Sakura×Chapter
契→市香
エイプリルフールネタ



初めて彼女に出会ったのは新宿駅前。
心から守りたい人を見けて価値のある死を迎えたい。
そんなことを考えながら目まぐるしい日々の中を漂っていた契は
幾つもの可能性が散らばる雑踏の中をつまらなそうな表情で歩いていた。

この人波に運命の人がいたとして自分はその人を見つけられるだろうか。
自分の探している相手が男か女か、若いのか老いているのか、敵か味方か
何一つ定まっていないそれに何だか泣きたくなったりもして。

そんな重く沈んだ心に淡く溶け込んだのが彼女の歌声で。
目を見て話をして、手を繋いで、笑ったり泣いたり、
当たり前のことができなくなることへの悲しみを綴ったその歌は
生きていたら楽しいことが沢山ある
大切な人のためを想うなら一緒に生きたいと望んでという言葉で締め括られた。

頬を強く叩かれたような衝撃を与える歌詞と
優しく寄り添う歌声に導かれて見上げた先にあったのは大型街頭ビジョン。
そこに映し出された彼女の姿に一瞬で心奪われる。


「星野市香…」


大きく映し出された映像では現在売り出し中と紹介された『えんじぇるぽりす』
活動拠点であるこの新宿であってもその歌声に注目する者はいない。
けれど、契は気付いてしまった。彼女の歌は人々に輝きを与えることができると。

契の中にあった特別な人のために死にたいという願いは
あっという間に別の願いに塗り替えられた。
彼女に会いたい、そう想って訪れた小さなライブで彼女に魅了され
彼女に触れたい、そう欲張って参加した握手会で恋に気付いた。
そうして日々成長していく彼女の姿と、自分の想いに
自分の人生をかけて応援したいと願うようになる。

えんじぇるぽりすのCDがオリコンに入ったなら自分のことのように喜んで
彼女がテレビ番組に出演する機会が増えたなら、
上手くいきますようにと祈りながら画面越しに見守った。

彼女が世間に認められ、彼女を目にする機会も増えていく。
有名になる前からのファンとして嬉しいはずだというのに
ふとした時に感じる彼女が遠い存在になっていく恐怖。
星野市香が初主演の映画で『カラマリィ賞』にノミネートされたと知っても
喜ぶことができなかったときは自己嫌悪に襲われた。
そんな時に専属SSの市香に関するツイートを目にしたものだから
本気でSPを辞めて彼女を護ることに徹底したいと思ったのだ。


「なのに、何でここにいるんだろう…」
「ん?先輩、どうかしたんっスか」
「ん〜。まぁ、吉成君のためじゃないことは確かだよね」
「なんすか、それ。全く理解できないのに傷付けられたような気になるんすけど」


吉成ならば自分がいなくなっても何とかやっていけるだろう。
では何が引っ掛かっているのかと考えたところで頭の中は靄がかかったまま。
溜息一つ吐いた契は怪訝な表情を浮かべた吉成に
「後は任せるね」と有無を言わせぬ笑顔を添えて告げて、軽く手を振り歩き出す。
後ろから慌てた声が呼び止めてくるけれど聞こえないふり。

薄暗い路地を抜けた先は契には何の意味も持たない雑踏。
音も色も形も、全てが同じに見える新宿の街を当てもなく歩いて。
ふと立ち止まって見上げた空に彼女も同じ空の下にいるかと考えてみたりする。

遠く澄んだ青を見つめていると彼女の旋律が聞こえてくるよう。
柔らな風は前奏となって胸を高鳴らせるから、そっと目を閉じ耳を澄ませる。
そうすれば本当に彼女の淡い歌が聞こえてくるから、
契は人込みを360度ぐるりと見渡してその姿を探す。
刹那、強い風が吹き抜けて灰色のフードを攫うと栗色の長い髪を揺らした。


「本当に、見つけた…」


まるで花が咲いたみたいにくしゃりと顔を綻ばせて呟いた。
疑いも疑問も一切持たず。ただ、色付いていく現実を噛み締めて
今にも泣きだしそうな笑顔を浮かべた契は一歩、また一歩と彼女に近付いていく。

