リアリストの反覆
隼人→ツグミ
本編前



それはフクロウでの勤めにも慣れ、休日を心置きなく過ごす余裕もできた頃。
亜米利加で買い漁った洋書と珈琲を楽しんでいた隼人に父から一本の電話が届く。

『久しぶりに2人で食事でもしないか?』

とても一ヶ月先まで予定で埋まっている男とは思えない気軽な誘いであったが
その声音から大事な話があるのだろうと察しがつく。
彼によく似た自分が言うのもなんだが真っ直ぐで嘘のつけない男だから
食事をしながらなんて改まらずとも電話口で問い質せば話してくれただろうが
彼の言う通り、久しぶりに親子水入らずで食事も悪くない。
そう思った隼人は快く承諾したのだった。


のちに2人が待ち合わせたのは小洒落た洋食店。
この店で初めて食べたオムライスに感動し
妹と揃って大好物になったことは今ではもう遠い昔の記憶。
それを思い出すことを恐れ、事件以来遠ざけていたけれど
久しぶりに訪れると変わらぬ味にほっとする自分がいた。
一方で、世間では洋食店に行くのがハイカラだとされるようになり
路地裏にひっそりとあったこの店も随分と繁盛したなと
昼時を過ぎても座席の殆どが埋まった店内を見回して思う。


「久しぶりだな、隼人」
「前置きは良いよ。何か話があるんだろ?」


周囲が慣れないフォークとナイフに悪戦苦闘する中で
そのテーブルだけはまるで高級レストランを思わせる様相だった。
流行に敏感な婦女子が多く集まっているということもあり
眉目秀麗な隼人と、そんな彼に似たダンディという言葉が似合う中年男性に
色めき立つ声が目立つが、本人たちは我関せず。
早速、本題に入ろうとしていた。


「隼人。お前は今、好い人はいるのか?」
「…いるよ」


隼人の父は昔から放任主義で、亜米利加への留学もフクロウへの就職も
反対はおろか真面に話を聞くこともなく、頑張れと背中を押したくらいだ。
そんな彼から恋愛の話を振られるとは思ってもみなかった隼人は驚くと同時に
その意図に緊張を走らせる。


「まさか、見合いをしろなんて言わないよな?」
「そのまさかだ。縁談の話があってな…
だが、お前に好い人がいるのなら構わない。相手方にはそう伝えよう」


経済的な都合や家柄の問題を解決するために
親族が決めた者同士で結婚するというのはよくある話だが
八代家は窮境に立たされているわけでもなければ
どうしても爵位が欲しいわけでもない。

余程良いお嬢さんが相手なのだろうかと考えてはみたけれど
その割に強く推すこともせず。寧ろ隼人の答えによって
今回の縁談話は破談になるだろうと確信し喜んでいるようであった。


「一目会ってみろ、とは言わないのか」
「強制しても仕方ないだろう…
それに相手方に会ってお前が一目惚れでもしたら困る」
「やっぱり最初から断るつもりだったわけか」
「こちらとしては申し分ないお嬢さんではあるが
こういったことはお互いの気持ちが大事だ」


なんとも彼らしい考えではあるが
本当にそれで良いのだろうかと隼人は目を伏せる。
勿論、どんなに説得されたところで
名前も顔も知らない女性と結婚するつもりはなかったし
ずっと前から恋い焦がれ、どうしても欲しいと望む女性がいる限り心は動かない。

とはいえ、2人の運命が絡むことがなかったとしたら
自分は彼女以外の女性を隣に置き、退屈な道を歩くだけの人生となるだろう。
父の会社を継ぐことは考えてはいないけれど
八代の名を守りたいという想いが少なからずある隼人にとって
今回の縁談話は現実を突き付けてくるようであった。


「縁談を断って大丈夫なのか?」
「あぁ。元々はこちらが好意で援助を申し出たんだ。
ただ、向こうは何の担保もなく融資を受け入れられないと頑なでな」
「だけど、緊迫した状況で娘以外に差し出せるものがなかった、と?」
「まぁそういうことだ。同じ親として、こんなに辛いことはないだろう」


