哲学の昼下がり
 午前中に一戦あり、いつもより賑やかだった昼食を終えての昼下がり。
 クルー達はここがグランドラインだと云う事も忘れて、のどかな時間を甲板で過ごしている。
「あー居た、船長」
 シガーマストの上から探していた相手を見つけた◆は、身軽に甲板に着地する。
 ホーキンスは甲板に置かれた木箱に腰掛け、何かに集中していて振り返らない――それはいつもの事である。
「パンプキンパイは焼けたか」
 そろそろおやつの時間だと思ったのか、そんな言葉が返ってくる。
「まだじゃないですか? って云うかまだお昼食べたばっかな気が……」
 ホーキンスの隣にあった荷物の上に座りつつ、肩をすくめた◆の目にホーキンスの持つ分厚い本が留まった。
 一心不乱にその本を読んでいる様子は、いつもカードを切ってペタペタやっている姿からしたら不思議な光景である。
「そんな必死に何を読んでるんです?」
 どうせ占術か、魔術の類のものだろうと、◆はその本を覗き込む。
「先の島で立ち寄った本屋で気になってな。だが“この分野”はなかなか難しい」
 少し疲れたように目頭を摘まんだホーキンスは、そう云うとパタリと本を閉じる。
「なになに……本のタイトルは――」
「“恋愛哲学〜あの娘を虜にさせる秘密の振る舞い”だな」
「……はい?」
 耳を疑うタイトルだったが、本の表紙には間違いなくそう書いてあった。
 目を点にした◆は硬直して瞬きを繰り返すが、ホーキンスはお構いなしに自分の膝に頬杖をついて海を眺める。
「“恋愛”と云うものはよく解らない。“相”もあてにならん。さすがのおれもお手上げだ」
 どうしたものか、と溜め息を吐くホーキンスに、◆は何とか顔を上げた。
「あ、の、“恋愛”って。船長、好きなコでも居るんですか……?」
 ◆は僅かに目を伏せながら、“恋愛哲学書”を撫でる。
「ああ」
 何と、さも当たり前のようにホーキンスが答えるので、否定して欲しいと思っていた◆は、自分の表情を知られたくなくて、そのまま俯いた。
「へえー……船長に好いてもらえるなんて幸せな人ー……」
「……そうだろうか」
 ホーキンスに似合わず、少し自信なさげな声色に、◆は思わず目を細める。
「そうですよ。だって……強いし、カッコイイし、オシャレだし。海賊だけど無益な殺生はしないし、いつも冷静沈着でドンと構えてて。占いだってすっごく当たるし――」
 普段は憎まれ口をつい叩いてしまう自分の口が、不思議と今は素直に声を上げる。
 自分が“そう”なのだから幾らでも云える――ホーキンスの好きなところを挙げていくと“その気持ち”で胸がいっぱいになり、何故か嬉しくなってしまう。
「何考えてるか分からない所もあるけど、やっぱり信頼出来る、優しい素敵な船長ですもん!」
 だからきっと上手くいきますよ! と、云おうとして顔を上げた◆だったが、目の前に居たその“素敵な船長”は、いつもの彼とは少し違っていた。
 顔を赤くしたホーキンスは口を手で覆い、困ったように目をキョロキョロと動かしている。無表情に名前を付けただけの彼だが、今はかなり動揺しているように見えた。
「ど、どうしたんです? ホーキンス船長」
「いや、何でも……無いわけではないが……」
 頭の上に「?」を浮かべる◆は、眉間に皺を寄せた。
「何ですかもう! シャッキリして下さいよっ。好きな子居るんでしょ、そんな本読まなくたって船長は充分その子を虜に出来るって云ってるんですよ!? ホラ、頑張って!」
 苦しいのに何故か応援している。けれど、こんな風に云えてしまう自分に笑ってしまう。
 ◆に肩をバシバシ叩かれたホーキンスは、なんとか普段の無表情を取り戻したが、その中には酷く困惑した表情が混じっている。
 それを誤魔化したいのか、おもむろにいつものカードを懐から取り出す。
「……おれは、恋愛と云うものは苦手だ」
 黒い手袋をはめた手が、ゆっくりとカードを切っていくのを見ていると、そんな声が落ちてくる。
「だから、この本に書いてあった事をその通りに、今から実践するとする」
「は、はあ」
 どうぞ? と◆は首を傾げたが、カードを弄る手が止まったのでホーキンスの顔を見上げた。
 ホーキンスも◆の方をじっと見つめる。
「おれは、お前の事が好きだ」
(船長のまゆげってどうなってるんだろ、これはタトゥーなのだろうか……)
「――へっ?」
「変だな。本には“相手の目をじっと見つめて想いを伝えれば、即アナタの虜”と書いてあるのだが……お前には効果が無いのか、この本が紛い物か」
 そう云ってホーキンスは本に興味を失くしたのか、カードをペタペタやり出した。その隣で◆は高速まばたきをしつつ、今しがたの言葉を反芻してみる。
「……あの。そ、その本で虜にしたいと思っていた人って……ひょっとすると……わっ私……ですか?」
「ああ。だが、どうやら上手くいかなかったようだ」
 ◆は、時間も波の流れも何もかも遠くなった気がして、ただ目の前に居る男を見つめた。
 ホーキンスはと云うと「今日の運気は良かった筈なんだが」と、ブツブツ呟いている。
「ッ――!!」
 やっと理解した瞬間、◆は一気に顔が赤くなるのを感じた。が、そんな事この際どうでもいい。もう伝えていいのだ。我慢していた気持ちを抑えるものは何も無い。
「船長っ! 私、あの」
「おーい、おやつの時間だぞー! 今日の運気アップおやつ、パンプキンパイが焼けたぞー!」
 ◆の言葉を遮るように、コックが船室から顔を出しながら叫んだ。
 甲板でのんびりしていたクルー達が我先にと、食堂へ駆けこんで行くのが見える。
「おれも冷めない内に食いに行こう。冷めたものを食うと30%運気が下がる」
 あ、と思った時には、ホーキンスは既に腰を上げて歩き出してしまっていた。
 引き留めようか、どうしようとそこから動けないでいると、ついて来ない事に気付いたのかホーキンスが振り向く。
「パイが冷めるぞ」
 人に好きとか云っておいて、今はもう頭の事がパンプキンパイに切り替えられているところ、うちの船長は天然だ――いや、あんな本を買っている時点でおかしい――と、◆は軽い溜め息を吐いた。
「今行きますよっ」
 そう答えると、ホーキンスは再びこちらに背を向け歩き出す。
 立ち上がってその後を追おうとし、ふと目についたのは木箱の上に置き忘れられた“哲学書”。
「――ふふっ」
 本に教えを乞う哲学など、あの男には似合わない。それが例え苦手な分野であろうと――いや、しかし今回ばかりはお世話になったかな、と◆はそれを大事に抱え、ホーキンスには後で何と云おうと考えながら、甘い香りのする方へと走って行った。



 END.













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 ホー様! 初めてではないのに難し過ぎた、のはお題のせい。まず哲学とは何なのかで悩んでしまって、気付いたら2周年過ぎてましたよね!
 最初はヒロインに返事を云わせる予定だったのですが、この方が良い感じでした。ホー様はパンプキンパイ好きそうだなと思っておやつに選びました。

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