スティグマの隠蓑
隼人→←ツグミ
BAD「消えることのない炎」



水底から浮上するみたいに意識が自分の身体に戻っていく。
瞼を通してでも伝わる光や自分のよく知る暖かな空気。
少し身体を動かせば耳に触れるシーツの擦れる音は、更に覚醒を促すよう。

今まで見ていた幸せな世界を長い夢だと認識したツグミは
そこから眠りに落ちる前の現実まで記憶を一気に巻き戻し、
炎の眩しさと熱さが蘇ってきたところで強い衝撃を受けて飛び起きた。


「っ、ヒタキ!」


叫び出したその声は自分が思っていたよりもずっと枯れていた。
使われていなかった機械みたいにぎしぎしと軋む身体をどうにか起こし、
見渡した世界は目の奥が痛くなるくらい光に溢れていて。
長い時間を過ごした自分の部屋であるはずなのに居心地の悪さを感じてしまう。
そんな中、ノックもなしに部屋に飛び込んできた恋人と視線が絡み、
「ツグミ!目が覚めた、のか…!」とひどく驚いた声を耳にした瞬間、
ツグミは漸く此処が自分の世界であるという確証を得ることができた。

ツグミの声を聞いて慌てて駆けつけてきたらしい彼は
目の前の光景を壊さぬよう慎重な足取りで歩みを進めると
これが現実か確認するようにツグミの頬へ手を伸ばす。
おずおずと触れる指先は輪郭に沿って動き、
そのくすぐったさにツグミ自身も現実を示されたような気になりつつも
相変わらず動かしにくい身体に違和感は拭えないまま。
「ねぇ、隼人。あれから私たちはどうなったの?ヒタキは無事なのよね?」と
いくつもある疑問の中から2つを投げかけてみる。

すると隼人は言い難そうに目を伏せるから途端に怖くなったツグミは
頬に触れていた彼の手を掴んで更に問い質す。
ツグミにとって何よりも心配だったのはヒタキのことだったのだが
それについて隼人は案外簡単に彼の無事を教えてくれた。

その答えに他のことがどうでも良くなるくらい安堵するツグミとは対照的に
隼人の表情は険しくなる一方で。
そんな彼に笑ってほしくてツグミのほうから笑顔を見せようとしたところで
ふと自分の口角が上手く持ち上がらないことに気付く。
唇だけじゃない。頬も目元も眉も、
糊で貼り付けたみたいに引き攣って上手く動かせない。
今更ながら自分の発する言葉も寝起きだからとするにはあまりに拙かった。


「ねぇ、隼人…私はそんなにひどい状態なの?」


自分の手に残る赤黒く引き攣った火傷の跡を見て
炎に飲み込まれた瞬間の眩しさと熱、痛みと恐怖が蘇る。
今は熱も痛みも消えてなくなり、赤黒いそれに触れてみれば
正常な皮膚と完全にくっ付いて既に自身の一部となっている。
全ては過去の出来事とするそれらが
今以上に傷が良くなることはないと示してくるようで
怖くなったツグミは自分の顔に両手を添えた。


「鏡を、見せて…」


唐突に何を言い出すのだと笑って、
何事もなく鏡を見せてくれることを期待していたのだと思う。
そうして見た鏡の中の自分はいつも通りの自分で
杞憂だったと笑えたならそれで良かったのだ。
それなのに隼人は分りやすく顔を強張らせ口籠ってしまうから、
ツグミの中で予感が確信に変わってく。


「出て行って…」
「ツグミ…俺は」
「お願い。今は誰とも会いたくないの」


酷いことを言っている自覚はあった。
目覚めた先に隼人がいて、傍にいてくれようとしてくれている
それだけで十分すぎるほど幸せで感謝すべきだというのに
突き放すようなことを言うなんてバカだと思う。

それでも、好きな人には少しでも良く見せたいと思うもので。
ツグミは「ごめんなさい…」と弱々しく謝ると布団を頭まで被って丸まった。


「俺はずっとツグミに会いたかった。目覚めていなくても構わない、
今までと違う姿であっても変わらない。だから、毎日のようにこの屋敷に来てた」


布団の向こうから聞こえてくる声に耳を傾けるため身体を動かした拍子に
ざわりとシーツが擦れる音を立ててしまい、思わず身体を強張らせる。
隼人が愛する久世ツグミはここにはいないと今の自分を否定したくて
小さく丸まったまま、呼吸も鼓動も止めてしまいたかった。


「だけど本当はお前の声が聞きたい、その瞳に俺を映してほしいって願ってた。
それが叶った今…心から喜んでいるし、もう二度とお前を失いたくないと思う」


それは隼人の前から消えたいとするツグミの想いとは相容れない願い。
ツグミだって彼の気持ちが理解できないわけではなかったし
きっと逆の立場だったら彼と同じことを願っていただろう。
分かってはいるけれど、ボロボロに傷付いて
羽を失くした自分は彼の隣を飛ぶことなんてできない。
周りの目だってあるし、何よりも自分がそれを許せなかった。


「もう、私のことは忘れて…」
「っ。何言ってんだよ…ずっと想っていたお前のこと忘れられるわけないだろ!」
「私はあなたの比翼の鳥になれない。忘れたほうが隼人の為よ」
「お前は全然分かってくれてない…
だいたい、俺のことばっかりでお前はどうするつもりなんだよ」


少し怒ったようなその声に心が震え、言葉が詰まった。
叶うなら幸せだった夢の中に戻りたいけれど
現実を知った今となってはそれも悲しいだけの世界。
同じ逃げるなら悲しみも喜びも何もない場所に行こうかと考えたところで
ふと頭を過ったのは妹の話をする隼人の悲しげな顔だった。

本当は顔を合わせることが怖くてたまらない。
それでも、彼を悲しませていたらと考えると不安で
ツグミはおずおずと布団から顔を覗かせてみる。
そうして見えた隼人の表情は見ているこちらも苦しくなるくらい痛々しいもので。
視線が絡んだ瞬間に見せたぎこちない作り笑顔と合わせて、胸を締め付ける。

お互いが泣くのを我慢することに耐え切れなくなっていた頃、
「ごめん…」と呟いたのは隼人だった。
最初、何を謝られているのか分からなかったツグミだが
捲っていた布団を掛け直しその上から頭を撫でてくれる彼の優しさに触れた瞬間
隼人から逃げることはできないし、したくないという答えに行き着く。


「お前がここにいてくれさえすれば、俺はそれだけでいいから…
誰にも会いたくないなら、この部屋に閉じこもっていればいい。
俺に顔を見せたくないなら、こうして隠れていればいい」


だから、死ぬな。と彼は必死に伝えてくる。
鳥籠の中で温かな殻に守られて生きるということは
辛いことも悲しいこともない代わりに
新しい世界も空の色も知ることができなくなる。
とても異様なことだがそれは以前の生活に戻るだけの話だと自分に言い聞かせ、
ツグミは飼われて生きていくことを選んだ。








End



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