対する彼女は契のことなど眼中にないまま。
ざわつく周囲に慌て、脱げたフードを被り直そうとしている。

そんな2人を遮るように彼女を知る人々が押し寄せてくるから
漸く出会えたというのにあっという間に引き離されて。
遠ざかっていく姿に手を伸ばそうとしたところで諦めが掠める。
けれども一瞬、観衆の隙間を縫って彼女がこちらを見た気がして
引っ込めた手で拳を握るとすぐさま駆けだした。


「市香ちゃん。こっち!」


掴んだ腕の細さに驚いた。
このまま引っ張ったら折れてしまうのではないかと不安になるも
次の瞬間、市香が進んで付いてきてくれたことを感じたなら、迷いは暈ける。
背後に感じる弾んだ息と危なっかしい足音に足を止めないまま振り返れば
確かにずっと想い焦がれていた彼女がいて。
画面越しでは感じられない柔らな温もりや甘い香りが契を現実に引き込んだ。


「ここまで来れば、大丈夫かな…」


本当はずっと手を取って走り続けていたかったけれど
息切れし始めた彼女を思って足を止めたのは人通りのない裏通り。
汗一つかいていない契は余裕もって振り返るも
そこにいる市香の姿に途端に鼓動が速くなり、呼吸も乱れる。
対して、荒れた呼吸を整えた彼女は改めてこちらに視線を向けてくるから
全身を巡る熱に契は冷静を取り戻すことを諦めた。


「あの…ありがとうございました」


契がどんな目で、どんな想いで見ているかも知らないで
彼女は真っ直ぐな瞳でお礼を言う。
契にとっては人生において掛け替えのない人でも
市香にとっては初めましての恩人だ。
このまま「さようなら」と言い合って別れることになる。


「…ぃ、ん、ですよね?」


画面を超えて出会えたところで
すぐに現実に引き戻されてしまうのだろうと予想して
何かに耐えるように視線を伏せる契だったが
次に聞こえてきた声は全く別の言葉を紡いだから、思わず顔を上げた。


「え…?」
「そのバッチをみてSPなのかなって思ったんですけど…違いましたか?」
「うん、そうだけど。どうして…?」
「実は私、警察官に憧れていて。それなりに知識もあるんですよ」


どこか得意げに話す市香の瞳は相変わらず真っ直ぐで、輝いていて。
そんな彼女を見るために自分がSPであり続けたのだとさえ思えてくる。

本当は君だけを守りたいのだと伝えたら、彼女はどんな顔をするだろう。
悲しむのか、怒るのか、それとも何も言わずに去ってしまうのか。
きっと喜ぶことはないと分かるから、その想いに鍵を掛ければ
もう少し彼女の憧れる警察官として頑張ろうかなと吹っ切ることもできる。


「今もお仕事中ですか?もしそうなら私、邪魔しましたよね…」
「ちが、くはないけど…今は超絶信頼を寄せてる後輩が
警護してくれているから、僕の身体は空いてるんだ」
「そうなんですか?」
「うん、だから…だから、少しの間だけ君を守らせてくれる?」


どうしてそんな話になるのか、よく分からないといった様子の市香に
契は困ったふうに微笑んで脱げたままになっていたフードを被せてやると
「有名人が1人でいたら、みんなビックリするよ」と
内緒話をするかのように囁いた。


「っ、それは…」
「うん。行きたいところがあるんだよね」
「…はい」
「じゃあ、それに付き合わせて」


邪心のない笑顔と胸元のSPバッジを見比べて
本当に良いのだろうかと悩みを見せていた彼女だが
それから間を置かずして「それじゃ、お言葉に甘えて」という答えを出す。

市香にとってその決断は夕食は何を食べようか、服は何を着ようか、
そんな些細なものだったのかもしれないけれど
契は彼女の悩む姿にひどく緊張したし、出された答えにひどく喜んだ。


「それじゃ、行こうか」
「っ、何で。手を…?」
「ん?だって、このほうが守りやすいし。恋人っぽくて怪しまれないでしょ?」


強く繋いだ手を引いて歩き出せば、彼女は戸惑いながらも付いてきてくれる。
2人を引き離そうと強い風が吹き抜けるけれど
決して繋いだ手が解かれることはない。


「そういえば、私…あなたの名前を聞いていません」
「あ、そっか…僕は岡崎契。警察官で、SPで…ただの君のファンだよ」


それだけ知っていてくれたら良い。
今日を最後に二度と会えないとしても、すぐに忘れ去られたとしても
自分は変わらずに彼女のファンであり続けるし
彼女の憧れる警察官であり続けると、決めたから。






End



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