隼人のほうが断ったとすれば縁談話はなくなれど
融資の話を受け入れてもらえるよう持っていくことはできる。
「お前を悪者にしたいわけではないが、これで説得しやすくなった」と
心底安堵した様子の父ではあるが、
きっとこうなることは端から分かっていたはずだ。

忙しいはずだというのに、わざわざ食事に誘ってまで
茶番を演じなくても良かったのではないだろうかとジト目を向けたなら
父は僅かなミスも許されないといった表情で
「俺はどうしても久世家を救いたいんだよ」そう言った。

そして、そんな父の言葉に隼人は透かさず口を開く。
「久世?」と零れた声は、緊張で掠れたようだった。


「親父、久世って。それって…」
「ん?あぁ、お前も知っていたのか。
尾羽を打ち枯らしているとはいえ華族家の一つだからな」
「いや…そうじゃなくて。もしかして、今回の縁談の相手って」


答えを聞くことを急いているような、恐れて躊躇っているような。
珍しくはっきりしない隼人に父は眉を寄せつつ
今回の縁談相手であり、隼人の想い人の名を口にする。

久世ツグミ、隼人が初めてその名を聞いたのは
同じく公園の姫に憧れていた男からだった。
残念ながら彼は本を読むのに影になるからと
目の前に立った時点で追い払われてしまったそうで。
隼人はその話を聞いて益々、久世ツグミという女性に興味を持ったのだ。

そして今回、まさかこの場で彼女の名を聞くことになるとは思わず。
これは運命であると確信した。


「あのさ、親父。俺、久世ツグミさんに会うよ」
「何を急に?」
「さっき言った俺の好きな人って、彼女なんだ」


誤魔化すことなく告げたなら破談を望む父はやはり渋い顔をしたけれど
隼人は臆さず、父の金で手に入れるつもりはないことを明言する。
彼女の想いを無視して結婚したいとか、
家庭に閉じ込めたいとか、そんなことを望んでいるわけではなく。
彼女には自由に羽ばたいていてもらいたいし、
願わくば比翼の鳥として同じ空を飛びたい。


「親父がいつも言ってるだろ。好機を逃すな、鉄は熱いうちに打てって。
俺はこれまで何度もチャンスを逃して、死ぬほど後悔した。
だから今度こそ、彼女と向き合いたいんだ」
「…」
「彼女が俺のことを良く思っていないって理解した上で
好きになってもらえるよう努力する。彼女の気持ちを無視するつもりもない。
だから、親父に認めて欲しい」


自分の中にこんなにも熱い想いがあるなんて知らなかった。
ずっと押さえ込んでいたそれは溢れるばかりなのに上手く言葉に出来なくて。
気が付けば走った後みたいに呼吸が乱れていた。

そんな隼人を父は物珍しげに見ていたかと思えば、不意に諦めの滲んだ息を吐く。
周りの意見には流されず、自分の思った通りに進んでいく。
そのくせ失敗という言葉に縁遠く、数々の成功を収めてきた父であるから
今回初めて算段が崩れてしまい少々悔しそうにしてはいるものの
その表情は穏やかだった。


「これまで親らしいことをしてやれなかったからな。
お前のために食事の場くらいは用意しよう。だが、その先は自分で頑張るんだぞ」
「あぁ、分かってるよ」
「それにしても、まさかこんな展開になるとは…
運命を前にしてはいくら私でも抗う術を失くしてしまうな」


運命なんてカタチのないものに
縋ったことがなければ信じたこともなかったけれど、
その視えない何かにはきっと人を動かす力があるのだろう。

現実主義者が惑わされた運命は実に不確かで先が見えない。
けれど、隼人は流されてばかりでいるつもりもなく。
欲しいものは自分の力で手に入れる。
そのために運命を信じ、寄り添うことにしたのだった。







End



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