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「アンタ……海賊だろう?」
「――!」
エースは立ち上がり、ドクターの背中を凝視する。
「昨夜の騒ぎで海軍が呼ばれとるよ。ログが貯まっているなら島を出た方がいい」
そう云うと、再び老眼鏡を掛けて机の書類に目を向けた。
「じいさん……!」
わずかに警戒を張ったエースだったが、“カタギではない者”への気遣いと云うのか、心得ている言葉に安堵と感謝の笑みを浮かべた。
「んん、医者としては安静に、ゆっくりリハビリして欲しいがな。あるいは海の上の方が安全かもしれん」
書類に何かを書き込んだドクターは、脇で待っていた看護婦に手渡す。看護婦は足早に奥の部屋へ入っていった。
それを見送り、老眼鏡を机に置くと、後ろにある診療台を向いた。キィ、と椅子が音を立てる。
白い診療台には◆が力なく座って、全てが終わるのを待っていた。
「――お嬢さん」
声を掛けられた◆は、ふ、と顔を上げる。昨日から今の治療に至るまでの事に疲れきっていて、はい、と云う声が掠れた。
「アンタもカタギかどうかは分からんが、せっかくの美人さんなんだ。もっと自分を大事にしなきゃァもったいないよ」
◆の怪我の経緯を知っているかのように――否、気付いたのかもしれない。
「そうそう、おれもそう思うよ」
エースは腕を組み、ウンウンと頷いた。その後ろの部屋から看護婦が小さな紙袋を抱えて出てきた。処方箋も揃ったらしい。
「……朝早くから、治療を……ありがとうございました」
看護婦、ドクター、床、と視線を移した◆はポツリと呟くように云った。
「んん」
ドクターは◆の頭にポンと手を置き、ニッコリ笑った。
二人が診療所を出たのは、やっと町が起き出そうとしている頃だった。が、相変わらず人影は少ないし、ここへ来る時に人通りが無い道を確認していた為、帰りは焦る事もないとエースは判断した。
行きと同じく、◆はエースに負ぶされていた。診療台へ背を向けてしゃがんだエースに、少し躊躇した◆だったが、ドクターに無理しちゃいかんと云われ、渋々シャツを引っ掛けただけのその背中に身を預けたのだ。
てくてく、とのんびり歩くエースの背は温かく、秋島の早朝でも肌寒さは感じない。
「……」
診療所を出てから二人ともに無言だった。エースは黙々と歩くのではなく、時折右、左と顔を向けて、人の通りを確認しているように見えた。そんな彼の、少し跳ねた襟足を見つめ、◆は意を決したように唇を引き結ぶ。
「――エース」
ずっと声を出していなかったので、それは小さく掠れたものになった。
「ん?」
しかしエースには聞こえていたらしい。あまり◆に名前を呼ばれた事が無いのもあるだろう。
「…………」
声を掛けたものの、次に云う言葉が出てこず、そんな様子に首を傾げたエースが肩越しに◆を見る。
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