岡崎さんはSPで、身体を鍛えているし、
外での護衛にも慣れているかもしれませんけど…」


それでも気になります、そうはっきり言い切った市香はやっぱり不思議な子だ。
今まで数多くの職務を熟してきたが、
護衛対象となるのは護られることを当然とする要人ばかり。
こうして同じ目線で話しかけてくれる人なんていなかったし
ましてやこの身を案じてくれる者はいなかった。

現在の護衛、もとい監視対象である事務所の皆もそうだ。
契自身は彼らを好いていたし、興味もあったけれど
向こうが距離を縮めてくれることはなく。
迷惑に思われていることだって伝わっていた。

新たに仲間として加わった市香を中心に
事務所で楽しそうに会話をしているのを外で独り聞いていると
羨ましく思うこともあって。


「ありがとう。僕を心配してくれるのは市香ちゃんくらいだよ」
「そんなことないですよ。
柳さんも他の皆さんも、岡崎さんのことを大切に思っています。
岡崎さんが姿を見せない日は落ち着かないみたいですし
何かあった時、岡崎さんは頼りになるって信じています」


早口で強引に押し付けるようなそれ。
だけど、雪のようにふわふわとしていて、くすぐったくなる。
彼女の言ったことが真実か、そうでないかは関係なく。
ただ自分のために必死になってくれることが特別だった。


「柳さんたちのことは置いておくとして…
少なくとも市香ちゃんはそう思ってくれているんだ」


そんなことを言って、猫のような飄々とした足取りで近付いたなら
彼女は戸惑ってしまったようだが次の瞬間には表情を険しくし
「岡崎さんは自分が大切に想われていることに気付くべきです」そう言って
自ら顔を寄せてくるから、その距離の近さに今度は契が戸惑いをみせた。


「あの、市香ちゃん?」
「っ。すみません。むきになってしまって…」


はっと我に返って距離を取る彼女に
契は少し残念な気持ちになるもその表情は穏やかだった。
「ありがとう」という言葉が知らぬうちに零れて口元に笑みを咲かす。
それを見た市香もつられて微笑みを浮かべたかと思えば
何か良いことを思いついたといわんばかりの表情で
徐に首に巻いていたマフラーを外し始めた。


「え?これって…」
「使ってください」


どう見たって市香のほうが寒そうにしているというのに
どうしてこんな状況になっているのか。
契は自らの首に巻かれたマフラーに触れながら困り顔を浮かべる。

赤くて長いふわふわのそれはSPという仕事をするには
目立ちすぎるし、俊敏な動きの邪魔になってしまう。
けれど、契がその温もりを手放すことはなく。
彼女がくれたものを大切にしたいと思った。
その言葉も温もりも、眼差しも、全てが欲しいと望んでしまったのだ。


「それじゃ。私、もう行きますね」


だけど唯一、別れの言葉はほしくなかったな。
そんなことを思ってみても彼女を引き留める術を持ち合わせていない契は
遠ざかっていく市香を見送ることしかできなくて。
寂しいとか、もっと一緒にいたいとか、幾つもの感情が駆け巡る。
そしてそれを煽るように2人の間を吹き抜ける風がひどく冷たく感じられた。

この世界にこんなに沢山の感情の種が散らばっているなんて知らなかった。
自分はあとどれほどの感情に出会えるのだろうか。
そんなことを考えて、ふと恐怖に支配される。

こんな気持ちのまま死にたくないな、そう思って見上げた空は
先程と変わらぬ色だったけれど、初めて美しいと感じることができた。






End



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